3月3日の夜、私は羽田空港にいた。日中はメンバーコースである日高カントリークラブにて月例競技に参加していた。散々だった。私はアプローチがとても苦手である。何故か力が入ってしまう。体と手が連動しない。トップしたりダフったり、ととにかく気持ちよく打てない。「俺はなんて下手なんだろう…」とため息をつきながら空港にたどり着いた。
今回はなんとサウジアラビアへ旅行する。人生で2回目の訪問である。何故サウジアラビアを訪問することになったのか?については今のところ詳細をお伝えすることはできない。ただ大きな変化がこの国に発生していることだけはお伝えしておこう。この旅の目的は訪問してから初めて知ったことになったのだが、羽田空港にいるときは旅の本当の目的を私は知らなかった。

ロバートとJALラウンジにて。夜の10時!


今回は4月から海外営業に転属になるロバートを連れて行った。彼はSankoshaに入ってすでに7年目である。彼はインドネシア人で彼のお父さんが昔、Jeeves Indonesiaの工場長をやっていたこと、そしてインドネシアの業界展示会に我々が出展した時にロバートがお手伝いとして来てくれたことが知り合うきっかけとなった。その後、彼のお父さんから「息子を数年日本で修行させてやることはできないか?」という相談を受けて快諾した。それから彼は2〜3年という期間で研修を受けさせたのだが、最後には彼自身から「インドネシアには帰りたくない。Sankoshaでずっと働きたいけどできるか?」という話に発展し、我々も快諾し現在に至っている。当時は日本語など全く喋れなかったが現在はペラペラ喋れる。組立で5年近くを過ごしたので機械や技術においてはとても明るい。今となっては居てくれないと困る一人に成長した。彼も海外営業を希望していたのでこれほど嬉しい状況はない。私も彼に海外を闊歩してもらいたいと思っていたので今回は彼を連れて市場調査に行こう、ということになったのだ。

いざ、ドーハへ。12時間のエコノミーは辛い!
ドーハから乗り換えてダンマームへ。
ダンマームの空港を出たらいきなり大きなモスク。いきなり環境の差を感じる。
右を向くと大きな宣伝。Aramcoとはサウジ最大手の石油会社。オイルマネーを感じる。

 

サウジアラビアをはじめ中東にはディシュタシュ(現地ではThobeと呼んでる)という民族衣装がある。男性が着る白いワンピースである。中東のセレブをイメージするとなんとなくわかるだろう。私はアラブ首長国連邦には何回も訪問したことがある。その際に現地代理店から「ディシュタシュを高生産できるモデルを作ってもらえないか?」と依頼をもらっていた。中東の人々は体が大きい。背がとても高い。そのワンピースを自動プレス?できるわけがない、と思っていた。しかし、コロナ禍で我々はノンプレス(英語名:Press Free Finisher)を開発した。今までこのような仕上げ機を作るつもりは全くなかったのだがこの開発により一気にディシュタシュの可能性も出てきた。しかし被洗濯物がこのノンプレスに合うのか合わないのか、それを確かめるためにも最新のディシュタシュの素材などもチェックしに行った。我々の本来の目的はこれだと思っていたのでこれは皆さんに公開しても構わない内容である。ちなみにサウジアラビアで利用されている素材はほぼ100%が綿ポリ混紡材であり、その80%が日本製というのだからびっくりである。値段の高いディシュタシュは間違いなく日本の素材を使っているのだ。

我々はカタール航空を利用し、ドーハを経由してサウジアラビア東部の町、ダンマーム(Dammam)に到着した。ドーハはドバイのように空港も空から眺めた町並みもギラギラしている感じだった。しかし、ドーハから1時間飛んだところにこのダンマームという町があるのだが空港に降りた瞬間、空港の人の数が全然少ないのにびっくりする。ギャップがあまりにも激しい。それまで観光ビザなどあり得なかったこの国である。私は正直すんなり入国できるのかどうか、自信がなかった。しかし入国審査はあっという間に通過できたので拍子抜けした。荷物待ちをしていたらロバートの荷物が出てこない。ふと自分が20年前にリヤドを訪問したときのことを思い出した。私もあのとき、荷物が出てこなかったのだ。あのときはかなり閉鎖的だったのと私が乗り継いだのはフィリピン・マニラだったので1日に1度しかフライトがなかった。結局、到着日の3日後にやっと荷物がやってきたのを覚えている。とにかく着替える洋服もなくとても不便だった。あのときの嫌な思い出が蘇った。しかしドーハとのフライトは1日に数便あると言われ、本日中には届くことも報告されたので安堵した。

早速、出迎えてくれた人々と合流し、我々は色々な施設を訪問した。ここでサウジアラビアの状況について報告しよう。サウジアラビアは現在、人口3400万人と言われている。まさしくオイルカントリーであり、枯渇するかもしれないと言われている石油が継続して産出されるとても恵まれた国である。しかし、石油以外に頼れるものがない。そして世界は「脱石油」に躍起になっている。車においては電気自動車化が進み、ガソリンの消費量が落ちている。ありとあらゆる分野で脱石油がお題目になっていることからサウジアラビアは石油のみに依存することなく国の繁栄を目指していく体制に変わったのだ。それが「観光ビザ発給開始」につながっているのである。

あるスーパーの品揃え。こんな砂漠の国でなんとも豊かな品揃えだ!
飲み物のラインナップも豊か。
私にとって唯一残念なアルコール。全てノンアルである。


それにしてもなんと豊かな国なのだろうか。私はスーパーマーケットを訪問したがびっくりするほどの品揃えである。ないものはなにもないほど豊富だ。お魚を食べる習慣があまりないのだろうか、魚の品揃えはとても貧弱である。肉においてはイスラム教の影響から豚肉は全く食べない。牛肉はあったが一番人気なのは鶏肉とラム肉である。無論、ケンタッキーフライドチキンはこちらでもかなり出店されているのがわかった。ファーストフードといえばマクドナルドもすごい数が出店されている。コーヒーで言えばStarbucksの出店もすごい。ある意味日本とほぼ変わらない町並みといえる。唯一違うのはお酒がないことである。ビールがあったがノンアルコールビールだった。毎日ワインを楽しむ私からするとこれがとてもキツい。今回は2泊しかしないのでなんとか耐えたがお酒がないのはやはり困る。

クリーニングでいうと今回の訪問を要請してきたLavenderyというクリーニング店がある。多くのサウジアラビア人はクリーニング店を利用してデュシュタシュや頭に被る布をシュマルというがこれらを出している。特にシュマルについてはスプレーの糊をかけながら生地を三角に折った状態で少し固めにプレス仕上げをするのだがこれがかなり独特。なかなか家ではできない品質と判断できる。サウジアラビアにはすでにJeevesも存在していた。びっくりした。(あとで聞いた話しによるとこのサウジアラビアのJeevesには我々の仕上げ機が納品されているらしい)ということでクリーニングサービスはある程度日常的なサービスとして地元の人々(サウジアラビア人)に利用されているようだ。

夜に訪問したLavendery。素晴らしい店構え。
デュシュタシュの仕上げ風景。オペレーターはパキスタンからの出稼ぎ。これが現実である。
シュマルの仕上がった状態。スプレー糊でのアイロンがけなので心地よい硬さになっている。


ここでアラブ諸国の人口事情について説明しておこう。サウジアラビアは3400万人と言われているがすべてサウジアラビア人ではない。彼らはあまり働かない。家族を世話しなければならないとか様々な理由で働かない。しかし国が補助してくれる。代わりにインド人、パキスタン人、バングラデシュ人、フィリピン人が出稼ぎとして働きに来ている。最近はネパールからも人が来ているらしい。これはサウジアラビアだけの話しではない。例えばアラブ首長国連邦のドバイは人口1000万人いると言われているが実際のドバイ人は100万人しかいないそうだ。残りはすべて外国人であり、彼らもまた出稼ぎとしてやってきているのだ。石油に恵まれた生活を送っている人もいればお金を求めて重労働を買って出る人々もいるわけだから世の中は不条理としか言いようがない。

これからサウジアラビアには頻繁に訪問することを感じて帰ってきた。次回の訪問時で新しいことを感じることがあるだろう。また訪問することがあったら第二弾として紹介したいと思う。