3月3日の夜、私は羽田空港にいた。日中はメンバーコースである日高カントリークラブにて月例競技に参加していた。散々だった。私はアプローチがとても苦手である。何故か力が入ってしまう。体と手が連動しない。トップしたりダフったり、ととにかく気持ちよく打てない。「俺はなんて下手なんだろう…」とため息をつきながら空港にたどり着いた。
今回はなんとサウジアラビアへ旅行する。人生で2回目の訪問である。何故サウジアラビアを訪問することになったのか?については今のところ詳細をお伝えすることはできない。ただ大きな変化がこの国に発生していることだけはお伝えしておこう。この旅の目的は訪問してから初めて知ったことになったのだが、羽田空港にいるときは旅の本当の目的を私は知らなかった。

ロバートとJALラウンジにて。夜の10時!


今回は4月から海外営業に転属になるロバートを連れて行った。彼はSankoshaに入ってすでに7年目である。彼はインドネシア人で彼のお父さんが昔、Jeeves Indonesiaの工場長をやっていたこと、そしてインドネシアの業界展示会に我々が出展した時にロバートがお手伝いとして来てくれたことが知り合うきっかけとなった。その後、彼のお父さんから「息子を数年日本で修行させてやることはできないか?」という相談を受けて快諾した。それから彼は2〜3年という期間で研修を受けさせたのだが、最後には彼自身から「インドネシアには帰りたくない。Sankoshaでずっと働きたいけどできるか?」という話に発展し、我々も快諾し現在に至っている。当時は日本語など全く喋れなかったが現在はペラペラ喋れる。組立で5年近くを過ごしたので機械や技術においてはとても明るい。今となっては居てくれないと困る一人に成長した。彼も海外営業を希望していたのでこれほど嬉しい状況はない。私も彼に海外を闊歩してもらいたいと思っていたので今回は彼を連れて市場調査に行こう、ということになったのだ。

いざ、ドーハへ。12時間のエコノミーは辛い!
ドーハから乗り換えてダンマームへ。
ダンマームの空港を出たらいきなり大きなモスク。いきなり環境の差を感じる。
右を向くと大きな宣伝。Aramcoとはサウジ最大手の石油会社。オイルマネーを感じる。

 

サウジアラビアをはじめ中東にはディシュタシュ(現地ではThobeと呼んでる)という民族衣装がある。男性が着る白いワンピースである。中東のセレブをイメージするとなんとなくわかるだろう。私はアラブ首長国連邦には何回も訪問したことがある。その際に現地代理店から「ディシュタシュを高生産できるモデルを作ってもらえないか?」と依頼をもらっていた。中東の人々は体が大きい。背がとても高い。そのワンピースを自動プレス?できるわけがない、と思っていた。しかし、コロナ禍で我々はノンプレス(英語名:Press Free Finisher)を開発した。今までこのような仕上げ機を作るつもりは全くなかったのだがこの開発により一気にディシュタシュの可能性も出てきた。しかし被洗濯物がこのノンプレスに合うのか合わないのか、それを確かめるためにも最新のディシュタシュの素材などもチェックしに行った。我々の本来の目的はこれだと思っていたのでこれは皆さんに公開しても構わない内容である。ちなみにサウジアラビアで利用されている素材はほぼ100%が綿ポリ混紡材であり、その80%が日本製というのだからびっくりである。値段の高いディシュタシュは間違いなく日本の素材を使っているのだ。

我々はカタール航空を利用し、ドーハを経由してサウジアラビア東部の町、ダンマーム(Dammam)に到着した。ドーハはドバイのように空港も空から眺めた町並みもギラギラしている感じだった。しかし、ドーハから1時間飛んだところにこのダンマームという町があるのだが空港に降りた瞬間、空港の人の数が全然少ないのにびっくりする。ギャップがあまりにも激しい。それまで観光ビザなどあり得なかったこの国である。私は正直すんなり入国できるのかどうか、自信がなかった。しかし入国審査はあっという間に通過できたので拍子抜けした。荷物待ちをしていたらロバートの荷物が出てこない。ふと自分が20年前にリヤドを訪問したときのことを思い出した。私もあのとき、荷物が出てこなかったのだ。あのときはかなり閉鎖的だったのと私が乗り継いだのはフィリピン・マニラだったので1日に1度しかフライトがなかった。結局、到着日の3日後にやっと荷物がやってきたのを覚えている。とにかく着替える洋服もなくとても不便だった。あのときの嫌な思い出が蘇った。しかしドーハとのフライトは1日に数便あると言われ、本日中には届くことも報告されたので安堵した。

早速、出迎えてくれた人々と合流し、我々は色々な施設を訪問した。ここでサウジアラビアの状況について報告しよう。サウジアラビアは現在、人口3400万人と言われている。まさしくオイルカントリーであり、枯渇するかもしれないと言われている石油が継続して産出されるとても恵まれた国である。しかし、石油以外に頼れるものがない。そして世界は「脱石油」に躍起になっている。車においては電気自動車化が進み、ガソリンの消費量が落ちている。ありとあらゆる分野で脱石油がお題目になっていることからサウジアラビアは石油のみに依存することなく国の繁栄を目指していく体制に変わったのだ。それが「観光ビザ発給開始」につながっているのである。

あるスーパーの品揃え。こんな砂漠の国でなんとも豊かな品揃えだ!
飲み物のラインナップも豊か。
私にとって唯一残念なアルコール。全てノンアルである。


それにしてもなんと豊かな国なのだろうか。私はスーパーマーケットを訪問したがびっくりするほどの品揃えである。ないものはなにもないほど豊富だ。お魚を食べる習慣があまりないのだろうか、魚の品揃えはとても貧弱である。肉においてはイスラム教の影響から豚肉は全く食べない。牛肉はあったが一番人気なのは鶏肉とラム肉である。無論、ケンタッキーフライドチキンはこちらでもかなり出店されているのがわかった。ファーストフードといえばマクドナルドもすごい数が出店されている。コーヒーで言えばStarbucksの出店もすごい。ある意味日本とほぼ変わらない町並みといえる。唯一違うのはお酒がないことである。ビールがあったがノンアルコールビールだった。毎日ワインを楽しむ私からするとこれがとてもキツい。今回は2泊しかしないのでなんとか耐えたがお酒がないのはやはり困る。

クリーニングでいうと今回の訪問を要請してきたLavenderyというクリーニング店がある。多くのサウジアラビア人はクリーニング店を利用してデュシュタシュや頭に被る布をシュマルというがこれらを出している。特にシュマルについてはスプレーの糊をかけながら生地を三角に折った状態で少し固めにプレス仕上げをするのだがこれがかなり独特。なかなか家ではできない品質と判断できる。サウジアラビアにはすでにJeevesも存在していた。びっくりした。(あとで聞いた話しによるとこのサウジアラビアのJeevesには我々の仕上げ機が納品されているらしい)ということでクリーニングサービスはある程度日常的なサービスとして地元の人々(サウジアラビア人)に利用されているようだ。

夜に訪問したLavendery。素晴らしい店構え。
デュシュタシュの仕上げ風景。オペレーターはパキスタンからの出稼ぎ。これが現実である。
シュマルの仕上がった状態。スプレー糊でのアイロンがけなので心地よい硬さになっている。


ここでアラブ諸国の人口事情について説明しておこう。サウジアラビアは3400万人と言われているがすべてサウジアラビア人ではない。彼らはあまり働かない。家族を世話しなければならないとか様々な理由で働かない。しかし国が補助してくれる。代わりにインド人、パキスタン人、バングラデシュ人、フィリピン人が出稼ぎとして働きに来ている。最近はネパールからも人が来ているらしい。これはサウジアラビアだけの話しではない。例えばアラブ首長国連邦のドバイは人口1000万人いると言われているが実際のドバイ人は100万人しかいないそうだ。残りはすべて外国人であり、彼らもまた出稼ぎとしてやってきているのだ。石油に恵まれた生活を送っている人もいればお金を求めて重労働を買って出る人々もいるわけだから世の中は不条理としか言いようがない。

これからサウジアラビアには頻繁に訪問することを感じて帰ってきた。次回の訪問時で新しいことを感じることがあるだろう。また訪問することがあったら第二弾として紹介したいと思う。

Sankosha Europe設立に向けて

2月4日、私は家で夕食を済ませてそのまま羽田空港に向かった。夜中の1時のフライトでヨーロッパに行くためである。羽田空港は24時間空港になっているが私は夜中のフライトを利用したくない。夜と言うのはどうも都合が良くない。私は基本的に毎日ワインを楽しむ。そして夜は遅くとも22時には就寝する。そんな生活をしている人間が夕食にワインを飲まずに寝る時間に空港にいる、というのは調子が狂う。JALはそんな時間でもラウンジをオープンしてくれているのだからこれはとてもありがたい。空港のラウンジに入ったらすぐにワインを飲ませてもらった。そして設備されているマッサージチェアでリラックスしたらなんと寝てしまった。気持ち良いところでふと時間を確認したらなんと出発10分前ではないか!一気に血の気が引いた。急いで荷物を手に取り出発ゲートに急いだ。案の定、ゲートでは最終ボーディングコール中だったので間一髪、他の皆様に迷惑を掛けることなく乗ることができた。本当に危なかった。だから夜中のフライトは嫌いだ!

なんとか乗れたフライト。危なかった!!

 

今回は4泊6日の旅で4ヶ国を訪問した。訪問順にイタリア、ベルギー、デンマーク、イギリスである。国際線はロンドン行きであるがそこから乗り換えてイタリアに向かう。これから毎日違う国を飛行機で移動しながら訪問するのだから忙しさ極まりない。今回の目的はそれぞれの国の代理店を訪問し、今年6月に予定しているSankosha Europeの設立、そして新しいメンバーたちと共に今後のヨーロッパでの機械販売、そしてサポートの運営をやっていく。そのことを既存代理店に説明し、その理解と協力をお願いするためである。このSankosha Europe構想は昔からずっと持っていたのだがなかなか実現しなかった。実現させるためには協力してもらえるパートナー、そしてそれを運営する資金、そして売れるマーケットが必要だった。残念ながらどれもこれもが十分ではなかったのだ。Sankoshaブランドはヨーロッパでも一番信頼できるブランドとして有名ではあるが、やはり価格が高い。実際、ヨーロッパのクリーニング業界はアメリカ業界と比べて会社の利益率は総じて低い。故に価格に対する感度はとても高いのだ。その状況において、イタリアのメーカーが代理店を通さずに直販をすることが多いことから価格はどうしても低くなってしまう。それらに対応できる価格力は残念ながら我が社にはない。我々が直接サポートできる部隊がいない限りイタリア勢と張り合うことはできないのだ。
次に製品であるが、ヨーロッパのクリーニング業界はアメリカほど工業的ではない。工業的ではない、ということは工場に量が集まらない。ということは、オートメーションが必要ない、そして高生産モデルを必要としないのである。それにより最も求められないのは集中ボイラーである。日本やアメリカではクリーニング工場にボイラーを設置するのは当たり前の発想である。その日本で育まれたSankosha製品はボイラーが工場に設置されていないと動かすことができない機械となっている。イタリア製品においてはボイラー内蔵モデルが開発されている。逆にこれがなければヨーロッパでシェアを獲得することは不可能だったのだ。ここでボイラー内蔵モデルという機械を説明しよう。「ボイラー内蔵」という言葉どおり、機械に給水設備をするだけで機械の中にGenerator、いわゆる発蒸装置がついていて、その装置を通じて蒸気が機械に供給される、というモデルである。その機械を動かすためだけに用意されている発蒸装置なのでとても経済的である。なぜならば機械を使わないときは発蒸しないからだ。使うときだけ活動するのがとても魅力である。しかも灯油などを必要としない。電気で発蒸されるのが素晴らしい。問題は容量が基本的に小さいことだ。アメリカのように8kgの蒸気圧などで作業することはできない。それだけ発蒸する容量がないのだ。それを逆に8kgまでできるようにすると不経済なモノになってしまう。だったら集中ボイラーを購入した方がよっぽど良い。しかし、ヨーロッパではランドリーの発想がまったくない。今まではドライクリーニングだけで十分だった。故に水洗い衣類を濡れた状態でプレスしながら乾燥させることなど考える必要がない。だからウール仕上げ機、ウールプレス機があればよかったのだ。ウールを仕上げるのに蒸気圧は高くある必要がない。だから高圧を必要としなかったのだ。いずれにしてもここが設備に関する工業的を目指すのか、目指さないのか、という経営判断になるわけだ。

これがボイラー内蔵モデル。見た目はシンプル。
こちらはシャツ仕上げ機。これもボイラー内臓モデル。


故に、現在の中国市場においてイタリアブランドが席巻しているのもうなづける。中国ではクリーニング業界がこれから工業的になるのかならないのか、の過渡期である。まだ工業的とは言えない市場においてボイラー内蔵モデルは不可欠といえる。ボイラー内蔵モデルはヨーロッパ市場においては必要不可欠モデルであるのに対してSankoshaは用意がないのだ。売れるわけがない。一方でアメリカや日本のような市場でイタリア製品が全く売れないのもおわかりになるだろう。工業的ではないからだ。低価格、大量生産を求めるマーケットにおいてイタリア製品は全く合わないのだ。同じプレス機にしてもこれだけ市場のニーズが違うと全く同じ製品を投入しても売れる市場と売れない市場が出てしまうのだ。

これだけ条件の合わないヨーロッパ市場なので残念ながら我々の市場シェア率は低い。その状況を打破する可能性がこのSankosha Europeという新しい存在になるのだ。協業する相手は2004年からドイツで代理店活動を続けているZiermannという会社である。社長であるFrank Ziermannとはもう20年の関係を保っている。私の一つ年上、お互いに尊敬し合っている仲だ。彼には3人の子供がいるがその一人が昨年2023年8月末から2024年2月まで6ヶ月間Sankosha本社に滞在し、組立やアフターサービスの教育を受けた。彼の名前はMaxという。正直良く頑張ってくれた。その彼がSankosha Europeの顔になってくれる。これ以上ない境遇である。我々はこれをチャンスと受け止め、ヨーロッパ市場への強力な参入に力をいれていく。
中国向けに開発したGenerator付モデルを順次ヨーロッパ市場に投入していく。これによりZiermannの元々の活動も強固になっていくし、Sankosha Europeの活動にもますます力が入ることになるだろう。我々のタッグはまさにWin Winの関係になるのだ。

ただ、今まで付き合ってきた代理店達は不安を隠せない。それまでダイレクトに取引してきたのにこれからはZiermannを通して活動することになるからだ。価格はどうなるのか?本当に迅速なサポートはしてもらえるのか?そもそも我々しかSankoshaブランドをサポートしなかったのに競合がサポートすることになってしまうのか?など枚挙にいとまがない。今回はその説明をMr. Sankoshaである私が直接しに行くのが目的だったのだ。前置きがとても長くなってしまったが、それ故に短い期間でできるだけ多くの代理店を訪問したかったのでこういう旅程になったのだ。故に一つひとつのマーケットをゆっくり見る暇がなかったのでこれはちょっと残念ではあったが仕方ない。

イタリア代理店との夕食。
ベルギー代理店との夕食。
デンマーク代理店との夕食。
イギリス代理店との夕食。

 

その中でもデンマークだけは伝えておこう。なぜならば今回が私にとって初めての訪問だったからである。デンマークは人口600万人ととても小さな国である。首都であるコペンハーゲンにおおよそ180万人が住んでいると言われていて人口のおおよそ1/3が集中している。クリーニング店の100店程度しかないと言われていて市場はとても小さい。このように考えてみると「人口=経済」というのはうなづける。やはり人口が多くなければ経済は成り立たないのである。当然、これだけの人口なのだからクリーニング業が工業的になるはずがない。それは仕方ないのであるがそれでもSankoshaのワイシャツプレス機は売れる。何故か?それは高騰する人件費があるからだ。人件費はヨーロッパではおおよそ15ユーロ/時間が一般的である。しかし会社はそれに年金や福利厚生をカバーしてやらなければならないので国によってその率は違うが30%〜50%を上乗せる必要がある。日本人からすると天文学的な時給になってしまう。ちなみに1ユーロ=160円である。皆さんで計算してもらいたい。いくらになるだろう?日本では想像を絶する時給になるのだ。そうなると原価低減のニーズが出る。ここに我々のワイシャツプレス機が合致するのだ。デンマークでも2〜3台はすでに売れている。大した数ではないがこういう市場にも入っていくのは嬉しい限りだ。

デンマークに入っているワイシャツ仕上げ機。

 

改めてヨーロッパ市場については報告したいと思う。4月にロンドンで展示会があるのでそのときにイギリスの状況については報告できるのではないかと思う。まずはSankosha Europeが素晴らしいスタートを切れるように私も協力していきたいと思っている。

 

5年ぶりの中国

1月16日、私は羽田空港にいた。今年最初の出張は中国・大連であった。Sankoshaには大連に営業所がある。私は5年ぶりに彼らを訪問する。中国はコロナを通じて世間と完全に関係を絶っていた。それが現在はどのようになっているのか、を知る上でとても興味深い出張だった。

大連は日本人にとってとても行きやすい場所である。多分、中国で一番日本人にとって行きやすい場所である。しかし、中国東北部は経済の過疎が進んでいる。経済の首都は上海、広州に移動していて東北部は衰退の一途を辿っている。大連に到着したときには活気が全く無いことに愕然とする。というのもコロナを通じて日本とのビジネスが全くなくなってしまったことが原因らしい。やはりビジネスというのは人々のライフラインに繋がっているのだ、と改めて痛感した。

事務所で久しぶりにみなさんと一杯!やはりリアルで会うのはとても幸せ!

 

事務所に行ってメンバーたちと4年ぶりの再会となった。元気そうで良かった。兄、私を始め4人が大連に訪問したのだが、やはり直接対面するのはとても気持ちが上がる。それまで感染症を恐れてZOOMのようなオンラインミーティングを推奨している気配が世界中であったがやはり直接会うことに勝るものはない。会うととても気持ちが上がるのだ。皆、会った瞬間に抱き合って再会を喜ぶ。まるで私が2022年2月にSankosha USAを訪問したことを思い出す。あのときはWesさんと会った瞬間に涙が出て仕方なかった。そのくらい、人々はオンラインで会うことではなく直接会うことに思いを馳せるのだ。人間は会わなくては駄目な生き物なのだ。とにかく彼らが元気で居てくれてよかった!

さて、中国のビジネスについて話をしたいと思う。まず、びっくりしたのは中国で進んでいて日本が全く進んでいないのがデジタル化と思った。彼らには日本のLINEと同じようなWe Chatというアプリがあるのだがそれに支払い機能がついている、いわゆる「We Chat Pay」というのがあるのだ。日本でもLine Payとかあるが影響力が全く違う。中国ではWe Chat Payを持っていなかったら全く世の中で生きていくことができない。まず、人々がコンビニやそこら辺で買い物をするのに現金を使うことがない。日本はある意味かなり遅れているが現金主義である。これをそのまま中国でやろうとしても全く通じない。人々はすでにキャッシュレスに意識が固まっているのだ。これが中国である。

大連のダウンタウン。お昼というのに全く人が歩いていない。
商業施設も多くが空き家となっている。これだけネットショッピングで生活が成り立っている証拠か?

 

もう一つびっくりしたことがある。あるタイミングでショッピングモールに行ってきたのであるがそこに車のショールームが6〜7箇所もあったことだ。我々日本人はショッピングモールに車の営業所があると考えるだろうか?まずありえないだろう。車というのは基本的に車に乗ってエンジン音や加速感、ハンドルの切れ具合なども確認しながら車を買うのが世の中の普通である。中国ではそれがない。というのも電気自動車だからなのだろうか。基本的に加速感などは一緒なのか?私はあまり電気自動車のことがよくわからないがエンジンのような差がないからこんなショッピングモールで販売ができるのだろうか?いずれにしても車が家電化したのだと言える。私にとって非日常を目の当たりにしてとにかく驚いた。

これがショッピングモールの中にある販売店。
とてもおしゃれなお店。これが車の販売店。まるで家電だ!

 

では、中国のクリーニング業界はどうなのか?というとこれもなかなか面白い。なんとインターネットでのクリーニング業がとても勢力を伸ばしていると言うのだ。ここにはもう一つの中国の傾向があるのだが、人々はネットショッピングを常用化している。実際に大連の街を歩いてみても確かに人の数が少ない。日本では一部のネットクリーニング業者がそれなりの売上を上げているがはっきり言ってまだまだ店舗や外交のクリーニング業の方が目立っている。しかし、中国ではすでにとても有名なネットクリーニング業者が出てきているのだから全然日本の歴史とは全く違う歩み方をしている。ただ、中国のクリーニング業は日本から30年は遅れていると言える。というのも中国ではようやくクリーニングの大衆化が始まってきたからだ。日本がクリーニングの大衆化に入ったのは80年代だろうか?それまでの価格が一気に安くなり、多くのお店が洋服の量を扱うことで売上と利益を出そうとした時代に突入したのだ。中国はまだ大衆化していないといえる。何故ならばまだまだクリーニングの料金が高いからだ。

大連の富裕層が生活しているところにあるFornet。お店の作りもとてもおしゃれ。ちなみにFornetはどこでもこのくらいきれいにお店づくりができている。
お店のカウンター。すぐ後ろにドライ機が設置されている。これが日本で言う昭和のイメージなのか。人々にちゃんとやっている証明でもしているかのような置き方である。

 

実際に大連でフランチャイズをやっているFornetを訪問した。オーナーさんに会って色々話を聞いた。中国では富裕層を相手にやらなければ成り立たないと言っていた。価格を見てみるとワイシャツはなんと26元、1元がおおよそ20円なので500円を超える料金なのだ。外国為替は円がどの通貨に対しても弱いのでこのような計算になってしまうのは仕方ない。アメリカドルが110円くらいのときに中国元が15円という時期があった。仮に15円で計算しても390円になるのだから如何に価格が高いか、を認識していただくことができるのではないだろうか。このように考えてみても価格が高い、ということはそこまで洋服の量は集まらない、しかし利益率はとても高いので問題なし、というのが現在のクリーニング業で生き残っているところなのだ。

彼らの価格である。この値段に20を掛けると現在の日本円になる。感じ方は皆さん次第!しかし中国ですよ。


これから低価格のクリーニング業者が入ってくることで競争の激化が予想される。中には低価格を実現するためにクリーニングの品質低下を政策的に進める業者も出てくるだろう。こんなところがこれから中国で起こってくる傾向なのだろう。生き残るためにはやはりクリーニングの品質を如何に高く維持できるか?がポイントとなると思う。それをどれだけの人々が理解し、実行できるだろうか?特に高級クリーニングとして認知されているお店がそのポリシーを貫き通すことができるかどうか次第と思う。訪問したFornetはとても安定しているとのお話を聞いたので是非頑張ってもらいたいと思う。

いずれにしても中国はこれから成長期に入ると思われる。世界のクリーニング業界はほとんどが衰退しているのに対してこの時期に成長する市場があるのはとても珍しい。その中国がこれからどんな道を歩んでいくのか?とても楽しみである。

2024年を迎えて

あけましておめでとうございます。今年も多くの人々に有益な情報を提供できるように活動、そして執筆できればと思います。今年もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

2024年は元旦から能登半島地震、そして2日には羽田空港で日本航空と海上保安庁の飛行機が衝突炎上するという痛ましい事故でスタートした。被災された方々やこの事故で亡くなった方々には心からお悔やみを申し上げたいと思う。何とも言えない2024年スタートだった。

私の会社は5日から開始した。しかし、私には新年早々から来客があった。シカゴのCD One Price CleanersのRafiq社長が元旦に来日したのだ。先月、私はシカゴを訪問した時に彼と会食をしたのだが、そのときに彼が1月上旬に韓国と中国を訪問する話をしてきた。「韓国と中国に行くのになんで日本には寄らないのか?」と詰め寄ったら「行ってもいいなら喜んで寄りたい」と言い返してきて、急遽日本に立ち寄ることとなったのだ。しかし私が聞いていたのは4日の到着予定だった。故に3日に「明日は何時に到着する予定なのか?」とショートメッセージで質問したら「もう日本にいる」というのだ。この返答に私は慌てた。彼は4日に到着、しかも成田空港の到着と聞いていたので4日の会食は用意していなかったのだった。急遽家族会議になった。4日夜も会食してあげたら喜ぶだろう、ということで家族全員での対応となった。

4日、急遽実現した家族との食事。本人も家族と会話できたようで楽しかった様子。
翌日、会社を訪問して早速新製品ノンプレスを見学。思った以上の仕上がりでびっくり!
兄と3人で記念写真。後ろの創業者はまだ生きてます!(笑

 

ということで新年早々からなんともバタバタした仕事始めとなったのだが、彼を5日と6日にいくつかのクリーニング店に見学に連れて行くミッションが発生した。彼の訪問を快く受け入れてくださった見学先には心から御礼を申し上げたいと思う。敢えて今回訪問した客先名はここでは伏せておきたいと思う。どのクリーニング店においても彼にとってはとても有意義な訪問だったようだ。どうしても訪問先を知りたい方は私のFacebookでチェックして欲しい。

さて、CD Oneの話はこのくらいにしておいて本題に入りたい。私はその翌週も精力的に7件の顧客訪問を新年の挨拶として行った。実に様々なクリーニング店の現状を見させてもらった。そこで現在のクリーニング業の実情を私はこのようにまとめた。

  1. 入荷点数はコロナ前に対して20%の減少
  2. 価格はコロナ前に対しておおよそ30%の値上げ(していないところもあるが)
  3. 点数の増加は望めない。だから単価上昇と利益率上昇を目指すところがほとんど

この方程式に合っているところは過去最高益に恵まれている。素晴らしい結果を出しているところは営業利益率で10%以上を達成している。しかしこの方程式に合っていない(特に値上げが成功していない)と利益率にとても苦しんでいる。どっちつかずの経営判断が原因なのだろう、と言わざるを得ない。
一方で、その減った入荷点数を増やそうと努力している会社もあった。ある施設のレンタル衣類、ユニフォーム、老人ホームの私物洗濯など色々あった。クリーニング工場は洋服を洗い、仕上げることで成り立っている工場なので洋服から脱却することは難しいと思うが、ドライクリーニングばかりがビジネスではない、という発想はすばらしいと思う。私は予てから「ドライクリーニングは富裕層に対するビジネス」と言い続けてきた。しかし、日本はその方程式に逆らうように中流層による需要がとても大きく、10億円以上の年商を上げたクリーニング店が日本全国で80社近くもあった時期もあった。中流層を顧客に迎えようとするならば、最も気にしなければならない条件は「価格」であった。故に多くの会社はワイシャツ100円、ズボン350円、ジャケット450円と低価格を打ち出し、非効率的な洋服は受け入れず、この3つのアイテムで勝負をしたのだ。私はコロナ前までの日本の時代を「売上至上主義時代」と定義していた。この時代に利益率を語る人はとても少なかった。むしろ売上が上がっていればなんとかなる、と考えている人々ばかりだった。それだけクリーニングを利用する中流層が彼らを潤わせていたのだ。この方程式は世界の流れを知る私からするととても非現実的に見えたし、我々メーカーはこの厳しい環境により更に精度の高い機械を生み出すことができたのだ。ちょっと宣伝をさせてもらえるならばSankoshaの品質基準は世界で群を抜いてトップだと言えるだろう。

しかし、この完全なる方程式がコロナによって完全に打ち壊された。中流層がクリーニングを利用しなくなったのだ。いや、利用し続けているが利用する頻度が大きく減ったのだ。クリーニング店は利益率を気にしなくても入荷点数が多いから「利益率は低くても利益額は大きい」という概念で事業を経営してきた。しかしその入荷点数が減った事によりその方程式は壊れてしまった。要はこの状況に柔軟に対応することができた会社が最高益を上げており、それに対応できない会社が赤字を計上することになってしまっているのだ。
さて、はたして10%の営業利益率を達成できている会社は日本全国でどのくらいあるだろうか?ここで一つ条件を入れておきたい。多くの個人店は「ウチのお店は上がっている」というのだ。しかし多くの個人店は自身の給与を収支に対して設定していないことが多い。要は売上から原価を引いて仮に人を雇っているとしたらその人の給与はその勘定に入れている。しかし自身の給与を設定してないことがとても多いのだ。「残ったら全て自分の給与」と考えているのだろうか?これでは商売にならない。あらかじめ、自分の設定所得を決めて儲かろうと儲からなかろうとその給与は取りながらそれでも利益を残す体質にしていく、というのが基本的な企業努力と言えるだろう。それで10%取れるのかどうか、を是非考えていただきたい。

一方でCD OneのRafiqはシカゴという大都市に居ながらとても価格を重視したクリーニング店経営を行っている。多少価格を上げても人々はついてくると思うのだが、彼は価格を最重要視している。ちなみにシカゴではワイシャツの価格がおおよそ$4.00が平均と思うが、彼のお店では$2.29で提供している。「どうしてそこまで低価格にこだわるのか?」と聞いてみると「価格を上げるのは簡単だ。しかし価格を上げるということは利用可能性のある人口を減らしてしまうということになる。利用可能性のある人口を減らすとそれこそ業界の衰退につながる。僕は絶対に利用人口を減らしたくないのだよ。だから価格にはこだわる。」と言っていた。彼はこれこそ業界に貢献することだと感じている。実際に日本にはこのようなスピリッツを持ち合わせている会社がまだまだ多く残っているように感じる。日本は超中流社会なのでお金持ちを相手にしてもその市場はとても小さく、中流層を相手にしたほうがビジネスを大きく展開することができると思っている。実際に年商10億円以上の会社はまだまだたくさん残っているのも事実だ。昔はその売上額で会社の優劣を判断しているようにも感じたくらいだ。「大きな売上のある会社=とても優良な会社」と判断していた人はとても多かったのではないだろうか。ただ、日本においては価格安で売上が10億円以上あったとしても10%以上の営業利益を出せているところは多くない。この考えではこれからの時代においてはジリ貧になっていくのは間違いない。やはりしっかり利益を出す事を考えて行くべきではないか、と思う。

2024年はなにか大きな変化が起こりそうな予感がする。建築基準法の問題、ドライクリーニングの衰退、TOSEIがエレクトロラックスに買収されたこと、水洗いの可能性などなど。何か新しい活動をするにもお金がいる。そこで利益がそれまでの事業でどれだけ出ているか?がポイントとなろう。私はどんな状況になっても柔軟に対応できるように利益だけはしっかり出せる体制づくりをしておくことをおすすめしたい。そのために価格の再検討、価格に対する原価率のチェックなども是非行っていただきたい。更に先の見えない世の中ではあるが皆さんの健闘を祈りたい。

2023年を終えて

現在、日本時間の午後10時。もうすぐ2023年が終わろうとしている。まずは今年様々な場所を訪れたがそこに関わってくれた皆様には心から感謝したいと思う。おかげさまでとても有意義な旅を送れたことを報告したい。

今年はJALだけでざっと20万マイルを乗った。アメリカを中心に行ったのは間違いないが今年はシンガポールを皮切りにオーストラリアやヨーロッパ、韓国、香港など様々な地域を訪問した。最後はハワイへの訪問であったが今年はまさしく「ノンプレス(海外ではPress Free Finisherと命名しているが日本語ではノンプレスと命名しているので以降はノンプレスで続けていく)」の年であったと言える。アメリカでは段階的にノンプレスの存在を全米に知らしめていったのだが、12月は単月で8台のオーダーを頂くまでに至り、アメリカで最も注目されている機械がノンプレスになったことは報告しておきたいと思う。ただ、最初にリリースしたのは日本市場なのだが、本当に最初から購入してくれたお客様がいたことにより更なる課題や改善が見えたことにも感謝しないといけない。もちろん、我々はその起こった問題に対して納品したすべてのお客様にその対策をさせていただいたこともここで報告しておく。オーストラリアではかなり早いうちからノンプレスの価値に気づいてくれたお客様に販売を進めた結果、1週間のオーストラリア出張を4人で行い、4件の客先に対して改造メンテナンスを行ったことも記憶に新しい。新しい機械を販売するということはそれなりのリスクがある、ということだが我々はそれでも進めていく必要があると思い、敢えて海外への販売も同時に進行していった。世の中ではこの機械の形は「トンネル仕上げ機」もしくは「Steam Tunnel」と呼ばれている。はっきり言ってあまりイメージは良くない。なぜならばそれらを使って仕上がった状態を人々が考える「仕上がった状態」には絶対にならないからだ。一種の補助的な機械でそれから更に仕上げ工程に移動するわけでその機械の意味が本当にあるのかどうか、甚だ疑問に思っていた我々がノンプレスと名付けたのもそういうわけで「それは決して今までのトンネル仕上げ機とは全く違う」という意味も込めてこの名前になったのだ。命名したのは私の兄である社長なのだが。

いずれにしても今年はノンプレスの広報活動にすべてを捧げたJAL20万マイルだったような気がする。考えてみれば最初の海外出張であるシンガポールもノンプレスを買いたい、というお客様を訪問したものだった。オーストラリアへ機械の改造をしにいったのは夏頃だったと記憶する。アメリカにノンプレスを送り込んだのは今年始めだったような記憶がある。しかし、最初はSankosha USAもこの機械をどのように使いこなすのか、誰が上手く使いこなしてくれるのか、などわからないことばかりだったのであまり大々的に宣伝しなかったのだ。しかし、今年の後半から購入してくれたお客様達がそれぞれに感謝のコメントを色々なところでしていただいたことから段々とノンプレスを宣伝するようになっていった。ちなみに今月12月だけでも8台のオーダーをもらっている。如何にアメリカでもこの機械がクリーニング店のコスト低減に貢献すると考えられるようになったのか、を物語っている。一方でヨーロッパではその宣伝活動に遅れをとったのは事実である。2022年11月にDetergoというミラノ展示会に初めてノンプレスを出した。その出展機はスイスのTexpressという客先にモニタリング設置してもらえることになって、納品してからおおよそ1年が経っていた。11月下旬にフランスにてTexcare Franceという展示会があり、そこでノンプレスを初めてフランスにお披露目したのだが、その展示会後に弊社のエンジニアであるロバートと二人でスイスに移動し、1年前に使ってもらっていた機械を新しいモデルに入れ替えた。1年前のモデルはまだヨーロッパ工業規格(CE)に準拠したモデルではなかったのでこれからも使ってもらうためにはきちんとCEに準拠しなければならない。今回はその入れ替えを行ったわけであるが、お客様はすでにその機械の購入を決めてもらっていたので敢えて入れ替え作業を行ったのである。今年も本当に色々なところを訪問したがざっと2/3はノンプレスのための出張だったのではないか、と思ったくらいである。

それにしても今年も多くの人々に会った。まだまだコロナ後の2023年だったので懐かしい再会はたくさんあった。しかし、会いに行かなければ味わえない感動があるのだ。訪問したから会えた人々が沢山いた。その人々から色々な情報を聞くこともできた。彼らも一方で私の世界の話を聞いていた。このように考えるとZOOMなどオンラインで得られるものは残念ながらない。人とは会うことでモチベーションを感じる動物でありオンラインミーティングなどで心が通じ合うものではない、と改めて理解した。「人々と会うことはこんなに素晴らしいことか!」と感じたのは昨年2022年も一緒であるが今年は再確認した年であった。故に来年もできるだけ多くの国を旅して地域の人々の役に立つ機械づくりをしていきたいと思う。間違いなく

一部の地域では戦争というとても悲しい状況に遭遇しているし、その戦争によって経済的に苦しんでいる国々もあると承知している。世界は決して満足度の高い状況にはないのは事実である。しかし我々はできることをやっていくしかない。私はクリーニング・ランドリー業界に携わっている人々により高い利益を提供できる機械づくり・ソリューションづくりを続けていきたい。多くの人々にとって2024年は幸多き年になりますように。これを以て私の2023年のブログのクロージングとしたい。来年も引き続きお付き合いいただければ幸いである。

Sankosha USA 30周年

Sankosha USAが1993年に創設されて今年で30周年を迎えた。まずは多くの人々に支えられて現在を迎えることができていることに社を代表して感謝したいと思う。

11月13日、私はその記念イベントに参加するためにシカゴへ飛んだ。翌日14日から16日まで3日間のオープンハウスを行う予定で多くの人々が来社することになっている。このイベントのためにノンプレス(Press Free Finisher)を披露できるようなスペースを用意しなければならなかった。9月からスタートしていた増築工事も13日にはおおよそ終了し、倉庫のスペースが広くなった。いままで一番大きかった機械はダブルボディのワイシャツ仕上げ機だったがノンプレスは全く比較にならないほど大きい。結果として残念ながらショールームにノンプレスを入れることができないため今回は倉庫の一部スペースでノンプレスを披露することとした。(イベント後でわかったことだがノンプレスはショールームに設置できた)

5m位を増築した。ドアが1枚増えた。
まだ完全な状態ではないがほぼ完成!

それにしてもとても素晴らしい準備ができていた。30周年記念ロゴをあしらったお土産用のTシャツ、マグネットにポストイット、そしてそれを入れている袋、入り口にしいてあるカーペット。我々がユニフォームとして着るポロシャツにもしっかり記念ロゴが入っていた。私はかねてからブランディングの重要性を人々に説明してきた。ブランディングは人々にその会社と付き合うことに誇りをもたせる上でとても大切な要素だが、多くの会社は対顧客に対してのみ考えていることが多い。しかし本当に必要なブランディングはアウターブランディング(対外的なブランディング)ではなくインナーブランディング(社内向けブランディング)なのだ。会社の顧客による評判が高く、会社の収益力が高く、自分たちの収入にある程度の満足感があり、その上で会社のロゴがいつもそばにあると社員はそのブランドのついている洋服などを喜んで着る。彼らが会社に属していることを心から誇りに思っているからだ。それだけSankosha USAはとても上手く行っていると思う。その原動力になっているのはSankoshaUSAのトップをやっているWesさんの企画力に尽きる。一方で日本のブランディングはアメリカほど高くない。ここまでできたら良いな、と思いながら自分の企画力の低さに悲しくなってしまう。

オープンハウスの招待状。招待する日がちゃんとそれぞれ違う。
お土産用のTシャツ。昔使った記念ロゴも一緒に入れてある。
お土産用の袋。ここまでしっかり用意できることがすごい!
入口においてあるカーペット。
倉庫に設置したノンプレスと見学用の椅子。

 

さて、イベントは3日間と申し上げたが、それぞれ招待客にコンセプトがあった。14日は全米からの招待客、15日はシカゴ地元のクリーニング店や日頃お世話になっている会社関係の人、16日は販売代理店限定という設定になっていた。これが面白いことに毎日来社された人々のカラーが違うことで雰囲気が全然違うのだ。例えば14日は広範囲な地域からいわゆる地域一番店のクリーニング店が来社された。機械は重要であるがむしろそこで会った人々同士が色々な話をすることでここに来た価値を感じている。15日は地元の人々としたが、日頃我々のビジネスを支えてくれている会計事務所や法律事務所、輸送業者など多岐にわたる。その彼らは実際に我々の機械など見たことがないのでとても新鮮な気持ちで我々の機械を見学していた。そして16日は代理店である。もちろん、彼らは我々の機械を販売することで生計を立てている。3日間の中で彼らが最も真剣な目で我々の機械を見つめていた。特にノンプレスに対する注目はとても高い。アメリカではすでに20台のノンプレスが販売されている。販売を経験している代理店がまだ販売したことのない代理店に色々アドバイスをしているのがとても印象的だった。一方、14日ではノンプレスをすでに購入し、自社の工場で使っている4人のお客様が他の興味を持っているお客様に色々説明してくれた。これらの人々の話は純粋に参考になる。今回のイベントにおいて我々は「30周年記念」という感謝を会にしていたので営業を目的とした活動は一切行わないこととしていた。しかし、来社した人々は我々の会社に来るのだから機械を見に来た、という意識はあるに決まっている。その状況で素直に話を聞ける状態はまさにこういう状況ではないか、と私は思った。我々が妙に説明するよりもよっぽど説得力があるのだ。

ノンプレスの前にはいつも人だかり。全員が興味津々だった。
機械を見る人もいれば世間話をしている人も。まさに交流会である。
昔から世話になっているMasuda Funai法律事務所のDayne Kono氏と。本当に久しぶりの再会だった。

3日間ともお昼にはお寿司を振る舞った。いつもケータリングしてくれる会社にお願いしているのだがなかなか美味しいお寿司を作ってくれる。そこにビールとワインを用意した。お酒があると人々は長く滞在する。ビール片手に色々な人がそこで知り合った人々と気軽に話をする。日本で似たようなイベントをやっても機械を見て、我々関係者と話をちょっとして、すぐに帰ってしまう人が多い。今回のイベントは朝10時から夕方4時までやっていたのだが、朝10時から夕方4時までずっと居続ける人が結構多かった。わざわざ遠くからいらっしゃった人々はすぐに帰るのはもったいない、と思ってくれていたのだろうか。じっくり居続けてくれた人々が多いのはこちらも企画した甲斐があったと思う。ただ単に機械を見に来たのではなく、色々な人と話をすることで他の地域情報を手に入れたり、ビジネスモデルについて話し合いをしたりと、これこそオープンハウスの価値と感じる。夕食も今回は用意した。我々がよく利用するシーフードレストランである。この3日間同じレストランでそれぞれの人々をもてなした。本当にたくさんお金を使ったがその価値は十分にあったと思う。すべての人々がとても満足した表情で過ごしてもらえたのはとても良かった。

3日間お世話になったレストランShaw’s
参加者を集めてWesさんから一言。
今回はビュッフェ形式。自由に色々な人と歓談できるようにセッティングしてみた。

 

素晴らしい3日間だった。結果としてSankoshaブランドの価値がまた上がったと思えた。「良品生産」「良品販売」この2つは関係を作るために最低なければならないことである。良品販売にはサポートも含まれる。これらが当たり前にできていなければ良好な人間関係を築くことはできないだろう。これはまず本社の工場、タイの工場がしっかりしていなければできないことである。社員の皆さんに心から敬意を表したい。そしてSankosha USAの社員たちが良質なサポートをしてくれるからアメリカのクリーニング店は安心してSankoshaの機械を使ってくれる。誰もができそうでなかなかできないことだ。Sankosha USAの皆さんんにも心から敬意を表したいと思っている。結果として、上質な顧客に囲まれたビジネスができている。とても幸せなことである。この幸せが永続するようにこれからも頑張って良い機械を提供し続けて行きたいと思う。

3年ぶりのフランス

8月26日から私はフランスに旅することとなった。前日の25日は本社の新年度方針発表会があってアメリカからWesさんやBudさんが来日していた。彼らは27日の帰国予定だったので私も本来はその日までいるべきだったのだが、残念ながら出かけなければならなかった。理由は11月に行われるフランスの展示会について最終的な取りまとめをしなければならなかったからだ。元々はこれは海外営業の仕事なので杉島部長に行ってもらえればよかったのだが、彼は9月に行われる上海の展示会に合わせて中国のビザを申請していてパスポートが手元にないことからどうしてもこれは私が行かなければならない案件となってしまったのだ。考えて見れば私が最後にフランスを訪問したのは2020年2月、このときは西部のナントを訪問して現地の代理店と会ってこれからのフランス業界をどうしていくか?を話し合ったのを覚えている。ナントといえばロワール地方、ここはミュスカデというぶどうがとても有名で私も大好きな白ワインの一つである。訪問したついでにワイナリーもお邪魔したことをよく覚えている。このとき、すでに日本ではコロナが発症し、国内は騒然としていたが2月はまだまだ海外旅行が許されていた。コロナ前にヨーロッパ出張をした最後がこのナントだったのだ。なんとも懐かしい。

散歩の途中で通りかかったセーヌ川。人々の憩いの場になっている。遠くにエッフェル塔が見える。
エッフェル塔。やはり東京タワーとは一味違う。

 

それにしてもフランスという国は情緒豊かな国だといつも思わされる。歴史的建造物が多い。エッフェル塔などを見ると「本当にパリに来たんだ!」と実感させられる。人々の生活がとてもエレガントに見える。27日が日曜日だったので私は一人でパリ市内を1時間ほど歩いてみた。パリのレストランは必ず店の外にテラスがあってそこに人々が通りに向かって座る。そこでコーヒーやビール、ワインなどを昼間から楽しんでいる。日本人と違ってガブガブ飲まない。その一杯を会話しながらゆっくり楽しんでいるのがとても素敵に見える。観光客と地元の人とすぐに見分けがつく。きれいに着飾っている人は間違いなくフランス人だ。老夫婦が週末のドレスコードだろうか、きれいに着飾って手を組んで歩いているところなどはとても絵になる。そんな人々が入れるお店もいろんな所にある。それだけお店もおしゃれなところがたくさんあるのだ。

パリのレストラン。必ず外にテラス席があって人々がコーヒーやワインを楽しむ。
私も昼食を一人でとった。シャンパンにステーキ。
シーフードで絶対に外せないのがこのグレーエビ。頭をもいでそのまま食べます。白ワインとの相性バツグン!!
ムール貝の白ワイン蒸し。これも最高です!

 

ただ、パリは町が汚い。どうしてここまでゴミがそこら辺に散らかるのだろうか?人々に町をきれいにしようと思う気持ちがとても少ない。ちょうど訪問したときはすでに秋の雰囲気が漂っており、街路樹の葉もどんどん色づき始めており、多くの枯れ葉が通りに落ちていた。しかし誰一人としてお店の前のゴミや葉っぱを清掃してきれいにしようとする雰囲気がない。犬を連れて散歩していてもその犬の糞もそこら辺にさせたままで飼い主が責任を持つことがまずない。毎朝、市の清掃業者が出動し、道の端を水で流し掃除をしている姿を見る。一人ひとりがもっと清潔感を持っていればここまで清掃業者に市が費用を拠出することもないだろうに。日本のようなメンタリティがここにはないのがとても残念だ。しかしそれもそのはず。フランスにはフランス語圏のアフリカ移民がとても多い。そんな人々が集まっているようなところはちょっと不気味に感じる。もちろん、十分な教育を受けていない人が多い。夜中でも一目憚らず大きな声で怒鳴っていたり、大騒ぎをしていたり、と日本では考えられない光景が結構あるのだ。そういう人々は世の中の常識が通じないからゴミだって平気でそこら辺に捨てる。なかなか難しい国だと思う。

フランスのクリーニング業は基本的にアイロン台ですべてが完結する。我々は色々な仕上げ機を製造しているがフランスはあまりプレス機を使わない。かろうじて人体仕上げ機やパンツトッパーは使うことがあったとしてもズボンプレス機などのプレス機は使おうとしない。ラテン圏の特徴だろう。この傾向はフランスだけのことではない。北はベルギー、スペインやポルトガル、そしてイタリアから東へ向かってギリシャまで、これらの地域は基本的にアイロン台で仕上げを完結する。技術論としてはとてもおもしろい傾向だといえる。

とあるクリーニング店の工場。ズラッと並ぶアイロン台。フランスではこのアイロン台ですべてを完結するのが普通。


フランスのクリーニング業は日本と似ている。何が似ているか?というと「儲からない」という点で似ている。これは消費者のマインドによるものだろうか…。価格がなかなか上がらない。クリーニング店のメンタリティも問題であるが、とにかく儲かっているように見えない。儲からないから投資ができない。この負の連鎖は日本とよく似ている。結果として「お店が暗い」「お店が汚い」「お客様を迎えるような雰囲気がない」といわゆるプロフェッショナルさに欠けるという雰囲気を醸し出している。お店に投資ができないと利益はあげられない。「利益が上がったらお店の投資は考える」という考えの下では利益など絶対に上がらない。だからここは腹をくくって先に投資することが求められる。しかし日本でも同じだが、こちらフランスでもその勇気をもって実行する人はとても少ない。パリのクリーニング店の数が劇的に減少しているのも頷ける。ただ、現在生き残っているクリーニング店は競争が減った分だけ売上と利益が増加しているのだ。このタイミングでお店に対する投資もしてくれればいいのだが…。お店に対する投資の重要性を理解できなければ実行できるはずもない。どれだけの経営者が理解しているか?

最近パリで勢力を作っているコアラクリーニング店。ここも基本、アイロン台だけで活動している。
それでも今までのクリーニング店と違ってとてもきれいな店作りを目指している。今後の活動としてはとても重要な要素になる。

フランスのクリーニング工場を見ても水洗い可能衣類が増えていることがわかった。フランスはすでにかなりのユニフォーム大国ではあるが、一般衣類でも水洗い可能な素材がとても多くなってきたことがわかる。11月に展示会が開かれる予定になっている。2019年以来の開催なので4年ぶりであるが、今回はノンプレス(Press Free Finisher)を展示する予定にしている。どれだけの人々が興味持つか、は未知数であるが展示会場で最も注目を集める機械になることは間違いない。あとはしっかり準備して万全の状態で人々に見せることができるかどうか?にかかっている。しっかり準備していきたい。

とあるクリーニング店の工場。これだけの水洗い可能衣類が並んでいる。ユニフォームの請負もこれからは大いに選択肢に入る。

最後に。私がフランスを初めて開拓し始めた頃からずっとパートナーを組んでくれたJean Pierre Cardonさんと今回の旅で久しぶりに再会できた。彼と初めて出会ったのは1999年であろうか…。彼もすでに80歳ですっかり隠居生活を送っていたようだがとても元気そうで良かった。11月の展示会にもお手伝いに来てくれるとか。彼もSankosha大好き人間です。

Jean Pierre Cardonさんとパリ東駅近くで。1999年からの付き合い。とても元気そうで良かった!

ベトナムという国

8月14日から私は家族でベトナムを家族旅行した。今回は仕事とは全く関係ない。3泊5日というとても短い滞在であったが国がとてもユニークだったので今回はベトナムという国を紹介したいと思う。

私達が行ってきた都市はダナン。ベトナムでは一番のリゾート地だそうだ。私自身、ベトナムという国を訪問したのが初めてだったので知らない事ばかりで少々不安だった。故に到着した日と翌日はガイドを雇い、地域を案内してもらうこととした。ダナンの空港を降りたらすぐにガイドさんと合流、手配してもらっていた車にてホテルに向かった。まずは気候であるが、ベトナムは本当に暑い!東京の夏も最近は本当に暑くて湿気も多くて不快なのだが、ベトナムの気候はもっと暑いし湿気も強い。やはり東南アジア独特の暑さがここベトナムにも存在していた。空港で最初に気にしたことはお金である。ベトナムの通貨はドンという。1万円を換金すると160万ドンになる。桁が多すぎる!まるで昔のイタリア・リラみたいな数字だ。この滞在中に現金で色々な買い物をしたが、硬貨を見たことはなかった。全てお札で対応している感じであった。

ダナン国際空港。初めてのベトナムでこのときは緊張!!

 

ダナンという町はとても美しい。空港から今回利用したホテルは車で20分くらいととても近かったが、海岸線にホテルやレストラン、商業施設などがズラッと並ぶ。そして海岸線に広がるビーチが何と言っても美しい。石が全く無く、サラリとした砂が一面に展開する。海の波はとても穏やかで小さな子どもが海水浴を安全に楽しむことができる。我々が今回泊ったのはMaxmilanというホテル。普通のリゾートホテルという感じがしたが、似たようなホテルが周りにたくさんある。我々は5人で旅しているので一番大きな部屋を用意してもらった。リビングが一つあり、両端にそれぞれ寝室が用意してあった。家族でくつろぐには十分な広さが会ったのでとてもありがたかった。

今回泊ったホテル。細長い!
最上階のプール。とても見晴らしが良い!
部屋から見える風景。眼の前がとても穏やかな海岸。眼の前に商業施設もいっぱいあった。

 

初日の晩飯はベトナム料理の有名店、Madam Lanというところ。ホイアンという街をイメージしたランタンでデザインされたレストランだった。とても美味しかった。しかし意外と高い!これは観光客を狙ったビジネス?ま、最初だからいいや、と思った。確かに美味しかったんだから。

ダナンでとても有名なベトナム料理店。ホイアンのイメージだとか。


ただ、そこらへんを歩いているといろんな屋台やカジュアルなレストランがある。しかし我々からするとちょっと入りづらい。なんか観光客からすると入りづらい雰囲気がある。理由はわからない。言葉がわからないから?確かにベトナムは夜も暑い。我々からするとエアコンの効いた所に座りたい。しかしローカルのレストランにはそれがない。価格はやすそうな気がするがベトナムでは価格はあってないようなものと言われた。すぐにネゴが始まる。それを嫌がるといい値のとても高い値段を払わなければならなくなる。日本人はこれが苦手だ。かなりの厚顔無恥でなければ交渉なんかできるわけない。

余談になるが、後日に訪問した市場ではそれが露呈した。市場には価格が書いてない。いつも価格を聞いてネゴして最終決着をする。これは売り手と書いてのガチの勝負だ。しかし日本人はこれに慣れてない。すごく控えめなネゴをすると「無理!」とすぐ言われる。ガイドさんが見かねて多少はネゴしてくれる。しかしガイドさんだってベトナム人。結局は現地人との繋がりがなければ自分もやっていけない。結局、彼女らはあちらの味方なのだ。交渉はこちらでやるしかない。こういうことになると自分の闘争心に火がつく。妻も子どもたちもここらへんになると及び腰である。仕方がない、やったことがないのだから。しかし私が交渉を始めると子どもたちが「お父さん、そんなにやって大丈夫?」という。こちらは「任せとけって!希望額にならなかったら買わなきゃ良いだけだって」という。子どもたちは「え〜?だってこれ欲しいのに」という。これが相手のトリックだ。最初から買おうと思っている奴らにディスカウントするはずがない。私は周りの似た店をチェックした。意外と似たようなものを売っている。だから気に入らなかったら買わなくても良いのだ。彼らだって売りたいのだから。どっちがプラスか?そんなことわかるわけがない。結局は自分の自己満足なのだ。ベトナムとはそういう商売の国だと察した。

ダナンで一番有名なハン市場。
ここでは靴を物色中。ここから価格交渉が始まる!

 

さて、話は元に戻る。その日の食事を終えて我々はホテルに戻った。翌朝、私は妻と二人で近くを散歩した。起きたのは5時。しかしすでに海岸には多くの人々が海水浴やビーチバレー、ダンスなどなど様々な楽しみを朝からしていた。すごく早い!とても健康的!!こちらが見習わなければならないくらいだ。ベトナムはとても暑い!昼間に海水浴している人は殆どいない。しかし5時台はとても人々で一杯なのが素晴らしい。人々は毎日をとても楽しんでいるように見えた。日本人よりも全然幸せそうだ。金があるからとかないからとかで幸せとか不幸せなのではない、というのを垣間見た。とても豊かな心を持った人々だと感じた。日本人にももっとこういうふうになってもらいたいと思う。

朝5時半からビーチバレー。皆さん、とても元気!
御婦人方はグループダンス。大きな音楽をかけて皆で踊っている。こちらもとても元気!

 

我々はここから数日間、いろんな楽しみをした。歴史、ホイアンという町、一流のリゾートホテルのランチ、ベトナムのシーフードレストラン、マッサージ、それぞれがとても楽しかった。特にマッサージは子どもたちもリラックスできたらしい。しかし最後に訪れたBana Hills Resortというところが本当にすごかった。ベトナムはフランスが支配していた国、だからフランス文化がそれなりに残っていた。当日も35℃を超える暑さであったが、このBana Hillsは20℃くらいだったのだろうか、いやもしかしたらもうちょっと涼しかったかもしれない。ロープウェーにて一気に1000m以上を登っていく。それにしてもこのリゾートを開発した人、会社はすごいな、と思う。ロープウェーにしても駐車場から頂上のリゾートまで20分近くを登っていくのだ。この気温のギャップは行ってみなければわからないだろう。頂上に到着するとゴッドハンドで支えられている橋や数多くのレストラン、そして室内に色々なアミューズメントパークがあったりする。なんとホテルまで数件入っているのだから驚きだ。私はワインが好きなのだが、ここにはワインを飲みながら食事が楽しめるレストランさえあった。それを知ったのは昼食を取った後だったので残念!次回、来ることがあったらそのときはこちらのレストランで楽しみたいと思った。いずれにしてもダナンで唯一エアコンを利用せずに楽しめた場所で大人から子供まで楽しめる総合アミューズメントパークだと思う。もしダナンを旅することを検討しているならば是非こちらは訪問してもらいたい。

Bana Hillsのふもとで家族写真。ここは35℃。
これが地図。右がふもとでご覧のロープウェーで上に上がっていく。左の目的地はすでに標高1000m以上に。
ロープウェーで登っていく途中。通常のロープウェーよりもスピードは早かったがそれでも20分はかかった。
Bana Hillsのゴールデンブリッジ。巨人の手で支えられているような。

もう一つ、とても大きな印象に残ったことは韓国資本がとても大きいことだ。私はダナンしか知らないが後に色々な人にベトナムについて聞いてみるとハノイなど大都市でも韓国資本が目立っている点だ。結果として飛行機も韓国からの路線がとても多い。東京―ダナン間はベトナム航空が唯一就航しているが、韓国だと数多くの地域からかなりの便があった。それだけ韓国人が気軽に観光に来ている国なのだろう。街の至る所にハングルがあったのが印象的であった。やはり国を挙げてある国に投資しているということなのだろうか。

たった3泊の短い旅ではあったが海、地域観光、買い物といろいろ楽しめた旅であった。残念ながらクリーニングを知ることは全くなかったが、たまにはこういう旅も悪くない。次はどこに行くのだろうか?

アメリカクリーニング店の利益率

6月21日、私はJCPCの企画として24名の人々をシカゴとインディアナ州へお連れすることとなった。2022年の海外訪問でアメリカのクリーニング店は高級店を中心にとても儲かっている状況にあることは確認していた。一方で日本はなかなか儲かっていない。どうして彼等は儲かるのか?そしてどうして日本は儲からないのか?どうせなら儲かる人々の話を聞きに行くのはどうだろうか?ということを考えるようになっていた。今回はお遊びなし、ガチで学ぶツアーにしたかった。為替において日本円はとても安くUSドルをとても高く感じる。結果として旅行代金はとても高くついてしまうので、参加した人々には「それでも参加してよかった!」と思える研修旅行にしないといけない、と思ったのだ。

参加した顔ぶれはあえて公表しない。集合写真を後で添付するのでそれで判断してもらえれば幸いである。ただ嬉しかったのは半分近くの参加者が30歳前後ととても若い人々だったことだ。ほぼ全てが会社の後継者候補であったがあえて現社長のご子息、ご令嬢を送り出してくれたことに深く感謝したい。
今回訪問した先はZengeler Cleaners、Peerless Cleaners、Ziker Cleaners、CD One Price Cleanersの4つである。どちらも私はとても親密にお付き合いをしているクリーニング店である。しかし全てのクリーニング店が経営の仕方が全然違う。参加した人々にはこれらを学んでもらって一つでも自分の参考にしたいモデルが見つかれば良い、と思って選択した訪問先である。

簡単に訪問先を紹介すると最初に訪問したZengeler Cleanersはシカゴ郊外のNorth Brook地域、Livertyville地域を中心に活動しているクリーニング店で既に167年の歴史を持っているクリーニング店である。なかなかクリーニング店を誘致しようとしない町とも交渉を続け、結果的にその町の唯一のクリーニング店になっていたり、と富裕層が生活している地域に密着したお店戦略を行っている。一方で工場は約10年前に社長であるTom Zengelerさんが日本を訪問し、ユーゴー、武蔵野クリーニング商会の二社を訪問して日本の工場レイアウトにとても共感し、早速帰国してからとてもタイトなクリーニング工場を作った、という逸話がある。後にこのクリーニング工場がアメリカのベスト工場として表彰されたというのだから面白い!その結果、強烈な営業利益率を叩き出しており、とても収益力の高いクリーニング店を経営しているのだ。ちなみに今回訪問した4社とも15%以上のEBITDA、いわゆる税前利益を出しているがこのZengelerは飛び抜けて素晴らしい利益率を叩き出している。あえて数字は申し上げないことをご了承頂きたい。

Zengeler Cleanersでの集合写真。飛行機降りてすぐに訪問したので全員ちょっとお疲れぎみ。

 

次に訪問したのはPeerless Cleanersというインディアナ州Fort Wayneという町にあるクリーニング店だ。人口は23万人程度、平均世帯所得も65000ドルと比較的低い町にありながらたくましい売上と利益を出しているクリーニング店だ。ポイントは社長にあった。クリーニング業で最も難しいことは「売上を作り出すこと」だろう。工場での染み抜き技術や洋服をきれいにする作業は社員でも十分にできる。社長のSteve Grashoffさんは自分の仕事を売上を持ってくること、と明言している。所得の低い町でのクリーニング業となるとあまり売上や利益の見込みは高く設定できない。故に災害復元クリーニング(英語ではFire Restorationと呼ぶ)という保険会社とのタイアップで行われているビジネスのインディアナ州の大半の権利を契約したり、空軍の寮で発生するシーツやタオルの仕事を取ってきたり、またはタキシードレンタル事業会社で発生するクリーニング業の外注を受け取ったり、と多岐に渡る。一つのビジネスモデルを他の都市にも展開して現地競合と価格競争をするよりはよっぽど平和である。自社工場を如何に忙しくさせるか?を考え続けてやっているビジネスモデルに多くの参加者が共感したのは言うまでもない。

Peerlessの工場で一枚!ホームクリーニングしかしていない日本の参加者からすると刺激的な訪問だった。

 

三つ目に訪問したのはZiker Cleanersというインディアナ州South Bendという町にあるクリーニング店だ。こちらも人口20万人程度ととても小さな町ではあるがPeerless CleanersのあるFort Wayneよりは所得レベルは高い。会社も110年の歴史を数え、町の老舗クリーニング店である。その彼等がこのタイミングで改めてクリーニング業に特化した考えを打ち出しているのが面白い。多くのクリーニング店はホームクリーニング業だけでは成り立たないので色々なことを外注受けとして活動しているのに対して彼等は更に高級志向のクリーニング業に向かおうとしている。そこにタイアップしようとしているのはテーラーリング、お洋服の仕立てをくっつけていることだ。高級志向の顧客を徹底的に取り囲むことを考えていたのだ。となるとPeerlessよりは売上のボリュームはどうしても小さくなる。しかし、一点単価が高いのので利益率は大きくなりやすい。その分、価値をどのように表現するか?に考えを凝らし、店舗や店員に投資し易い状況になる。このブランディングに対する考え方、投資の仕方が今回の大きな勉強になったのではないかと思う。

本社前で一枚!小さな町でも尖っているとそれなりにできるものだ、と確信できる訪問でした。

 

最後に訪問したのはCD One Price Cleaners、シカゴのワンプライスクリーニング店である。2013年にJCPCとしてZengelerとCD Oneを訪問したのだがZengelerは大きな工場を壊して徹底的に効率性を求めた工場に変わった。CD Oneはなんとワンプライスクリーニング店を継続しながらもWash & Fold、いわゆる洗濯代行業に力を入れ始めているのだ。ここで一つ洗濯代行業のポイントを申し上げるが、洗濯代行は外交チームがあるクリーニング店でなければ集めるのは極めて難しい。なかなか私物を自分で袋に入れてお店に持ってくる、という概念が人々にはないのだ。そこでCD Oneは敢えて外交部隊を新たに結成してWash & Fold事業に特化しようとしている。アメリカでは日本ほどの規制がなさそうでこれはとても幸運な環境とは言える。しかし、アメリカにもコインランドリーがあるのでそう簡単に奪取することはできないだろう。そんな状況であってもこれに投資をするのには訳がある。今までのビジネスモデルが崩壊を迎えているからだ。CD Oneの顧客層はサラリーマン、しかし彼等の仕事スタイルがコロナ禍で大きく変わってしまい、集まっていた洋服が集まらなくなってきたことに起因する。そこで集める方向性を変えて、序でに今までの洋服も一緒に集めていこう、という戦略になったのだ。CD Oneはフランチャイズビジネスであるがそのフランチャイジーに対しても利益率20%を目指させている、というのだから素晴らしいとしか言いようがない。

お店の前で一枚!ビジネスモデルの変化に一同驚きの訪問でした。

 

簡単に訪問先のクリーニング店を紹介させていただいたが、同じクリーニング業といえどもやっていることは各社全く違う。これはそれぞれの地域から生まれる考え方の差から来ているのでどれが良いとか悪いとかはないと思う。しかし、今回の訪問先に共通しているのは「営業利益率、そして税前利益率の高さ」といえる。何故日本では営業利益率を10%以上に設定することができないのだろうか?ここに日本とアメリカの利益率設定の違いが現れている。日本では「売上の大きな会社=すごい会社」と思っている人はとても多い。私は最近こういう質問をする。「売上10億で営業利益2%の会社と売上2億で営業利益10%の会社、あなたはどちらが良い会社だと思うか?」と。利益額はどちらも同じ2000万円である。しかし日本人はそれまで多くの経営者が10億の売上を取ろうとしていた。アメリカでは100%後者の2億の売上を取る。私は10億を取りに行こうとする人々を「売上至上主義者」と呼ぶ。利益などどうでも良い、まずは売上取ってその地域を完全支配することが大切、と考える人々だ。競合が完全に弱るまで精一杯安値でシェアを取ることばかり考える。ただ、このようにせざるを得ない日本の事情もある。潤沢な給料をもらっていないから一円でも安いお店を利用しようとする国民性がこの売上至上主義を加速させていた。しかし、今回のコロナによって企業体力の弱い会社、いわゆる自己資本比率が低く、利益率の低い会社は世の中から消え始めている。そんなタイミングでこのアメリカ視察になったわけで参加者はかなりの刺激を得たのではないかと思う。

アメリカのクリーニング店が普通に目指している営業利益率15%以上というのが近い将来、日本の目指す数字になっていくのだろうか?簡単に達成できる数字ではないが是非目指してもらいたいと思う。それが次世代につながる源になるのだから。

4月24日、私は4年ぶりの韓国訪問のために羽田空港にいた。韓国といえばお隣の国でとても距離的には近いが、最近までのムン・ジェイン政権の影響でとても心理的に行きづらい国になってしまっていた。もちろんコロナも影響していたから物理的に行けなかったのだが…。アメリカに行くのとは気分的に随分違う。今回は28日までの5日間の旅である。

金浦空港に着いた。なんとなく昔のままのイメージのように感じたがところどころリノベーションしているような感じもあった。入国審査に向かって歩いていくとなにか書類を渡している。「何も聞いていないし知らない」ということで一気に緊張が走る。機内でも教えてくれなかったのだが結果として1枚の紙にワクチン接種の有無と滞在先などを書けば大丈夫、都の事で一安心。税関も無事に通過して出口手前の換金所に寄った。昔であれば韓国の空港で換金したほうが日本の空港よりも全然安い、という経験があったので今回も期待したのだが逆に韓国の換金所の方が高かった。既に空港だけで色々な変化にショックを受けながら外に出た。すぐに代理店のキムさんが出迎えてくれた。合流したのは夕方6時、ここから一気にテジョンという町に向かった。今回は4日間の旅であるがソウルから一気にテジョン、プサン、ジンジュ、テグを回ってソウルに帰ってくるという長い車の旅である。テジョンまでは2時間半、しかし現地でお客様らが我々の到着を待っていてくれる、というのである。我々の到着は夜の9時近くになってしまうのだが、それでも待っていてくれるのは嬉しい限りである。

代理店のキムさんとお客様たち。4年ぶりの再会でとても楽しいひとときだった。


ホテルにチェックインしてから急いで合流場所のレストランに行った。既に焼肉を焼きながら待っていてくれた。本当に懐かしい!かれこれ4年ぶりである。早速食事を取りながら昔話で盛り上がる。翌日からの現地訪問がとても楽しみになってきた。一体、どのくらい変わったのだろうか、と。美味しい食事をすっかり御馳走になってから歩いてホテルに帰った。そのときにちょっと気になったことがある。やはり韓国は幹線道路であっても結構端が土でいっぱいなのだ。日本の道路はここまで汚くない。韓国でスニーカーのクリーニングがここまで流行るのはやはりこういうところも影響しているのだろうか?しかし韓国人の方が諦めずに続ける力があるのか?と思ってしまう。日本でも一部のクリーニング店がスニーカークリーニングを諦めずに続けているが、もう少し全体でこういう取り組みはするべき、と強く思う。ドライクリーニング神話は既に崩壊しているのだから。

韓国の道路わき。こんな道路でも側溝には大量の土やホコリが溜まっている。確かに靴は汚くなりやすい。

 

さて、翌日からなんと3連チャンのゴルフ外交が待っていた。今まで韓国でゴルフをやったことはあったがこんなにゴルフをやることはなかった。韓国のゴルフは日本とは全く違う。まず午前の部と午後の部というのがあって日本のようにハーフで1時間も待たされることはない。ハーフを終えてちょっと飲んだり食べたりすることはできる。ただ、とても効率的な運営ができていて日本はちょっと見習ってもいいのではないか、と思った。日本のダメなコースは詰め込むだけ詰め込んでハーフで3時間もかかる。そして食事に1時間以上もかけてまたハーフで3時間。誰も「次はもうやりたくない!」と思ってしまう環境である。もっと顧客の気持ちに寄り添った運営をすべきだと思う。

ワールドの皆さんとゴルフ。雨だったが楽しくラウンドできた。

 

余談はこのくらいにしておこう。今回訪問したのはワールドクリーニング、クリーンエース、ネットクリーニングの工場と3件だった。クリーントピアの本社は訪問したのだが、工場を訪問することはなかった。あまりある会社のことばかりを書くと色々問題があるので今回も韓国全体で起こっていることを中心に書いてみたいと思う。
まずびっくりしたことはダウンのクリーニングだった。びっくりするほど出ている。特にワールドクリーニングのダウンの量は尋常じゃない。なぜここまで集まるのか?これは価格とファッションの傾向のような気がした。まず価格から考えてみる。日本のダウンのクリーニングは2000円から3000円で提供しているところが多い。結果として高級ダウンはクリーニングに出てくるが安いやつはなかなか出てこない。一方で韓国の価格は800円から900円、とてもリーズナブルである。これは人々が出す理由になる。もう一つの条件は気候である。韓国は日本よりも寒い。冬になるとジャケットではなくダウンで出勤する人がとても多いと聞く。国民の1人あたり3枚から5枚のダウンを持っていると言われているそうだ。こうなるとダウンはジャケットのような扱いになる。価格とドレスコードの二つが重なってここまでの需要になるのだろうか…。とても羨ましい市場に見えた。

ダウンの山。とにかくすごい量!
出来上がりのダウンの山。びっしり埋め尽くされている。
プレミアムコースのダウン。これは4000円いただけているらしい。

 

後、布団のクリーニングも需要を後押ししている。結局、韓国の繁忙期はスニーカー、ダウン、布団の3つで成り立っているようだ。しかしスニーカーを除いては冬に成り立つ商材である。夏には成り立たない。夏の売上はどうするのか?これに関しては彼らにもなかなか答えは見つかっていないようだ。しかし日本は冬の商材といえば布団しかない。ダウンは多少売上の要素にはなっているようだがそこまでではなさそう。韓国の方が一生懸命集めようとしている姿が至るところで見える。日本はもっと見習うべきである。

スニーカーも相変わらずの量だ!これはクリーニング店の一大事業になっている。

 

もう一つ大きな事を見つけた。それは韓国のワイシャツについてであるが、日本のワイシャツに比べて袖の剣ポロがとても短くなってきている。これはクリーンエースが弊社の新型ワイシャツ仕上げ機をお買い上げいただき、試運転をしに行った時の話である。最新モデルのカラーカフス仕上げ機LP-6000Jにカフスが入らないというのである。

クリーンエースに入れていただいた最新鋭のワイシャツセット。

 

「そんなはずはない!」と最初は疑って見たのだが、たしかに実際に入らないワイシャツがある。よくよく確認してみると剣ポロが短くなっていたのだ。女性のブラウスにはこの傾向はよく見受けられる。しかし男性のワイシャツがここまでブラウス化しているとは驚きであった。

ここまで剣ポロが短くなっている。
白のワイシャツでも剣ポロにボタンが付いていないものが増えてきている。

およそ10年前だろうか、イギリスを始めとした欧州がスリムカットシャツが市場を席巻した。スリムカットシャツを見たときに私は「ワイシャツのブラウス化」をイメージした。当時、ブラウスをもっときれいに仕上げるためにどうしたら良いか、を考えていた時期だった。大きなポイントは
1. 剣ポロがとても短く通常のカラーカフスプレス機では対処できない
2. スリーブの角度がとても深いのでその角度に対処できる機能が必要
大きくこの2つであった。どうしてスリーブの角度が深いのか?というと脇から下への線を綺麗に見せるためである。男性のワイシャツはスリーブの角度がほぼない。要はTの形をしているのだ。なぜTの形をしているか、というとワイシャツを着たまま肉体労働をすることもあるからだ。腕を上下させる行動には脇から下への生地に余裕がなければすぐにズボンからはだけてしまう。その代わり見た目はあまりかっこよくない。一方で女性はブラウスを着て肉体労働をすることは基本的にない。それ以上に女性は見た目の美しさを気にする。これがワイシャツとブラウスの基本的な構造の差である。しかし最近はワイシャツにおいてもこのブラウス化が進んできたという傾向が顕著になってきたのだ。スリムカットワイシャツの登場、そして剣ポロの長さが短くなったシャツの登場、これらを見る限り男性のワイシャツももっとスタイリッシュを目指している一つの傾向なのだろうか。確固たる答えは分からないがこれは一つの傾向として捉えておく必要があると認識した。
余談だがこの出張の後に日本国内を出張したときに日本のワイシャツを同じように検証してみた。日本では韓国ほどの傾向はみられなかったものの、剣ポロの長さが短くなっているワイシャツが多数あることを確認した。日本でも今後、韓国と同じ傾向が見られる可能性は大いにあると思った。
結果としてクリーニング店では現在保有しているカラーカフスプレス機が活躍できなくなる可能性が出てきていることに関して警鐘を鳴らしておきたい。是非ご自身の受け付けているワイシャツの剣ポロの長さを再度確認しておき、その備えをしておくことをおすすめする。

今回も多くの人々に出会い、とても楽しい時間を過ごすことができた。ただ今までとは違うことがやはり韓国でも起こっていた。面倒くさがらずにあるき続けることはとても大切だな、と改めて感じた韓国訪問だった。