5年ぶりの香港

3月28日、久しぶりに香港を訪問した。今回は学校が春休みということもあって家内と子供2人がついてきた。私が昼間仕事している間、家族は近くでショッピングや観光をしている。そして夕方に合流して一緒に食事をする、というスケジュールだ。とは言いながら夜は必ずお客様と一緒に食事をすることになるので多少は外交のお手伝いをしてもらわなければならない。特に最終の晩は香港ランドリー協会の総会に招待を受けている。一部家族にも仕事をしてもらうこととなっている。本来は末っ子も一緒に行くはずだったのだが大切な行事がこの旅行にかぶっていたことが出発の2日前くらいに判明したので彼だけお留守番ということになってしまった。彼もすでに中学2年生になるので4日間くらい一人である程度はできるだろう、ということであまり心配はしなかったが…。

羽田出発時の家族写真。家族は初めての香港もあってとてもウキウキ。

 

香港のホテルについたら中華圏の営業マンである張課長がすでに中国から先に到着していた。28日から30日までの3日間しっかり二人で活動することにしていた。ちなみに今回訪問したところは恒隆白洋舎、マカオのランドリー3件、Jeeves香港、そして香港のランドリー2件だった。クリーニングの変化についてはとても興味あるところであるが、それ以上に香港やマカオの政治経済事情も同時に気になるところであった。

香港は思ったほど変化はなさそうに見えた。大きく変わったのは為替レートだろうか。5〜6年前に日本の空港で換金したときのレートはおおよそ13円だったが今回は19円とかなり香港ドル高になっている。だから我々日本人からするとおよそ50%ほど価格が高く見えてしまうのだ。しかし物価そのものはそこまで上がっているようには感じなかった。

今回の旅で一番印象に残ったことは香港に来る人が変わったことだ。昔は欧米人がかなり多い印象であったが今回は中国人だらけだった。しかも団体旅行で来ている中国人のグループが多いことが印象的だった。例えば中国につながっている電車やバス、フェリーの乗り場には想像を絶する中国人の数で埋め尽くされていた。現地人から聞いた話だとその中国からの団体観光客もあまりお金のない人々だそうだ。飛行機を利用するようなところだとお金がかかるので香港だと電車やバスで行くことができるから安い、ということらしい。だから安いホテルばかりが一杯で高いホテルはあまり人がいない、ということらしい。

さて、それではクリーニング業界の話をしてみよう。今回、一番最初に訪問したのは恒隆白洋舎だった。到着した日にすぐに訪問した。ここは日本の白洋舎と香港の恒隆という会社で合弁で開いたクリーニング店だが実質白洋舎の運営になっている。すでに売上はコロナ前以上になっているとのことで極めて順調だとのお話しを頂いた。やはり香港はある程度ドライクリーニング衣類が集まるようで結構なことである。出来上がったお洋服を見たときにちょっと気になったことがあった。洋服を被しているフィルムである。昔よりも厚めの光沢のあるフィルムを採用していた。やはりこういうことできれいにした洋服をよりきれいに魅せる工夫をしている。無駄と思う方もいるかも知れないが私はそう思わない。価格もそれなりに取っているのでこのようなプレゼンテーションはとても大切と思う。

恒隆白洋舎の皆さんと。久しぶりの再会で話も弾む!

 

Jeevesもかなり堅調にやっているように見えた。コロナ禍の影響からやはり厳しい時期はあったものの店舗の統廃合を行ったりして収支を合わせることはできたと言う。売上はすっかりコロナ前の水準、それ以上に戻っているとのことでそれに店舗の統廃合を行ったことで利益率はコロナ前よりも高まったとのことだ。なんと言ってもJeevesの強みは洋服のクリーニングに関わらずバッグや絨毯などのクリーニング、革製品の色の補正などあるお客様が要望することを幅広く対応する力がある、ということだ。一つひとつを丁寧に対応するために生産性は決して高くはないがとてもデリケートなものでもしっかり対応する力があるのが良い。

Jeevesの皆さんとChina Clubにて。久しぶりのクラブで良い時間を過ごせた。
Jeevesの店舗。訪問時はお客様が途絶えることがなかった。支持層はしっかりいることが伺える。
シャネルの社員ユニフォームもクリーニングしている。さすがブランド同士!

 

しかしクリーニング業界は決して大きくない。むしろランドリーの方が熾烈な競争を繰り広げている。香港は日本以上に値段が重い。なかなか値上げを容認してくれないらしい。香港にはランドリー工場が数多く存在し、そのシェア争いがとても激しい。このご時世なのでできれば値上げをしたいところだろう。先程述べたように安いホテルほど満杯な状態である。この価格に敏感な人々が香港に溢れているわけだからホテルリネンの値段もそう簡単に上がらない。結果としてとても厳しい会社運営を強いられている現状がある。これはお隣のマカオでも同じような事が言える。香港で2社、マカオで3社のランドリー工場を訪問したがどちらでもしっかり収益を上げているところは工場がとても整然としており、工場内がとても明るかった。一方でいかにも儲かっていなさそうなところは工場が汚い、機械メンテナンスが全くできていない、モノで溢れている、工場内がとても暗いなど共通しているところがある。

工場をきれいにするのは経営者ではない、従業員である。しかし従業員が工場を清潔にするためには清潔にしたい、と思う心が必要である。その心を醸成するためには社員による愛社精神が必要である。愛社精神を醸成するためには給与などの待遇をしっかりする必要がある。給与を十分に提供するためには大きな利益が必要である。利益を多くいただくためには販売価格やコスト管理をしっかりしなければならない。販売価格においてはお客様に納得してもらうために商品の魅力度や品質がなければ容認してくれない。これをすべてデザインするのはまさに経営者の仕事だと思う。経営者が一緒になって現場で作業していると何も見えなくなってしまう。良い経営ができているところはそういうサイクルがしっかりしているのだろう、と外からは容易に見て取ることができる。

あるランドリー工場のうちの機械。もはや作業できる状況にない。管理の問題と言わざるを得ない。
別の工場の状態。本来あるべきはこれ。誰もがこういう状況で仕事をしたいはず。

どこの国に行っても基本的に考えることは一緒だと改めて確信する。販売するものはそれぞれ違うが、その商品やサービスに魅力はあるか?それがいくらだったら使ってもらえるのか?その金額で利益は出るのか?その利益で従業員に十分な報酬を払うことができるのか?簡単なことではないが、このサイクルが確立している企業こそ永続する企業なのだろう。香港の事情はコロナ前と比べて変化はあったが価格を上げられている企業がとても健康的である、というのが今回の印象だった。我々メーカーはもっと工場の自動化に貢献できる機械を作らなければ!

最後に、本当に久しぶりの再会がたくさんあった。商売がうまく行っているかどうか、はさておいても皆さんがこの業界で相変わらず切磋琢磨しているのを見るとどうやったらもっと魅力的な業界になるのか?を考えていかなければならない。

ランドリー協会の晩餐会。中央が新会長で我々のお客様。めでたい!
子供たちも外交活動に寄与してくれていた。こういうのはありがたい。
何年も親交のあるChangさんと。元気そうで本当に良かった!

2023年最初の出張はシンガポール

少々遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年もできるだけ耳寄りな情報を皆さんにお届けしたいと思います。よろしくお願いいたします。


三幸社は昨年12月28日に2022年の業務を終了し、今年は1月5日から始動している。とても穏やかな正月を迎えることができたが年末年始に海外からお客様がいらっしゃったことから意外と忙しく過ごしていた。12月26日にロサンゼルスからDoor to Door CleanersのHabib Veera氏とそのご家族が家族旅行として来日し、翌日の27日には本社を訪問してくれた。また新年の業務がスタートした1月5日にはオーストラリアとシンガポールからBill Hudson氏、Justin Hudson氏、Raajesh Shrinivas氏の3名が来社した。あまり正月気分に浸れないくらい来客対応に追われた年末年始であったが、確実に世の中は動き始めていることを実感している。

1月5日に来社したときの様子。オーストラリアから2名、シンガポールから1名が来社した。

 

この1月5日に来日した3人のうちの一人はシンガポール人だった。Raajesh Shrinivas氏は相当な意欲を表明していた。しかし彼のビジネスモデルが良くわからない。わかったことはアプリを利用した100%外交クリーニングということだった。お目当てはノンプレスだったのだがそれをどのように使うのか?などが全く見えない。そこでシンガポールを訪問することをそのときに決意したのだった。

時は2週間後の1月18日。私は羽田空港国際線ターミナルにいた。シンガポールは何年ぶりだろうか。パスポートを見てみたら最後に押されていたスタンプは2016年11月。6年以上も訪問していなかったのだ。東南アジアは我々にとってはあまり大きな市場ではない。タイやインドネシアなど訪問する市場はあるもののアメリカやヨーロッパに対してはとても小さな市場と言わざるを得ない。それもそのはず、ドライクリーニングだからだ。こんな温かいところでドライクリーニングを必要とする洋服を着る人々の率はとても低い。結果として一部のクリーニング店、ランドリー工場に機械を買ってもらうことはあってもその台数は少ない。故に私がリサーチに行く理由がどうしてもなかったのだ。
しかし今回はちょっと違う。我々がノンプレス仕上げ機を開発したことで今まで顧客ではないだろう人々が一気に顧客になる可能性が出たのだ。もしかしたらシンガポールも大きな市場に化ける可能性がある。今までドライクリーニング衣類しか対象にできなかったのが一般水洗い衣類においても対象が広がったことで東南アジアがとても面白い市場になるかも、と考えるようになったのだ。私も今までにないポジティブな感じを抱くようになった。

Piingの本社と工場。出来上がった洋服が配送車待ちをしている。
左が社長のRaajesh、右が運営のトップをやっているAditya。自分たちのビジネスモデルに確信を持っている。

 

到着の翌日に早速会社を訪問した。この会社の名前はPiing、お店は一切持たずアプリを使って受け取り、そして配達をする会社である。彼らが開発したアプリは話を聞けば聞くほど優秀なソフトだとわかる。通常のアプリは顧客と会社をつなぐだけだが、彼らのはUberに似ている。配達に使う人材を自社の社員だけで行うのではなくフリーランス、いわゆる契約ドライバーも利用して行うのが面白い。まず顧客は何日の何時に取りに来てもらいたいか、を登録する。これは1時間単位で登録が可能なのだから顧客にとってとても便利である。そしてその登録が集まってくるとこのソフトがドライバーにどこを順番に訪問すればいいか、を集計して指示する。近い顧客をグルーピングして一気に回収してくる、というわけだ。顧客はお渡しの日時も設定できるのでその日と時間に合わせてまたドライバーが訪問する順番をソフトが勝手に指示してくれるのでそれに従って渡していく、という具合だ。

このPCを使ってタグを発行する。発行されたタグは洋服に縫い付けられる。何回でも利用可能。顧客との合意は取れているらしい。
当社のダブルボディ。機械の左に彼らの専用ディスプレイとスキャン装置が付いている。すべての洋服をプレスする前にここでスキャンして確認を取る。
こちらのウールプレス機にも付いている。このようにすれば具体的な顧客要望を正確に読み取ることができる。その他いろいろなデータを収集できるのがすごい!


このソフトはここまでではなく工場の生産管理にまで波及する。それらの洋服が誰の洋服でどんなブランドなのか、そしてどんな特別指示が顧客からもたらされているのか、などの情報が全部入っている。そしてそのバーコードやQRコードをスキャンしたらオペレーターはそこに出てくる情報に従って作業すれば良い、ということで一つひとつをオペレーターが判断する必要はない、という仕組みになっている。ゆくゆくは我々の機械にもそのバーコードなどをスキャンしたらその洋服に合ったタイマー設定などがオートマチックで設定できてオペレーターはただ着せてボタンを押せば良い、という将来がやってくるかもしれない。このようにこの会社の強みはまさにこのアプリを通じたソフトであり、そこに顧客、契約ドライバー、工場を一手にまとめ、混乱を全く起こさずにサービスを提供している。2016年に創業してすでに6年が経過、すでにシンガポールの10%のマーケットシェアを握っており、ここ2〜3年で一気に20%のシェアを期待しているようだ。売上額は申し上げられないがそこそこの規模になっていることだけは伝えておきたい。通常では一日1000点の洋服を処理しているとのことだがちょうど訪問した時は春節の需要もあって倍の点数を扱っているとのことだ。こういうことであればノンプレスに興味を持つのも頷ける。彼らのさらなる飛躍のお手伝いができればとても嬉しいと感じた。

ここで一つ気になったのはシンガポールに存在するドライクリーニング需要だ。やはり東南アジアのリーディング都市と言えるのだろう。他の国と比べてもドライクリーニング比率は高いと言える。このPiingでもドライクリーニングと水洗いの比率は50:50と言っていた。ある意味驚きである。それだけシンガポール人のドレスコードはその他東南アジアより高いのか?と思ってしまう。実際に高級層にはJeevesが君臨している。Piingはどちらかといえば中流層をターゲットにしたサービスなのだがこのターゲット層がそれなりにドライ品を出していることに驚きを感じたのだ。

シンガポールはとにかく便利でとてもきれいな街だ。値段については為替のせいでもあるが6年前と比べるととても高く感じる。一方でシンガポール人のお金に対するメンタリティは日本人と似ているように感じた。彼らはとても厳しく、相手に利益を簡単に与えない力が働いているように感じた。だからなのかどうかはわからないが多くの日本企業が進出している。朝のウォーキングではお菓子やケーキで有名なシャトレーゼがあった。何らかのご縁があって進出しているのだと思うが、もしかしたらシンガポールは日本人にとって進出しやすい場所なのかもしれない。シンガポール人も日本企業を全般的にとても友好視しているのもポイントであろう。

久々のシンガポールで新しく見えたところがたくさんあった。Piingのビジネスモデルはとても面白く、今後の彼らの動向は注視していきたい。近いうちに再訪問することになりそうだ。

 

2022年を終えて

今日で2022年が終わる。考えてみれば何という一年だっただろうか。まだコロナが完全に収束していないにも関わらず今年はアメリカ・ヨーロッパに12往復もしたのだ。まだアジア、オセアニア、中東など訪問できていない地域がたくさんあるとはいえ、私の活動はおおよそ元に戻ったと言えるだろう。

2月に実現した2020年以来のアメリカ初出張は本当に涙々の訪問だった。人との出会いがここまで感動的なものだろうか、というくらい「会う」ということの重要さを感じたのだ。このときは帰国時に3日間の隔離期間を強制され、ホテルから全く出られない不自由もあった。今となっては良い思い出であるが…。
そして4月にはイギリスとイタリアへ、5月はニューヨークへ、6月はオランダとドイツへ。これらの時期から毎月海外に出るようになった。しかしこれらの月は相変わらず出国時にはPCR検査を受けて陰性証明書をもらわなければ出国できず、また帰国においても現地でPCR検査を受けて陰性証明を発行してもらわなければ飛行機に乗せてもらうこともできなかった。確か7月頃から日本から出発するときのPCR検査は不要となったが帰国時の陰性証明を不要とされたのは9月以降だったと記憶している。とにかくコロナに振り回された一年ではあったが、全く旅ができなかった2020年と2021年に比べればバラ色のような一年だったことは間違いない。今年は合計で12回の海外出張ができた。内訳はアメリカが8回、ヨーロッパが4回だった。

そして今年は4月のイギリス、7月末にアメリカ・アトランタ、10月にイタリア・ミラノで大きな展示会が開催されたのも特筆すべき内容と思う。アメリカでは日本で2020年10月に発表した高速型シングルボディワイシャツプレス機のアメリカ版を発表した。そしてイタリアでは日本で今年2月に国内展示会で発表したノンプレスフィニッシャーを発表した。どちらの展示会でも大盛況で多くの人々の心を掴むことができたと思う。それぞれの展示会においても本当に久しぶりの再会を喜ぶことが多く、嬉しさのあまりにいろいろな人と抱き合うことが多かった。アメリカでは結果的に会場で多くの人々が感染してしまう事態になってしまったのが残念であった。社長である私の兄や私自身も感染してしまった。せっかくの帰国後の夏休みを含めて10日間の自宅療養を余儀なくされたのも記憶に新しい。

こんな一年であったが私がこの一年を総括するならば「ドライクリーニング業のあり方を問われた一年」というのがふさわしいと思う。アメリカは高級層を顧客にしているクリーニング店はすでにコロナ前よりも売上が伸びているところが多いと確認しているが、韓国系クリーニング店の衰退、廃業は顕著だった。アメリカでさえ業界全体としては縮小を始めている。日本やヨーロッパでの業界衰退も顕著で世界中で「脱ドライクリーニング化」が加速している。これからを感じるのは中国であるが、政府によるゼロコロナ政策という愚策により市場は停滞するばかりでなく、人々の行動を抑制することばかりだったので市場と見ることすらできなかった。これが今後の中国をどのように変化させていくのかはわからないが、ドライクリーニングが隆盛する方向には行きづらいのではないかと予想する。私はドライクリーニング業が消滅するとは言っていない。間違いなく残ると思う。しかし主要産業として継続できるか?というとそれは疑問だ、ということだ。
日本を例に見てみよう。2015年にIDC国際クリーニング会議を大阪で開催したときにざっと100名近くの海外参加者が日本の当時を見て「こんな暑い日にほとんどすべての人々がスーツ、ネクタイ、ワイシャツを着て会社に行く。こんな素晴らしい国を見たことがない」と羨ましがっていたことを思い出す。それが7年経った現在はどうだろうか?この2年間のコロナ禍で10年後に訪れるであろう状況が一気に訪れた感があるが、人々はカジュアルを着るようになり、会社はそれを受け入れるようになった。テレワークという制度と共に一気にドレスコードが崩れた。デパートでは5万円のレディースウェアが水洗い可能な素材で構成されるようになっている。12月1日に訪問したアパレル機器展示会ではワイシャツを製造するのに必要な機器がほぼ展示されていない。我々が求めていたジャケット、ズボン、ワイシャツという3大メジャー衣類はまさに1970年代のモデルとして成り立ち続けていたのだが2020年代で崩壊したと言わざるを得ない。ここに今後のクリーニング業のあり方が大きく問われる事態となってしまったわけだ。ちなみにこの状況は日本だけでなくアメリカ、ヨーロッパ、オセアニアなど先進国では顕著に表れている。

さて、こんな状況で我々は次に何を考えていけばいいのだろうか?日本において、ある人々はスニーカークリーニングを試してみた。ある人々はお直しの世界を開拓してみた。多くの人々は布団を商材にしてみた。それなりの反応はあるのだがどうしても2019年と比べて売上や点数が戻ってきているわけではない。もしかしたらもう永遠に戻らないのかもしれない。そんな中で私は水洗い衣類に注目したのだがこれは当たっていると思う。すでに人件費が日本の倍以上になっているアメリカ、ヨーロッパでは水洗い衣類でビジネスを構成しようとしているクリーニング店がとても多いのにびっくりした。間違いなく世界は先進国から順々にその流れに沿っていくだろう。しかし多くのクリーニング店は「水洗いで利益なんて取れるはずがない」とか「各家庭に洗濯機があるのにクリーニング店に持ってくるはずがない」とか真剣に取り組む前から半ばあきらめている声をよく聞く。業界衰退時には残念ながら多くの人々が業界を離れていく。これは仕方のないことだと思う。残っていける人々はまだ僅かな可能性を信じ、新たに投資をしながらたくましく活動していく、そんな人々と思う。私と三幸社はそういう人々を助けられるような活動を続けていきたいと思う。新しい業界への参入は必要かもしれない。しかし顧客の顔を知っているこの業界ならば共に切磋琢磨していくことが一番効率良いと考える。すでに私は海外でそのような顧客を数多く見ることができている。変化はできるのだ。変化する決心が必要なのだ。それは我々も一緒である。だからその決心が第三工場設立につながった。この時期で新しく工場を建てることはなかなかできることではない。不退転の決意で建設したこの第三工場と共に2023年を更に忙しい年にしていきたいと思う。皆さんにおいてはなかなか決心に至らない難しさがあるとは思うが是非もっと外に出かけて世の中がどのように動いているのか、をリサーチしながら今後の策を見つけてもらいたい。間違いなく2023年はもっとドライクリーニングが厳しくなっていく年になると予想する。だから何をして残っていくのか?を是非考えていただきたい。

末筆ながら今年も多くの皆様にこのブログを読んでいただけたことに感謝を申し上げたい。来年も引き続き多くの世界情報をお届けできるように活動していきたいと思う。是非期待してもらいたい。

前回は私の展示会奮闘記を記した。今回はミラノ展示会がどんな様子だったのか、をお知らせしたい。

 

展示会はとても活気に満ちていた。イタリア勢力を中心にとても良い活動をしていたように思う。この展示会はランドリー60%、ドライクリーニング40%の出展というところだろうか。イタリアの展示会Expo DetergoはアメリカのClean Show、ドイツのTexcareに比べてドライクリーニングの色合いは比較的強い。なぜならばドライ機、仕上げ機とイタリア勢がとても多いからだ。

ドライ機メーカーといえばまずは不動の王座に君臨しているFMBグループのUnion、そして同グループのFirbimatic、Realstar、そして別メーカーのIlsaでほぼ世界の50%くらいのシェアが固められていると推定する。そして仕上げ機メーカーもとても多い。今回出ているだけでPony、Barbanti、Rotondi、Trevil、Fimas、Ghidini、Sidi、Cocciとアイロン台だけの製造なども含めたらまだ5〜6社はあっただろうか…。これだけのメーカーがまだまだやっていけるだけの業界なのだ。

Rotondi(ロトンディ)のブース。典型的な仕上げ機メーカー。アイロン台が有名!
Ghidini(ギディー二)のブース。彼らとは電気ボイラーでいつもタイアップしている。

 

ここには一つからくりがある。これらの仕上げ機メーカーはもともと縫製業界用の仕上げ機として成り立っている。イタリアといえばファッションナブルなブランドがとても多い。生地からやっているブランドもあれば洋服だけを展開しているブランドもある。スーツや婦人モノでドライクリーニングしか対応できない洋服が沢山製造されているところから派生しているのであろうか…。とにかくドライクリーニング機と仕上げ機のメーカー大国イタリアなのだ。しかし世界の生地素材は確実に変化している。ポリエステルの混紡素材が一気に台頭してきているのだ。今回の展示会を見ている限り、これらのメーカー達は世の中のトレンドに合わせた新製品などは全く出ていなかった。未だにウール素材を中心に考えているのだろう。強みといえば強みかもしれないが本当に変化がなくても大丈夫なのだろうか?ウール素材を中心に考える会社に「水洗い」の概念はない。相変わらず変わってないな、というのが私の感想だった。

一方でITを駆使した製品も随分と出てきた。スペインの洗濯機メーカーGirbauは新製品の洗濯機を出していた。洗濯機そのものが変わったわけではない。しかしソフトは大幅に変わっている。お好みの設定や言語など大きなタッチパネルでとても見やすいスクリーンになっていた。

スペインGirbauのブース。小型洗濯機からCBWまで幅広く作るユニークな会社。ラテンの雄といえる!
新型の洗濯機。タッチパネルになっていてとても見やすい。
ちょっとの操作ですぐに日本語メニューに変わった。とても斬新。日本で売れる日も近い?

 

みなさんは「インダストリー4.0」という言葉をご存知だろうか?

「インダストリー4.0」とは「第4次産業革命」という意味合いを持つ名称であり、水力・蒸気機関を活用した機械製造設備が導入された第1次産業革命、石油と電力を活用した大量生産が始まった第2次産業革命、IT技術を活用し出した第3次産業革命に続く歴史的な変化として位置付けられている。

インダストリー4.0の主眼は、スマート工場を中心としたエコシステムの構築である。人間、機械、その他の企業資源が互いに通信することで、各製品がいつ製造されたか、そしてどこに納品されるべきかといった情報を共有し、製造プロセスをより円滑なものにすること、さらに既存のバリューチェーンの変革や新たなビジネスモデルの構築をもたらすことを目的としている。これらの仕組みの整備が進めば、例えば大量生産の仕組みを活用しながらオーダーメードの製品作りを行う「マス・カスタマイゼーション」が実現する。

(総務省ホームページから)

ということで通信を通じてエコな工場づくり、カスタマイズを可能にする工場づくりを目指そう、という動きが出てきている。イタリアをはじめヨーロッパではインダストリー4.0の推進がとても強いようでこれらの開発が進んでいる。日本ではまだまだ聞かない言葉でその機運が乏しい。Girbauの洗濯機も通信できるようになっており、それによりエネルギー消費量などの各種データを本部のPCにつなげることでデータ送信できたり、それぞれの洗濯機を簡単にカスタマイズできたりするのだ。アメリカで大人気のイタリアのコンベアメーカーMetalprogettiのソーティングシステムはまさにこれにあたる。これはソーティング、包装しながらラベルを添付、そして自動的に保管コンベアに投入、ということで通信しながらシステムが勝手に顧客管理をしてくれるのだからとても将来性が高い。ゆくゆくは我々のような仕上げ機もインダストリー4.0を検討していかなければならなくなるだろう。

 

ただ改めて我々の業界は今後どうしていけばいいのか?将来的なインダストリー4.0への取組みは一部で見えたものの、今後の我が業界の行く末をイメージしていた企業は殆ど見当たらなかった。もちろんドライクリーニング業がこのまま続けば言うことないのだが…。

4年ぶりのミラノ展示会

10月18日、私はまたまた羽田空港に来ていた。先週の10月10日から4泊6日でアメリカを訪問していたばかりだったのだ。目的はアメリカのお客さまに頼まれてプライベートの勉強会グループに対して1時間ほどの講演をすることだった。私は地球温暖化とそれに伴うドレスコードの変化から世界的にドライクリーニングをメインでやっていくことに難しさを感じていた。それでは何をやっていけばいいのか?ということについて講演してきた。聞いていただいた皆様からはお褒めの言葉をいただけたので目的は達成され、心地よい帰国をしたのが15日だった。日本の滞在はたったの3日間、私はすぐにイタリアに出かけなければならなかった。目的は4年ぶりに開催されるExpo Detergoミラノ展示会に出展者として参加するためだった。今回はパリ経由でミラノに入るのだが、とにかくヨーロッパに行くのは遠い。ロシアとウクライナの戦争により日本の飛行機は基本的にロシア上空を飛ぶことができない。結果としてヨーロッパ行きはアメリカ・アラスカ州の上空を通過し、北極圏、グリーンランドを経由してパリに到着する。このフライトでざっと15時間はかかる。そこから経由便を利用してミラノに入るのだ。コロナ禍では海外旅行など夢のまた夢だったがすっかり海外に出るのが当たり前になった。この旅が今年8回目の海外出張だ。リナーテ空港にはイタリアの代理店のMarcoが迎えにきてくれた。我々はさらにANAで来た社員二人を待って指定のホテルに移動した。

いつもながらJALで移動!

 

翌日から早速設置を開始。と言っても前日から作業を開始してくれた先発隊の3人がなかなかの仕事をしてくれていたので思った以上に進んでいた。今回は初めてブースにワイシャツプレス機を置かなかった。我ながら思い切ったことをしたと思った。Sankoshaといえばワイシャツプレス機と世界中で連想される。ここイタリアでもSankoshaブランドは有名である。イタリアには競合の仕上げ機メーカーが10社以上はあるだろう。その中でもトップメーカーは常にSankoshaの最新モデルを意識しながら機械開発を行っているのだ。今回の展示である意味びっくりしたことだろう。

既に良いところまで設置が進んでいた。
設計の野澤くん。今回のレイアウトは彼が書いてくれた。

 

さて、それでは何を展示したのか?といえば「ノンプレスフィニッシャー(英語名はPress Free Finisher)」と「オートフォルダー(英語名はUniversal Folder)」の二つである。あと半自動包装機は出したが実際にこれだけである。最初にアメリカでの講演内容を軽く記載したが、これからどんどん減りゆくドライクリーニング衣類にいつまでもしがみついていたらどんどん厳しくなっていくだろう、という予想で今回はランドリー衣類をターゲットにできるモデルで勝負したのだ。
ただ残念なことに今回持ってきたモデルは全部日本仕様でまだCEマーク(ヨーロッパの工業規格。これを取っていないとこちらでの販売はとても危なく、事故を起こした場合は多額の賠償請求を求められる)を取得していないのですぐに販売できるわけではない。しかしこのような機械がどれだけの人々に受け入れられるのか?を調べるためには持ってこなければわからない。今までの展示会と違って今回はリサーチを含めた展示、という意味合いがとても強い出展なのである。

2日間の設置作業を終えてなんとか設営が完了し、展示会初日を迎えることができた。洗濯機もドイツの代理店のおかげで設置完了。そして現地の薬品メーカーの協力をいただき、仕上げ剤をいくつか使わせてもらうことができた。これらを使ってどれだけうまくオペレーションができるか?これが今回のノンプレスフィニッシャーの問題であった。通常であれば設置が完了すれば絶対に大丈夫!という自信があったのだが今回は全てが初めての試みなので不安だらけであった。

 

ブースが完成!皆の力でなんとかなった。

 

仕上がり風合いでとても大切なのが仕上げ剤の活用である。日本ではいくつかやってみたのだが実際にこの展示会できちんとできるかわからなかった。提供してもらったものの中から最初にBuefaの仕上げ剤を使ってみた。しかしなかなか伸びが良くない。後で聞いてみたら柔軟剤であることが判明、そして次にKreusllerの仕上げ剤を使ってみた。これは既に本社のショールームでも使用経験があったので気楽ではあったがちょっと以前からちょっと硬めなのが気になった。最終的にはこの二つを50:50で使用してみたらどうだろうか?ということで試したら見事に伸びた。ということで展示会の運営はこれでいこうということとなった。

さて、会場はオープンしたのだが最初の2時間はなかなか人が集まらない。不安が募る。「もしかしたらワイシャツプレス機を持ってきた方がよかったのだろうか…」と思い始めた。そうすると少しずつ人々がノンプレスフィニッシャーの周りに集まり始めてきた。一部のお客様がまだ仕上げ工程に入っていない洋服を触って「濡れてるぞ!」と騒ぎ始める。そして出てきた洋服を見て見事に乾いているだけでなく、シワが完全に伸びている仕上がりに全ての人がびっくりしているのだ。そして人々が仕上がった洋服を手に取って笑顔で驚きながら話をしている。この光景を見てこの展示会の成功を確信した。あとは人々が勝手に騒いでくれるわけだから我々がやることはこの機械をどんどん動かすことだけだった。しかし一つ問題があった。それはボイラー。今回お世話になったボイラーは最大で5kgしか上がらない。この機械は最低6kgが必要なのだ。結果として少しスピードを落として実演するしか手がなかったのだがなんとか実演に値する仕上がり風合いを出すことができた。

おかげさまで大盛況。みなさん興味津々でした。

 

これを見た人々は他社ブースのトンネル仕上げ機へ赴く。そこで同じことをやってみてくれ!と依頼するわけだ。他社メーカーの仕上げ機では我々のような仕様にはなっていないので同じく仕上がるはずがない。ここで私の賭けは吉となった。現在のドライクリーニング業を取り巻く環境においてこれからはもっとランドリー系の洋服を仕上げ工程の少ない状態で仕上がることに腐心しなくてはいけないのだ、ということを確信しての展示だったのだがヨーロッパでは当たったのだ。実際にこの展示会に来場されたお客様はEUをはじめ、東ヨーロッパや中東、そして東南アジアが主だった。これらの商圏ではこのノンプレスフィニッシャーは間違いなくヒットしたと言えよう。結果として3日目の23日日曜日までいろいろなお客様がブースに来場し、このノンプレスフィニッシャーを見て行ったのだった。

驚くべきは各メーカーの反応だ。Kannegiesser、Jensen、Milnor、Girbauなど主要メーカーは皆見に来たし、トンネルを売りにしている各メーカーも戦々恐々の面持ちで見に来ていた。それだけこのノンプレスフィニッシャーを他社ブースで噂しているのがわかる。私は個人的にMilnorとGirbauはとても仲が良い。彼らの本社にも何回か訪問したことがあるくらいだ。Milnorでは早速シカゴの販売代理店を紹介してくれることとなったし、Girbauは会長自らこの仕上がりにびっくりして副会長を直々に連れてきてみてもらったり、社員にもっと調べるように、と指示していたという。これからもっとこのようなメーカー達とのコラボレーションができるようになるのだろう。

ノンプレスフィニッシャーの話ばかりをしてしまったがもう一つのオートフォルダーも大きな関心をいただいた。シャツ類やズボン類、タオル類までなんでも畳めてしまうことが大きな関心となった。まだまだ機械としては発展途上ではあるが大きなポテンシャルを持つこととなった。これについてはまだまだ顧客からのリクエストが絶えない。「どうせだったらこうしてほしい」とか「こんなことは出来ないのか?」など。しかし既にたたみで困っているお客様達は「すぐに欲しい!」と言ってきた。あるお客様は「Sankoshaで作ってくれ!と昔からお願いした。10年以上経ったけどやっと作ってくれたんだね」と私に言ってきた。本当に嬉しかった。「Sankoshaはこれで最低10年はやっていける」と確信した。あとは一つひとつの案件を確実にこなしていくことだ。

オートフォルダーの前でABCのChris Whiteさん。彼も有力なコメンテーターである。

 

今回は参加した社員達に市内観光などは何一つさせてあげられなかった。やってあげられたことはおいしい食事を提供したことくらい。しかし泊まったホテルは本当に僻地だったのでなかなかおいしいレストランは見つからなかった。しかし最後の最後で探し当てたレストラン、ここでは本当に世話になった。最後3日間は連続で通ったし、最終日はお店のお休みにも関わらず我々のために開けてくれた。おいしい食事、そして人々とのふれあい、これだけでもひとときの休息にはなったと思う。とにかくよく頑張ってくれた社員達!そして協力してくれたブースのデザイン会社、現地の販売代理店がいなかったらここまでやり切ることは出来なかっただろう。最後の片付けも本当に「疲れた」の一言だったが全員が気持ちよく帰ってくることができた。素晴らしい展示会だった。

本当に世話になったレストラン。
ロブスターを使ったパスタ。最高でした!
最後はお店のオーナーさんと一緒に。お休みの日だったのにわざわざ開けてくれました!

 

次回は短編になると思うが展示会で起こっていたことを紹介したいと思う。

3年ぶりのPeerless Cleaners訪問

9月12日、私は再びシカゴに向けて旅立った。前回は帰国時にコロナ感染してしまったので今回は少し気をつけての出張となった。(と言っても何も行動で変わったことはしていないのだが…)

今回の出張は子会社であるSankosha USAの新年度方針発表会に出席するためであった。私が出発したのはこの日、そして発表会は水曜日の午後を予定していたので実際に到着してから少々時間に余裕があったのだ。私は兼ねてから一つの会社が気になっていた。それは2019年9月に訪問したインディアナ州のPeerless Cleanersだった。社長のSteve Grashoffと会って彼のメンバーコースでゴルフをやりながらいろいろ話そうと思ったのだが、ゴルフをやりながら彼の経営思想を聞いていくとすっかり陶酔し、いつの間にかゴルフを忘れてカートに乗ったまま彼の話を聞き続けていたのを思い出していた。先月のClean ShowでSteveと久しぶりの再会を果たした。その際に「9月に行ってもいい?」と聞いたら「いつでもウェルカムだよ!」と言っていただいていたので今回は火曜日から1泊で出かけることとした。

Peerless Cleanersはインディアナ州のFort Wayneという場所にありシカゴから車で3時間半である。今回の新年度方針に兄も一緒に来ていたので「圭介、一緒に行ってもいいか?」というので表面上は「え〜?一緒に来るの?」と冗談言いながら、絶対に眠くなる長時間運転に代わりができる事でとても助かった。我々は翌13日の朝7時に出発した。考えてみればインディアナ州はお隣の州ではあるがこの間に時差が発生する。1時間早くなるので我々は現地時間の8時に出発したこととなる。こういうのがアメリカはややこしい。私が最初は運転していたのだが案の定、2時間ほどで眠くなってきた。無理もない、昨日の到着だったわけだから時差ぼけの真っ只中である。兄が代わってくれたのはとても助かった。彼が運転を始めた10分後にはこちらはいびきをかいて寝ていたらしい。

Peerless Cleanersに到着した。外側の風景は全く変わっていない。フロントに我々の名前を名乗ったらすぐにSteveが出てきた。兄は初めての訪問だったので早速工場見学に連れて行ってもらった。まずコロナ禍の2年間でどのくらい厳しかったか?を聞いてみると意外な答えが帰ってきた。「特に大きな問題はなかった。それなりに忙しく仕事をしていたよ」と。どうやってそんな忙しくできたのだろうか?と思っていたら、どうやらCRDNの仕事が一番だったようだ。CRDNのことを一度詳しく説明したことがあったと思うがもう一度説明しておこう。

Peerless Cleanersの本社工場。外から見たら単に倉庫に見えるが…。トラックに書いてあるのがCRDN。

 

CRDNとはCertified Restoration Drycleaning Networkという名前の頭文字を取ってCRDNとなっている。意味は火災などで被害にあった洋服などを保険会社からの要請に従ってクリーニングサービスすることをいう。アメリカの保険は日本と違って事故品がクリーニングで元通りになるのであればそれを適用する。日本の場合は契約した金額がその時に出てくるだけでクリーニングなどを保険会社が依頼してくることはない。私も一度このFire Restorationという分野を日本でできないかどうか、を研究したことがあるが残念ながら無理だった。これはアメリカにしかできないクリーニング店繁盛の分野と言えるだろう。Peerless Cleanersはインディアナ州の大部分を担当しているとのことでコロナ禍でもとても忙しくすることができたそうだ。ということは…、火事はコロナ禍でも変わりなく頻発していたということになる。こう言うビジネスがクリーニング店にあるととても助かる。

このSteveさんの経営思想をここでもう一度紹介しよう。私は彼を素晴らしい経営者と思っている。何故ならば彼は「社長の仕事とは何か?」ということを明確に定義している。業種や会社の大きさによって考えは異なるが、彼は自分の会社における社長の仕事を「売上を作ること」と定義している。現在のクリーニング業界において一番難しい問題は「どうやって売上を作るか?」である。クリーニング業界は完全に右肩下がりの斜陽業界。今までドライクリーニングで大きな利益を獲得できたが現在はその礎が無くなろうとしている。こんな中で安定した売上を作るには会社の大きな方向転換が必要になると思う。彼が3年前に「売上を作ることが社長の仕事」と定義したのを覚えていたので現在はどうやって売り上げているのだろうか?ととても興味があったのだ。

CRDNによる売上が大きく貢献していることはよくわかった。しかし私が驚いたのはそれ以外の売上である。例えば空軍の施設で発生しているタオルやシーツのクリーニング、これも安定的に手に入れていた。これも確かに安定収入にはなる。(利益がどれだけあるのかはわからないが…)
どうやってこういう契約を持ってくるのだろうか?そしてもう一つあった。アメリカにはタキシードレンタルというビジネスがある。このレンタルビジネスで発生するクリーニングの下請けも受けることにしているそうだ。既にそのタキシードレンタルから週にワイシャツ2000枚、ズボンを2000枚受けているそうだ。ワイシャツは水洗い、ズボンはドライクリーニングで受けている値段は実際に自分達がお店で販売している値段を大きく下回るのだが結果として利益になっていると言う。

タキシードレンタルのワイシャツ。素材があまり良くないがそれでもこれではまずい、ということで一緒に解決しようということとなった。

 

ポイントはお店に関わるコストが全くかからないことと配送料においても全くかからないという点だ。彼らの方で洋服を工場まで持ってきてくれるし引き取ってくれる、となるならば多少の低価格でも全く問題ない。こう言う売上をSteveさんが直々に持ってくるとなると工場はとても安心するはずだ。あとは如何に効率的に綺麗に仕上げるか?だけがポイントとなる。ここは工場の人間たちに任せれば良い話だ。このサイクルが完成しているところにPeerless Cleanersの強みがあると言えるだろう。多くのクリーニング店は社長自ら工場に入って一緒に作業しているところが多い。しかしそれが本当に会社の価値を高めるのか?と考えると全くそれは違うと思わされる。
多くの経営者は

売上の低下 → コスト削減 → 自分が空いた穴を埋めることで収支を合わす

とこのように考える。しかしこの考えは絶対に間違いだと私は感じる。何故ならば経営者以外が日頃の顧客以外との商売の話をすることができないからだ。自分が工場の空いた穴を埋める作業をやっているのは自分の価値の安売りとしか言いようがない。いや、会社の価値をそこで下げていると言うことさえできるだろう。急に空いた穴は埋めなければならない。しかし多くの経営者が率先してその歯車になっている光景をみると不安を感じざるを得ない。そう言う点でSteveさんのさらに売上を違う先から持ってきている姿を見て私はとても頼もしさを感じた。

私のもう一つの訪問理由に最近我々が開発したノンプレスフィニッシャー(英語ではPress Free Finisherという)が彼のような工場で必要になるかどうか?を見てみたかったのだ。3年前に来た時には役立ちそうな部分があったと記憶していたのだが、実際に注目していたわけではなかったのでそれもみてみたい、と思っていた。実際に見てみたらその可能性は十分にあった。アメリカの人件費はもはや日本の倍はしている。そして日本と同じように働いてくれる人が見つからない。これが一番の問題なのだ。だから省人力工場というキーワードが必要になってくる。そこにはオートメーションというクリーニング業界ではなかなかあり得ない言葉をキーワードに迎えなければならない時代となっている。もちろん、それまでの基準を大いに考え直さなければならないことも加味するべきと思う。最終的にはその会社の経営者、経営チームが柔軟に変化を受け入れるかどうか?がポイントとなるだろう。(多くの経営者はそれを嫌がるのだが…)

兄と一緒に工場見学をし、そして夕方にはSteveさんと奥様のLaurieさんと一緒に夕食を楽しんだ。経営の話になると一族経営の話に発展した。彼らには二人の娘がいて両方とも後を継いでいる。しかし性格がとても違うようで難しいと言っていた。私は兄をとても尊敬している。彼こそ控えめ(とは言いたくないが)で身内に近ければ近いほどとても気を遣う人間としてとても感謝している。だから私はこんな活動ができている、とさえ思っているし、多分彼はそれを理解しているだろう。彼らにも英語で私が兄の活動にとても感謝していることを話すと「仲良いね」ととても羨ましそうに返答していた。兄はそう言う英語はわかるようで「録音しておいて!」ってなんともアホなことをいう。しかしそれが安定の経営を作るのだろう。売上を作ること、そしてその売上から利益を作ること、そんな利益体質をどんな組織で作るのか?それが会社の経営の要諦なのだろう。

Steve、奥様のLaurie、兄と四人で会食。とても楽しい、そして色々知り合えた会食だった。

今回はPeerless Cleanersを訪問して再確認できた。我々のノンプレスの可能性も改めて確認できた。それ以上に家族経営の難しさを改めて確認した訪問だった。翌日は朝の出発でシカゴに戻った。朝なのにやはり1時間も運転していると眠くなる。時差ぼけの象徴である。兄に一緒に来てもらって本当によかった。二人で色々話しながら帰ったのだった。それにしても夜に食事をしたときのステーキが本当に美味しかった!

いただいたステーキ。とても美味しかった!

3年ぶりのClean Show

7月30日、いよいよ展示会が始まる。3年ぶりの展示会で本当に久しぶりである。場所はジョージア州アトランタ。アトランタといえばコカ・コーラの本社、CNNというアメリカのニュースチャンネルの本部、アフリカ系アメリカ人公民権運動で有名になったマーティン・ルーサー・キングの地元でもある。7月28日の夕方にアトランタに到着したが29日はちょっと家族で町を歩いてみた。やはり黒人の数はとても多い。それよりもホームレスであろうか…、そういう感じの人々がかなり多いと感じる。ちょっと夜を出歩くのは危険と感じる場所だった。

展示会場は相変わらず大きい。会場を端から端まで歩くと直線で500m以上はあっただろうか。これでもコロナ前の会場からすると少し小さくなったと人々は言うが相変わらずの規模に私は「さすがClean Show!」と感じた。

Clean Showのエントランス。やっぱり立派!!
Sankoshaのブース。今年は趣向をちょっと変えてやぐらを組みませんでした。

 

大きなメーカーもすべて参加しているのでやはり会場には華があったように思う。最近のClean Showではランドリー系のメーカーが3分の2、ドライクリーニング系が3分の1という構図になっていたが今回も大きな変化はなかったように思う。しかしドライクリーニング系のメーカーの元気の無さには残念であった。世界は徐々にドライクリーニング業から離れていく中でアメリカは世界で唯一、相応の需要があるだけに各メーカーは今までの製品を出すことで売上をあげようと一生懸命になっていた。しかし来場者はこれからの時代を戦っていくために何を考えれば良いのか?を学びにきているのだから何らかのメッセージが各メーカーに欲しかっただろう。残念ながら今回の展示会で大半のメーカーは新製品を出していない。多少のマイナーチェンジはあったかもしれないが来場者が注目するような製品やサービスは全く出ていなかった。同じメーカーとしてこれが残念でならない。ドライクリーニングの需要減退を最初に阻止すべきはメーカーだと思うが彼らもまたクリーニング店次第と考えているのだろう。

Forentaの社長Rusty Smith、奥さんと一緒に。久しぶりの再会を喜んだ!

 

さて、アメリカで一番大きな問題になっているのは「人件費」である。コロナ禍で売上が減少する中、やはり利益率を維持したいと思うのは経営者として当たり前と思う。しかしこの物価上昇である。利益を確保したくても確保できない。人件費も当然上がる。こんな中で値上げを実施しないお店は間違いなく倒産する。しかしクリーニングを利用する顧客は値上げを嫌う。この状況下でどんな経営をすることができるのか?これがクリーニング店の一番気になるところだと私は兼ねてから考えていた。クリーニング店が一番注目すべきは「どうやって価格上昇を抑えながら利益を得ることができるか?」である。一番人件費がかかるところは仕上げ部門である。そこで一つの分野でもコストが下がるのであればそれは投資に値するとアメリカ人は考える。今回の我々のブースで注目を浴びたのは新型シングルワイシャツ仕上げ機だ。日本では2年前に発表したシングルであるが、海外で正式に発表したのはこれが初めてである。これが人々にどのくらい受け入れられるのか、これが私の一番注目しているところであった。そのためにはどれだけの来場者が来るのか?それがとても気になった。

会場がオープンしてまもなく、私の不安はすぐに消えた。10時に開場したのだがあっという間に人々が会場を埋め尽くす。日本の展示会とは違い、Clean Showは入場券を買わないと入れない。今回は一人165ドルもするのだからびっくりする。そしてこの円安である。140円で換算すると23,100円もするわけだがそれでも多くの人々が来場してきたのだ。これがアメリカ人のすごいところだ。日本人はこれだけの値段だといくことをやめる人が多い。しかしこの展示会に新しい何かがあるかもしれないと思うならば、高いとか安いとか言っている場合ではない。投資すべきなのだ。アメリカ人はここら辺をしっかり割り切って来場しているのが偉いと思う。そのためにはやはり日頃のビジネスでしっかり利益を出さなければならない、と改めて感じる。

それにしても久しぶりに会う顔ばかりである。本当に懐かしい。一人ひとりと抱き合って再会を喜んだ。懐かしがっているのは私だけではない。彼らも同様で本当に色々な人と会うことを楽しみにしていたようだ。挨拶を済ませるとすぐに「今回は何か新しいモデルはあるのかい?」と聞いてくる。ワイシャツのシングルを紹介した。

常に人でいっぱい。
息子もTシャツ着てカラーカフスのオペレーションを手伝いました。業界メディアにも取り上げられました!(笑
Arya CleanersのSassanとうちの営業Budと。

今回は人々の反応が今までとはちょっと違う。アメリカでは何故かダブルを選ぶ傾向にある。あまりダブルを買う必要のない人でもダブルを買う人が多い。どうやらダブルを持つということは大きいクリーンニング店である、という意味があるらしい。シングルは小さなクリーニング店が持つものだ、というイメージがあるのだ。しかし今回はその傾向が変わってきている。アメリカではなかなか人を雇えない問題がある。人件費が高いという問題とそもそも働く人が減ってなかなか人が見つからない問題の両方があるのだ。その問題点を前提に新型シングルの話をすると皆が大きな関心を持って機械を見始める。その機械の動き、仕上がるスピード、仕上がり品質を見て納得する。何人かのお客様は全くワイシャツを買うつもりはなかったのに我々の話を聞いてからそのワイシャツ機を見たら5分後には「買う!」と即決してしまうのだからさすがにこちらも驚いてしまう。それだけ人件費対策はアメリカにおいては喫緊の課題なのだ。我々はその市場に合ったモデルをタイムリーに出すことがやはり重要である。

 

結局、この4日間の展示会でおおよそ1万人の来場者があった。我々が期待していた人の全てが来たわけではなかったがとても忙しくすることができた。人々が会場で囁いていたことは「とても人で賑わっているブースはMetalprogettiとSankoshaだけ」ということだった。やはり今までの製品やサービスを出しているだけでは人々の関心を買うことができない。常に最新のモデルを用意することが必要なのだ。多くのお客様に大きな関心を持っていただけたのは本当によかったと思う。

初日の夜には我が社が主催したパーティーがあった。このパーティーにも200名以上のお客様が参加してくれた。場所はアトランタ植物公園内にあるホールでとても緑に囲まれた良い会場だった。

パーティー会場。とても心地よい場所でした。

ここでも多くのお客様と一緒に会話を楽しんだが、みなさんからはお褒めの言葉を数々いただいた。

「Sankoshaは新品でも中古でもしっかりサポートしてくれる」

「いつも時代にあった新製品が展示会で必ず発表されている」

「Sankoshaは我々を家族のように接してくれる。とても嬉しい」

「機械が本当に素晴らしい。全然壊れないし、壊れた時の対応がとても素晴らしい」

などなど。結果として250台以上の機械がこの4日間で売れた。日本では1年間で売れる台数がこのくらいだからどれだけの売上が上がったのか、は想像できるだろう。しかし、市場にはまだ大きな力が残っていること、そして人々は変わりゆく環境に対応しようとしていること、そこに付き合う会社の姿勢やタイムリーに出している新製品を見ながら最終的に誰と付き合っていくのか?を決めているのがこの展示会なのだ。他のメーカーはどんな結果だったのか?を私は知らない。あまり良くなかったらしい、という噂を多くの人から聞いたが真相はわからない。我々は大成功だったと思う。これからも更に時代に合わせた新モデルをどんどん発表していきたい。

テキサスの代理店MustangのDubinski家族と!

 

業界新聞National ClothelineのCarolとLeslie、そしてLAのPerfect Cleanersの社長Daveと!

 

余談ではあるが、私は帰国してから新型コロナにかかってしまった。後で聞いた話だが今回のClean Showに参加した多くの人々が感染したそうだ。考えてみれば誰もがマスクをせず、久しぶりの再会を抱き合って喜ぶわけだからかからない方がおかしいと思う。会場が大クラスターになったていたことは言うまでもない。出発前には会社で私の兄である社長が社員に向けて「くれぐれもコロナには気をつけて過ごすように!」と言ってたのにその社長と副社長が二人で感染したのはあまりにも滑稽だった。海外のビジネスにはやはりリスクは存在する。(笑

アトランタへ、と思ったら大失態!

7月28日、私は今年3回目のアメリカ出張にでかけた。今回は3年ぶりに開催されるアメリカの展示会Clean Showに参加するためだ。そして今回は子供の夏休み期間にも重なっているので妻と末っ子の二人を連れて行くこととしたのだ。私には子供が4人いるが上の3人は今回はお留守番。それまで彼らは何度か経験をしているのだが末っ子はあまり経験がない。しかも上の3人はそれぞれの交友関係や大学の関係などで長いこと日本から離れることもできないので今回は家を守ってもらうこととなった。それでも私は家族を連れて外国に出かけるのが本当に久しぶりで普通の出張と比べてテンションはもちろん上った。思い起こせば2月に2年ぶりのアメリカ出張を果たしてからすでにこの出張で今年5回目だ。毎回出張に付き物なのがコロナ対策である。日本のコロナ対策は海外のそれに比べてとても厳しい。故にこの旅においては万全の対策をしてきた。私だけだったらここまで大げさにはならないが妻と息子が一緒なのだから念には念を入れなければならない。
飛行機は午前11時45分、しかし朝7時には家を出て時間に余裕を持って行こうということででかけた。朝はやはり混んでいる。通常だったら自宅から羽田までは車で40分、しかし1時間以上はかかっただろうか…。通常の通勤ラッシュなのでこれは想定内、羽田のターミナル3に到着した。荷物をそれぞれ引いてJALのチェックインカウンターに行った。やはり夏休み前だからだろうか?ターミナルに人はあまり多くない。ターミナル3は国際線ターミナルとされている。しかし昨今のコロナでまだまだ日本を行き交う人々は少ない。無理もない、外国人は現時点で日本に自由に入国することを許されていない。一部の地域ではすでに認められ始めているものの昔のような気軽さはまったくないのだ。しかも日本に来る前に日本人も含めてすべての入国者が現地でPCR検査を72時間以内に受けてその陰性証明を空港チェックイン時に提示しなければ乗船拒否されてしまうのだ。このように考えると日本への入国はまだまだ気が重たい。そんな状況からだろうか、外国人の気配は本当に少ないし羽田に離着陸を予定している飛行機の数は昔に比べて圧倒的に少ないのが現状だ。

こんな状況で我々はチェックインを行った。閑散としたチェックインカウンター。待たされることもなくすぐにチェックインがスタートされた。そこで係員が一言質問してきた。「皆様、ESTAの登録はされていますよね?」と。私は一気に凍りついた。しまった!忘れていた!!なんと妻と息子のESTAの申請をすっかり忘れてしまっていたのだ。ESTAとはElectronic System for Travel Authorizationの略で日本語に直すと電子渡航認証システムという意味になる。いわゆる日本人がアメリカに行く上で必ず申請しなければ入国ができないアプリケーションなのだ。これは1回の申請で2年間は有効とされており、料金は$21かかる。私は今年の2月にすでに取得済みなので問題はなかった。そんなこともあり彼女らの申請を全く気にしていなかったのだ。

まずい!すぐにケータイを開いて二人の申請を始めた。我々が使っていたチェックインカウンターは急遽閉鎖、我々家族が完全に陣取ってしまった。ホームページのガイダンスに従って進めていった。それにしても質問が多すぎる。どんどん時間が過ぎていく。なかなか終わらない。焦る。昔はこのESTAは申請忘れをしていてもチェックイン時に登録して10〜15分もすればすぐに認証がおりていたものだ。しかしトランプ政権になってからアメリカの入国管理が一気に厳しくなった。それからというもののESTAはそんな簡単に認証がおりないのだ。あれだけ時間に余裕を持ってチェックインしたのに一気に時間がなくなっていく。申請忘れが発覚してしばらくして私は「もしかしたら全員で出発することができないかもしれない」と考え始めた。そんなところでJALの地上係員が「仮にお二人が出国できなかった場合はどうされますか?一人でも行きますか?」という質問をしてきた。こんなタイミングで何という質問をするのだ!と不快に思ったが、考えてみれば当たり前の質問である。そもそも問題を起こしたのはこの私だ。そんな事で文句を言っている場合じゃない。とっさに思いついた答えは「展示会が現地で行われるのだ。販売の責任者である自分が行かないわけにはいかないだろ!」と思い、「行きます」と言った。地上係員は「わかりました」ということで私のチェックインだけを進めていった。仮に妻と息子が行けなくなったらどうなるのだろうか?とすぐに考え始めた。まずはESTAの申請を終えなければ!ということで集中して申請作業を行った。

ようやっと二人のESTA申請が終了した。おおよそ9時になろうとしていた。地上係員が言う。「チェックインカウンターは出発1時間前の10時45分になったらクローズせざるを得ません。それまでにESTAの申請が通ればお二人もチェックインしてご一緒にご旅行いただけます。しかしそれまでに認証されなければ残念ですがお二人はお乗りいただくことができません。故にアプリでステータスを常にご確認いただき、遅くとも10時45分までには一度こちらにお戻りください。そこで判断させていただきます」と。まさに死の宣告のようだ。しかしやるべきことはやった。我々はこれ以上何もできないので一度チェックインカウンターを後にした。普通だったらすぐに出国審査をしてラウンジに通してもらって優雅に朝食をとる予定でいたのだが、その予定も完全に吹っ飛んでしまった。早速営業しているお店を探してみる。出発階は通常営業になっていないので開いているお店が少ない。仕方なく開いていた吉野家に入って最低限の朝食を取って時間を過ごすこととした。ラウンジで朝シャンパンと思っていたのに吉野家で朝食とは…。

しかし、こういうときの時間はなんと早く過ぎるのだろうか…。あっという間に10時が過ぎた。ESTAのページから妻の登録番号を入れる。番号が数字とアルファベットで13〜4桁あるのだが何回も打ち込んでいるので自然と覚えていた。1時間が経過したが相変わらずPending(審査中)という文字が出てくる。更に30分が過ぎて10時半になった。まだPendingの状態である。残り15分。私はもう諦めていた。この間、私はずっと自分を責めた。なぜ忘れていたのだろうか。お前さえきちんとしていたらこんなことにはならなかったのに…。そして私は一人で出かけることをやめることを決心した。JALのカウンターに行って「自分はチェックインしてしまったがやはり行くのをやめます。荷物を出せるようにしておいてください」とお願いした。先程まで行くと言っていたのに急遽やめることとなったので地上係員も焦る。申し訳ないがやはり妻と息子を置いて行くことはできない。すぐに私は旅行会社に連絡して飛行機のキャンセル、そして別の便で行ける可能性を一生懸命探し始めた。一つあった。United航空でおおよそ同じ旅程で行くことができる。しかしエコノミーで一人70万円かかると言われた。え?そんなにするのか?と耳を疑った。乗れるかどうかわからないJALは国際線往復をプレミアムエコノミーの利用で一人40万円である。これでも随分高いとは思ったがなんと70万円とは…。これもESTAを登録し忘れた自分のせいである。もう覚悟はできた。旅行会社に「もしかしたら現在の予約をキャンセルして、そのチケットを取り直しするかもしれないのでスタンバイしておいてくれ」とお願いをした。

10時40分、残り残り5分となってしまった。すでに20回以上は確認し続けただろうか…。もちろんPendingの文字を見続けていた。もう取り直しのスタンバイもできている。ここでなんと奇跡が起こった。10時41分、諦めながらもう一度確認したらなんと「Approved」という文字が出た。え?と自分の目を疑った。そして次の瞬間ひと目をはばからずに「やったー!」と大声を上げた。周りの人々がこちらをジロッと見る。構うものか!と、すぐに妻と息子の元へ走っていった。彼女らもおおよそ諦めていただけに私の走ってくる姿にびっくりした表情だった。「認証が降りたぞ!急げ!!」彼女らも大喜び、そしてすぐに荷物をJALのチェックインカウンターに持っていった。「良かったですね〜」と地上係員が言う。本当に良かった。もしこの飛行機に乗れなかったら現地で借りているレンタカーの登録情報やホテルなどにも連絡しなければならなかったし、新たな航空券で余計におおよそ100万円も支払わなければならなかったわけだから。無事に全員がチェックインできてすぐに出国した。私はすぐに旅行会社にも連絡をして予定通り飛ぶことができたことを報告した。電話越しに旅行会社もとても喜んでくれた。しかし、考えてみれば本当に自分の不注意でこれだけの人々に迷惑をかけてしまったのだからなんとも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

チェックイン、手荷物検査、出国審査とたった10分で終えることができた。あまりにも早く通過したのだが、飛行機の搭乗は11時15分からということであと20分あった。バタバタではあったが「せっかくだからラウンジに行こう!」ということでJALラウンジに直行し、飲めるはずのなかったシャンパンを妻と乾杯!我々の出国を喜んだ。息子は寿司を数貫頼んで食べていた。滞在時間はたったの15分。しかし十分に堪能できたひとときだった。

ラウンジでのひととき。「本当によかったね〜」とこの話ばかりでした。


それにしても何という3時間だっただろうか…。こんなに気持ちが落ち込んで最後に高ぶるとは思わなかった。飛行機に乗り込んだときにはもう精神的にクタクタだった。しかしこれでアトランタに行ける!本当に嬉しさと疲れが両方入り混じった気分だった。

機内に乗り込んで改めてやれやれ、というひととき。疲れがドッと出ました。(笑


皆さん、アメリカに行くときはくれぐれもESTAの登録を忘れずに!次回は3年ぶりに開催されたClean Showの様子を報告したいと思う。

ドイツは日本の将来像?

6月29日、我々はオランダのTiel(ティル)という町から一日がスタートした。朝方、いつものように5kmのウォーキングをした。知らない町を歩くのはなかなか面白い。車だと見えない景色が歩きだとあるのだ。人々がどんな生活をしているのか、どんなお店があるのか、どんな人々が住んでいるのか?などなど興味深いことが見えてくる。しかし住民からすると私のような人間が歩いているのを見るのは不気味だろう。明らかにアジア人のルックス、おおよその人々が私を中国人と間違う。いっそのこと「僕は日本人!」と書いたシャツでも着て歩けば良いのか?考えればきりがない。朝6時前の気温はなんと16℃、半袖短パンではちょっと肌寒いくらいだった。しかし歩くとオランダらしい風景がすぐに見えてきた。オランダは水の国と言っても良い。海抜1m未満の土地が国の半分を占めているのだから如何に平なのかがよく分かる。2kmも歩いたらワール川というなんとも大きな川に直面した。東京だと隅田川や荒川は十分に大きな川と認識しているがこのワール川は倍の大きさがある。船も大きいのが随分と航行している。オランダの輸送に川の活用は欠かせない。こうやって違う土地を歩くといろんな違いを体感できる。

朝5時半頃の気温。もう7月というのにこんな寒い!
ワール川のほとりを歩く。日本の川とは比較にならない大きさ。交通手段になるのも無理はない。

 

ウォーキングを終えてシャワーを浴び、朝食を済ませ、ドイツの販売代理店の社長Frank Ziermannと私は一路目標をドイツのKreferd(クレフェルト)に向けた。昔から付き合いのあるVaianoというクリーニング店を訪問するためだ。オランダの国境からドイツに入った途端に車のスピードが一気に上る。ドイツではアウトバーンという高速道路があり、そこでは事実上速度制限がない。彼の話によるとほとんどの車は250km以上になるとリミッターがかかるようになっているとのことだが…、いずれにしても恐ろしいほどのスピードが出せる。しかし200km以上出す車はあまりない。仮に200km以上出すと普通に100kmのスピードで走行している車が止まっている状態で我々が100km以上の時速で通過していくことになるのだからとても怖い。仮に遅い車が不意に車線変更することがあると大事故につながる恐れがある。そんなことを考えると平均で150kmくらいで走っているのが一番安全で心地よさそうだ。私はスピード出すのが大好きだから200km以上の運転を見せてもらってとても楽しかった。

Frankのメーターが225kmを指しているところ。速かった〜!!

 

久しぶりのVaiano、外観は全く変わっていなかった。社長のMarcoが出てきてお互いの再会を喜んだ。早速工場を見せてもらった。びっくりした。記憶にあったクリーニング工場が一変していた。それまで地域の代表的なクリーニング店だったのが一気にランドリー工場に変わってしまっていたのだ。もちろん、ドライクリーニングをやめたわけではないのだが4台あったドライ機が1台になってしまっていた。その代わりに工場の中央に洗濯機が5台ほど設置されていたのだ。それまでのことを考えるとなんとも悲しい光景だった。いわゆるドライクリーニングだけでは食っていけないと言わんがばかりの光景だったのだ。

Vaianoのお店兼工場。昔と全く変わっていなかった!
中を見てびっくり。ドライ機がたった1台しかない!!
工場の中央に洗濯機がずらり。昔はウール仕上げ機がたくさんあったのに…。


ここにはシングルのワイシャツ機が2セットとブラウス仕上げ機が1セット設置されていたはず。まだあるのだろうか?と見たらしっかり残っていた。もう10年は経っているだろう。しかし状態は悪くない。ここだけ昔の面影が残っているようだった。

昔の隊列でここだけは変わらずに残っていた。


ドイツでもドライクリーニングの売上が激減している。先代のお父様にもお会いすることができた。彼らと一緒に近くのレストランで昼食を取ることとした。そこでお父様は「昔はよかった。ドライクリーニングでとても良い商売ができた。しかし現在はひどいものだ。人々が昔のような服を着なくなってしまった」と。社長である息子さんも「僕だってやりたくてやった訳じゃない。しかしこうでもしなければ事業を継続していくことさえできなくなってしまうのだ」と。これが次世代のクリーニング業界のあるべき姿なのか!私はいろいろなところを訪問して脱ドライクリーニングでのビジネスモデル構築をイメージするようになってきたが、ここで改めて目の当たりにしてしまうと本当に日本もこうなっていくのだろう、と感じざるを得ない。
ここVaianoでは地域で需要のあるランドリーを何でも受けるようにしているそうだ。洋服ばかりではなくレストランやホテルで需要のあるテーブルクロスやシーツなどもできるだけ受けるようにしているとのこと。ユニフォームなどは言うまでもない。ここには先代のお父様と現社長の息子さんとの間で相当なやり取りがあったそうだ。しかし最後は息子さんの言うことをお父様が聞いてその方向性になったとのこと。悲しい姿になったのは間違いないが、そのときに息子さんが決断しなかったらこのお店はなくなっていたかもしれない。そう考えると息子さんは大英断をしたと言えるだろう。そしてお父様もよく容認したと思う。この気持はご本人達でなければわからないと思うがとても良いバランスで現在も推移していると思う。

右から代理店のFrank、Vaianoのお父様と社長の息子さん。昔話も含めて盛り上がった。

 

さて、昼食後に我々は次の目的地へ移動した。今度はKreferdから南に一直線、フランクフルトを越えてKarlsruhe(カールスルーエ)という町へ移動した。私がもう一つ気になっていたクリーニング店を訪問するためだ。距離にしてざっと350km以上だがFrankの運転ならば大したことはない。彼は運転し、私は時差ボケからその間ウトウト昼寝をしていた。

軽く3時間半の運転。ドイツ人はこのくらいみんな当たり前で運転する。

 

Karlsruheに到着。早速お店を訪問した。お店の名前はLausenhammer、文字通り社長の名前のクリーニング店だ。彼は私にとっての有名人である。なぜならば主要な展示会には必ず来場し、我々の新しい機械をチェックしに来るからだ。その割にはあまりSankoshaを買わないのが気になるが…(笑

Lausenhammerの外観。あまり高級感は出ていないが…
中はなかなか広くとても開放的。
お店の価格表。興味のある方は調べてください。(笑


それはさておき、このLausenhammerさんは地域の高級クリーニング店として有名だと聞いていた。私は彼のお店を今まで一度も訪問したことがなかったので気になって仕方なかった。Frankも「それじゃ行ってみよう!」ということで訪問した。ご本人との久しぶりの再会、とても元気そうで良かった。ここに価格表だけ出しておこう。これを120円で換算すると決して高いとは思わない。しかし現在はEUR=140円なのでどうしても日本人には多少高く感じるだろう。金額の話はちょっとおいといて、ここで言いたいことは町の高級店は相変わらず良い状況を保っている、ということだ。Lausenhammerはいろんなことにこだわりがあり、確かに洗いにしても仕上げにしても綺麗にやるのは事実だ。ちょっと良い服だったらここに持ってこよう、という意識がこの町の人々にあるのは間違いない。このようなお店は相変わらず今まで通りの経営ができていることも改めてはっきりしたことである。

ドライ機。相変わらずパークを使用。「パークが一番綺麗になる」と。環境問題にうるさいドイツでもパークを堅持!
仕上げ機も年季の入ったモデルばかり。人間の手で仕上げている証拠。
Lausenhammer氏と共に。とても元気そうで良かった!

 

こちらのお店を離れ、Frankの会社があるAhernという小さな町に戻り一緒に食事を取りながらいろんなことを話した。変わっていかなければいけないこと、変えてはいけないことがそれぞれあったような気がする。それを決めるのはそれぞれのクリーニング店である。そんなことを考えながらドイツ料理を堪能した一日であった。

オランダで見てきたこと

6月27日、私は今年4回目の海外に旅立った。朝8時50分のフライトなので5時40分のバスに乗って行く予定だったのだが私の長男が親切に空港まで送ってくれた。それだけでも嬉しかったが私の乗る飛行機が出発するまでずっと空港の展望デッキで見送ってくれた。乗り込む時に手を振ってくれるとは・・・、かなり特別感を感じた。
今回もロンドン行きに乗り、ヒースロー空港で乗り継いでオランダ・アムステルダムまで行ったのだがなんと長い旅行だろうか。今回もウクライナ問題が影響して西に飛ぶことができず、アメリカ・カナダの上空を飛んでいったのでロンドンまで15時間かかった。アムステルダム・スキポール空港に到着した時は既に現地時間の夜10時。ドイツのパートナーであるFrank Ziermannが迎えにきてくれた。今回は彼と共にオランダ・ドイツを1週間旅することになっている。

翌日、我々は新規オープンしたクリーニング店を訪問した。名前はFornet、そう、中国で一番大きなクリーニングチェーンであるあのFornetである。なんとオランダにヨーロッパ一号店がオープンしたのだ。場所はAmsterdam Zuid(アムステルダム南駅)から100mのところ。ここは金融街と呼ばれており、比較的スーツなどを着る人々が仕事をしにくるところである。そこになんともおしゃれなお店ができたのだ。

ヨーロッパ1号店のFornet。
Amsterdam Zuid(アムステルダム南)駅が100mくらいのところにあった。絶好の立地!

 

オープンしたのは先週との事でまだ大々的なオープンというわけではない。しかし毎日近くで仕事をしている人々は「どんなお店だろうか?」と興味津々の様子だ。Fornetのビジネスモデルは元々ドライクリーニング機が1台にアイロン台で成り立った。イタリア型とも言えるし、フランスの5a Sec(サンカセック)と同じモデルとも言える。若干違うところはランドリーも受け付けるというところだ。ワイシャツだけではなく水洗い衣類、シーツ類など全般的に受け付けるところが違うところだろう。
しかし今までのクリーニング店と決定的に違うところは店構えと思う。とにかくおしゃれにできている。歴史的に考えても今までのクリーニング店は店構えを気にする必要はなかった。それまで人々はウール製品などのドライクリーニングを必要とする洋服ばかりを着ていたのでクリーニング店は店を通じたプレゼンテーションなど考える必要がなかったのだ。気にするところは工場を通じた技術力だったのだ。しかし時代は変わった。地球温暖化、変わりゆく洋服のトレンド、ドレスコードの消失などで人々は一気にドライクリーニングを必要とする衣類を着なくなってしまった。これからの時代は「如何にプレゼンテーションに力を入れられるか?」にかかっている。そうなると今までの原価率では対応できないだろう。もっと原価率を減らす努力、それは価格を上げるのか?コストを下げるのか?それはそれぞれの意思決定と思うが更に捻出する粗利をお店のイメージやプロモーションに注ぐ必要が出てくるのだ。

フロントカウンター。とてもきれいな空間で上品さを漂わせている。
オリジナルのアイロン台。工場は極めてシンプルにできている。

 

Fornetの訪問を終えて次に向かったのはMedo Cleanという会社。今までは単体でクリーニング店をやっていたのだがやはりそれだけでは持ちこたえられない、と判断。クリーニングの多角化に乗り出していたのだ。

Medo Cleanの外観。ここは完全に工場になっていた。


さて、多角化ってどうやるんだ?というのが最初に思った疑問だった。私が今までの経験値で話せる内容とするとWash & Fold(洗濯代行)やユニフォームの下請けなどだった。しかしMedo Cleanではもはや自家処理をするほどの洋服がなかったり、従業員がいないことで処理できないクリーニング店の下請けをやることが一つ、もう一つは販売チャネルを全くの異業種にお願いしていることだ。
まず最初の下請けであるが、これはある意味イメージできる。もはや自分たちで処理する体力がなくなってしまったところは数多いと推測する。Medo Cleanがそんなクリーニング店たちの後ろ支えするのはとても良い試みと私は思った。ただし、これを日本でやろうとしてもまだうまく行かないと推測する。なぜならば各店のオーナーたちが自分の品質価値を頑なに主張するからだ。大切なポイントかもしれないがこだわりすぎると何も協力できなくなってしまう。ある日本のクリーニング店の社長さんが私に似たようなことを提案してきたことを思い出した。その人は「圭介さん、自分でできなくなっているクリーニング店をご紹介いただけないか?私はそういう人々の役に立てるクリーニング店になることができる」と。その時も私は「現時点ではまだ現実的ではないのではないか?」と答えたことを覚えている。オランダではこういう協業ができていることを日本のクリーニング経営者はもっと学んでもいいのではないだろうか?

他社ブランドのフィルムを使っているので聞いている筆者。なかなか面白い取り組み。


もう一つのチャネルを異業種に展開することであるが、この会社ではスーパーマーケットにお願いしているらしい。日本でもインショップとして展開しているクリーニング店は多いが、ちょっとこちらの形態は違う。こちらではクリーニング店関係者は一人も従事せず単にロッカーをおいて置くだけで運営そのものはスーパーマーケットに委託している。しかしクリーニングのプロはお店には一人もいないので詳しい相談などはそのロッカーに番号が書いてあり、その番号にかけることで対応する、という仕組みになっている。このやり方だと国の法律でできる国とできない国があると思う。しかしオランダはできるということなのでその方法をとっている。最近はそれぞれの地域にクリーニング店が存在しなくなってきているのでこのようなスーパーにクリーニングサービスセンターがあることで人々の役に立っているとのことだ。一方でMedo Cleanではちょっと遠い地域であっても販売チャネルが出来上がっているので売上増につながるだろう。私は「どうやってこのようなネットワークができたのか?」と聞いた。社長のMichaelさんは「最初は先方からの問い合わせで始まった。この商売をやるには立地条件が大きく左右する。だから我々はここに会社を構えたんだ」と。彼の会社の位置はユトレヒトに一番近いが、アムステルダムやロッテルダム、ハーグなどもおおよそ1時間圏内にあるのでいろんな地域でコラボすることができるという。日本で同じことは簡単に成り立たないとは思うが、異業種にお店機能を任せるというやり方は考えてみても良いことかもしれない。彼らはそれだけではなくユニフォームの下請けなどもやっていていろんな方面から仕事を受けようとしているその姿勢が結果として忙しくしている理由と感じた。

ドイツの代理店(右)とMedo Cleanの社長(中)と筆者。とても興味ある訪問だった。

オランダの業界は日本よりももっと小さい。しかしこんな環境でも力強くやっている人々がいることを再確認してとても嬉しい気持ちになった。まだまだできることはある!見方を変えていくことが大切と思った。固定概念からの脱却ができる会社が残る!これはオランダでも同じだった。