初めてのルーマニア

ブログの更新も久しぶりである。最近はなかなかネタがないし、いつも同じところを訪問しているので新しいネタに遭遇しない。しかし、今回は新しい。ルーマニアに行くことになったのだ。5月上旬にSankosha EuropeをやってくれているZiermannが14名という団体で日本にやってきた。その中にルーマニアの会社が親子でやってきて、最終的に「Sankoshaにも色々協力してほしい」という話になったので、私も「協力とはなんのことだろう?」とは思ったもののルーマニアという国を全く知らないので、まずは状況を知ることからスタートということになった。

私は7月12日で57歳になった。その日は家内と朝からゴルフに出かけ、夕食は家族で楽しみ、その足で羽田空港に向かった。飛行機は夜中の12時05分、私の誕生日を終えた5分後に出発というわけだ。私は結構自分の誕生日に出かけていることが多い。別にそれが嫌いなわけでもないので仕事があるならばどこへでも!という気持ちで今回も出かけた。

家内と二人でバースデーゴルフ。出だしで9って。。。


初めてエミレーツ航空に乗った。ドバイ経由でルーマニアの首都ブカレストまでの長旅である。今回はJALとどのくらい快適さが違うか?を知るためにもとても楽しみにしていた。結果としてはエミレーツ航空のいいところもたくさんあったが、JALの良いところもたくさんある、と改めて感じた。決してJALは悪くないと思った。そりゃ、食事や飲物、ワインなどを見ればエミレーツの方がよっぽど投資している。日本の航空会社が叶うわけがない。それだけを評価するならばエミレーツに乗ればいいのだ。しかし、JALはなんというか…、日本人独特の「おもてなし」が優れている。人々の困っていることやお願いしたいことを察知する、そして対応する、という力がとてもあるように思う。今回はエミレーツを乗って改めてJALの価値を感じる、こういう機会はたまにあったほうがいい。今度はどこの航空会社に乗ってみようか…。

長い旅路ではあったがやっと首都のブカレストに到着した。自身初めてのルーマニア入国である。ルーマニアといえば日本人がイメージするのは「コマネチ」か?私にはあまり結びつく事がない。ルーマニアにおいてもワインは大きな産業の一つになっているようだ。ワイナリーは行ってみたいな、とは思ったが今回は滞在期間が短すぎる。もし、次回に訪問出来ることがあるならばその時に考えよう。

市内にあるチャウシェスクの自宅。宮殿と言ってもいい。あの貧しい時代にどうやってこの一族だけ華麗な生活を送れたのだろうか…。


今回は2泊3日の滞在であったが、町の成り立ち、歴史、人々の生活感など色々感じ取ることは出来た。読者の皆さんはルーマニアが民主化に流れたのが1989年の12月だったのをご存知だろうか?私はそこまで詳しくなかったのだが、時の独裁者であるニコラエ・チャウシェスクが最後の演説をした12月15日を機に民主化運動が一気に高まり、なんと彼はその10日後の12月25日には処刑されてしまう、というわけだからなんともすごい話だ。私はそのチャウシェスクの自宅を見せてもらえることになった。そこは現在、一般公開されている建物であるが、「これが権力者の家なのか!」と思ってしまうほど、贅沢に贅沢を加えたなんとも言えない作りになっている。時のルーマニアといえばロシアの影響を受けている共産主義国家だった。国民はとても貧しかったはずである。にも関わらず、この家の中だけは世界で最も金持ちとも見て取れる一族の日々の生活がそのまま映し出されている。開いた口が塞がらない、とはこのことである。家の中は写真撮影禁止と言われていたので敢えて撮らなかったが、その一族の結末は軍にまで裏切られて処刑されてしまうわけだから幸せな結末とは言えない。このような世の中がほんの少々昔の1989年にあった訳だから、私は大きな衝撃を受けた。

ブカレストの町並み。基本的に古い。外壁が完全に剥がれている。
比較的新しいビルのようだがそれでも古い。町並みに近代感がない。

 

一方で町並みを見てみると、35年以上経って国はまさしく民主化を当たり前とした生活を送っているが、ブカレストの町並みは決して裕福に見えない。古い建物が多く残っている。私の印象は昨年7月に訪問したセルビアやボスニアのようなイメージである。そこまで経済が回っていないのではないか?と思わせる町並みである。聞くところによるとルーマニアの所得レベルは日本のそれと大きく変わらないという。ルーマニアはLeiという通貨を使っていて、EUに加盟しているのだが通貨はEURを使えていない。まだ中途半端な加盟の仕方なのだが、EUがそこまでルーマニアを受け入れようとしていないのか、あまりよくわからない。ただ、EUとしては一度ルーマニアが加盟したらそれなりに面倒見なければならないのだろう。EUが一方的に投資するのに対してルーマニアからの恩恵が多くないと感じるならば、あまり「Welcome」という感情にはならないだろう。やはりコミュニティに入るためには自分たちの価値も必要なのだ。それは自分たちが創り出さなければならないので簡単ではない。

ルーマニアの車メーカーDACIA。ドイツでもそこそこ走っていた。ちなみにこれはルーマニア国内。ナンバープレートにROと書いてある。

 

ルーマニアには車のメーカーがあった。DACIAというブランドなのだが、私はそれを見たのは初めてだった。後で調べてみたところ、DACIAはフランスRenaultグループの傘下で「無駄を削ぎ落とした、とにかくコスパが最強の車」として知られているらしい。元々ルーマニアにもこのような車ビジネスがあったのだからそれなりに産業はあるようだ。

フランスのブランド5a Sec(サンカセック)。影響力はここまで及んでいるのがすごい。
店内の様子。フランスのフォーマットがそのまま用いられている。
ビジネスの約款。あれはダメ、これはダメ、と色々書いてある。これじゃプロとしてどうなのか…。

 

さて、クリーニング業界に話を移してみるが、3つのクリーニング店を見せてもらった。しかし、全てがフランスやイタリアのビジネスモデルと同じであった。フランスと言えば5a Sec(サンカセック)が有名であるが、ここルーマニアにも5a Secがあった。お店の中を見ても全く同じ。1台のドライ機、1台のアイロン台、そこにMetalprogettiのストレージコンベアがある。これがルーマニアの基本的なドライクリーニングビジネスである。働いている人も一人だけ、その働いている人は本当に普通のおばちゃんであり、彼女らに染み抜きの技術などあろうはずもない。お店の外にはお店のビジネスポリシー(いわゆる約款)が貼ってあって「染みが抜けなくても責任持てません。ボタンの破損があっても責任持てません。洋服のほつれなどがあっても責任持てません」と責任感のかけらもない条件ばかり。これで人々が安心して使うはずもない。私の訪問を実現させた方も「ルーマニアでもっとレベルの高いクリーニング業を展開したい」というので、この現実を目の当たりにすると分からないわけでもない。

ショッピングモール内にあったクリーニング店。このAQUAというブランドがルーマニア最大勢力らしい。

 

今回、ホストになってくれたWallberg氏はブカレスト市内でランドリー工場を経営している。しかし、本人はこの町でドライクリーニングをやりたい、というのだ。しかも日本のような高生産性工場を作って顧客を魅了したい!というのである。野心はわからないこともないが…、どう考えても現実離れしている。日本のように国民の半分以上がドライクリーニング業を使っていたような環境なら話はわかる。しかし、この国ではほとんどの人々が使おうとしていない。人々に使えるほどの所得がない。しかも現世で言えば、日本でさえドライクリーニング業はどんどん衰退している。それにも関わらず、ルーマニアでそんな立派な工場を作るという…、本当か?

今回のホストになってくれたImage Service。基本的にリネンをやっている会社だ。
彼らの工場。Jensenの連洗と乾燥機が並んでいる。

 

最後の最後まで彼は諦めずに私に協力を求めてきたが、私はどうもその気になれなかった。仮に自分がこの土地でクリーニング業を始めるとしたら、どうやっていこうか?やはり富裕層をターゲットにしたビジネスになるだろう、と考える。しかし、富裕層はどの国でもそれなりに強い人間関係が求められる。私が日本人として仮にこの国でやろうとしてもそう簡単に人々は受け入れてくれないだろう。そして、お金が必要だ。お店を借りるとしても機材などは購入しなければならない。一体、いくら掛かるのだろうか?それを何年で回収出来ると言うのだろうか?この話を終えて空港に向かっている間、私はずっとこんなことを考えていた。

残念ではあるが、どうしてもポジティブになれない結論だった。後で聞いた話ではあるが、我々のノンプレス(Press Free Finisher)のルーマニア1号機がこの訪問の翌週に入ったと言う。入れてくれた会社はユニフォームなどをやっているリネンの会社だった。それなら話はわかる。
今までのドライクリーニング業には先進国と発展途上国に時代やステージの差があったと感じていたが、ポリエステル混紡材が世界中を席巻している現在はそのステージが全てなくなりつつあると感じている。これからドライクリーニング業はどのように変わっていくのだろうか?まだまだ見えない先を模索しつつ、私の世界への旅は続く。