クリーニング店の洗浄を売りにしてみては?

1月はかなり悪かったが、2月はもっと悪くなっている。緊急事態宣言がようやく関西圏などで解除される事になったが、1都3県は3月7日まで続く事が決まっているようだ。大手のクリーニング店も中小のクリーニング店も軒並み30〜40%の売上減との情報が私のもとに届いている。実際に私も何人かの経営者と電話で話をしているが、ほとんどの人々が「もはや売上が戻ることはないだろう」と悲観的な見方をしている。実際に私も同じように考えている。
戻らない、戻らないと悲観するのはいいが、何も手を打たずに悲観していたら本当に潰れてしまう。ほとんどのクリーニング店はワイシャツ、ズボン、ジャケットの3点を基本とした工場レイアウトができている。これらが集まらないから他を集めよう、と思ってもそう簡単にできないのが現状と言えるだろう。そうなるといくら新しい事をやろうとしてもまずは3点を集める努力をしなければならない。しかしそれを一体どのように集めていくのだろうか?ちなみに大手量販店ではワイシャツやブラウスなどはある程度売れているらしい。しかし売れている素材は形態安定シャツ等である。価格の安さも手伝ってそのようなシャツを買い、家で洗濯をしてしまう、という傾向が強まっているのだろうか・・・。

私は兼ねてからクリーニング業界に対する大きな疑問があった。それは「洗いの素晴らしさ」を表現していないことである。一般消費者にクリーニング店の水洗いと家庭洗濯の差はなんだろうか?と聞いてみても「わからない」と答える人がほぼ100%というのが現状である。そして家庭洗濯でお湯を使って洗っている人は極めて少ないのも現状で、多くの流通している家庭洗濯機はお湯対応していないモデルで、家庭洗濯用洗剤もお水に対応したものがほとんどなのだ。それなりの科学の力はあるのだろうが、お湯の力に勝るものはない。日本のクリーニング店でワイシャツを洗うのに通常の水道水の温度で洗う工場はないだろう。お湯の温度設定については各社それぞれ違いはあるが50〜55℃を適用するところが一番多いのではないかと思う。
では何故クリーニング店はお湯を使うのか?それは単純にお湯の方が汚れが落ちると誰もが理解しているからである。そしてそのお湯にワイシャツは耐えられると理解しているからだ。では何故家庭洗濯ではお湯を使わないのか?家庭洗濯ではワイシャツだけで洗う事はないだろうしいろんな素材をまとめて洗うので、一番リスクが少ないのは真水で洗うことなのだろう。確かにこれはリスクを冒さない最良の方法ではあるが、私はそもそも人々がお湯で洗う効果を知らないのではないか、と推察する。故にクリーニング店はここに大きな洗浄の差があることを改めて認識し、それを強みとして消費者に主張することではないだろうか。最近こそお湯で洗える家庭洗濯機が出始めてきているが、まだまだそれを利用する人は少ない。実際に洗濯機にお湯を接続している家庭はとても少ないし、お水を洗濯機でお湯にするにはかなりの電力を消費しなければならない。それらを経済的に考えるとお湯で洗おうとする人は少ないと考える。クリーニング店は高温のお湯で洗っているから皮脂の汚れも含めて綺麗に洗浄することが出来る、という論理を展開すれば家庭洗濯との大きな差をつけることができる。しかし、何故クリーニング店はこの強みをもっと消費者にアピールしないのだろうか?私はこれを昔から考えていた。コロナを通じてクリーニングの需要がここまで落ちている時にこそ基本の強みをもっとアピールすべきではないだろうか?

一方で、私はクリーニング店に「衛生」「消毒」という言葉をもっと利用した宣伝をしてもらいたいと思っている。世の中の人々は依然とコロナにおびえる毎日を送っている。クリーニング業界が洗浄からもっとコロナにも対応できる洗い方をしてもらえれば需要は計り知れないのではないか、と思う。残念ながら消毒という観点ではできる方法がほぼない。次亜塩素酸を使えば十分に消毒にはなるが、洋服の色を全部飛ばしてしまうのでNGである。一方で80℃以上のお湯で10分以上つけ込むというのも消毒の一つの方法となるが素材が80℃のお湯に対応できないのでこれもNGとなってしまう。結局のところ、消毒できる方法がクリーニングにはないのが問題なのだろう。大手薬品メーカーからの情報によると過酢酸を使う事が唯一の方法ではないか?と言う。しかしこれは劇薬指定になっているので一般家庭で使うことはまずできないだろう。そしてこの過酢酸はまだ認可されていない薬剤なのでこれを使うから大丈夫、という論理にもならないのが現状だそうだ。

ただ、最近はウィルスブロック(以下VBと省略する)剤なども出てきているのでこういう薬剤を利用しながらクリーニング店の洗浄価値をもっとアピールする事ができたら新たな顧客を創造する事が出来るのではないだろうか?

何もやらずにこのまま指をくわえてみているとこの業界の縮小が加速し、半分以下のサイズになってしまうのも時間の問題になるだろう。業界に携わっている者としてはとても悲しい話しである。各社が何らかの対応をして消費者にアピールしてくれる事を心から願う。

この時代だから考えるのが営業利益率

今年初めてのブログである。今年から1ヶ月に1回はブログを更新しようと思っていたのだが何ともネタがない。書くことと言えばクリーニング店の売上が1月8日からスタートした緊急事態宣言を機に急落してしまっていることである。昨年12月の売上が全体的に少し落ちてしまい、業界関係者は不安に思っていたのだが、1月に入ってからの落込みは目を覆いたくなるような状況になってしまっている。多くのクリーニング店が工場の50%近くを休業させている状態で、弊社のフィルムの売上を見てみてもその状況は手に取るようにわかる。年末のブログでも申し上げた通り、もはや以前のビジネスモデルでは成り立たなくなってしまっているのが現状といえよう。

いくつかのクリーニング店は更にセールをかけてボリューム集めに奔走している話を聞く。ただでさえ低価格でやっているのに更にセールをかけるのか・・・、明らかに人々の外出は減ってきていると思う。特に夜の人々の外出は無くなっている。実際に私も夜の外食においては1月に入って一度も出かけたことがない。この状況でセールをかけて本当に集まるのだろうか?セールをかけなくても集まると想定される洋服に対しても利益を圧迫させてしまう政策になっていないのかな?と老婆心ながら心配してしまう。何もやらないよりは良いしその決断は尊重するが、くれぐれも会社の利益率が更に低下しないように頑張ってもらいたいと心から願う。

私は1997年に三幸社に入り、海外を中心にクリーニング業界を見続けてきたが、その間にJCPC日本クリーニング生産性協議会と関わり、IDC国際クリーニング会議の企画をやるようになり、世界中のクリーニング業者と関わるようになった。その関わりを経てクリーニング業の歴史や現在のビジネスモデルなど様々な知識を持てるようになった。三幸社の海外進出は1988年で、イギリス・バーミンガムの展示会にワイシャツ仕上げ機を初出品した。当時「アジアからすごいワイシャツ機がやってきた!」とその展示会で一番の注目になった。私はその時参加していなかったが、私の父が帰国時に大興奮でその話をしていたのを思い出す。その流れから海外展開を視野に入れ、1993年にSankosha USAがシカゴに設立されたのだ。アメリカでも当時のモデルCN-561(国内はCN-551)が飛ぶように売れていったのをよく覚えている。しかし、私の父はアメリカでここまで売れるとは予想していなかった。私もどうしてあの機械がそんなにもてはやされたのか?がわからなかったのだが、それが現在よくわかるようになった。

時は1960年代後半から1970年代前半、アメリカやヨーロッパではそれまでのクリーニング業が破綻を迎えようとしていた。黒人の社会進出(人類平等における社会の認識)、それまで安価で雇えた人件費の上昇、形態安定シャツの登場、カジュアルウェアに対する理解などが挙げられるが、クリーニング業に於いてはどれもこれもが逆風だった。その当時どのくらいのクリーニング会社があったのか、はわからないが、相当数が廃業または売却を行った事を確認している。アメリカは1970年代からずっと業界の縮小が進んでいる。現在は大きな縮小には至っていない。白人系で家族代々続いている老舗クリーニング店は現在も堅調な動きをしている。一方で中堅クリーニング店がその当時から移民に事業売却を徐々に始めており、韓国系クリーニング店が爆発的に増加したのもこの1970年代後半から1980年代にかけての話しである。

こんな時代背景だったのだが、ボリュームはどんどん減るが、人件費はどんどん上がっていく、と言うことで韓国系クリーニング店は人を雇わず、夫婦だけで朝から晩まで二人きりで身を粉にして働き続けてなんとか生計を立てていた、と言うのが実情であった。はっきり言えば人を雇う力がなかったが、二人で出来る事は残念ながら限られている、だから便利な機械は導入したい、というニーズがあったのだ。その結果、韓国系のクリーニング店を中心に爆発的に売れたのだ。私の父は発売したシングルを当時の日本の小規模クリーニング店の為に開発したのだが、アメリカでは業界のダウンサイジングの時期に丁度合致したのである。

このようなアメリカの歴史を日本はまさにたどろうとしているのである。私が申し上げたいのは利益率だ。特に営業利益率、これをどうやって改善していくのか、をまず第一に考えるべき事であろう。アメリカ、特に白人系のクリーニング店では営業利益率15%以上を常に意識しているそうだが、日本のビジネスモデルからするとかなり難しい設定になるだろう。ただ、今まで2〜3%の営業利益ならば5%以上を設定するのも良い。6〜7%を出しているのであれば10%以上を目指す、という感じで良いと思う。いずれにしても今までの利益率以上を目指す政策をまとめることが生き残りの一番のベースになると思う。その利益率を出すために価格の再設定が必要なのか?もしくは工場の原価を落とす努力が必要なのか?店舗などの営業経費の削減が必要か?様々な分野での改善が必要になると思われる。

しかし基本的に変わらないことは集める洋服である。どんなに靴やワッシュ&フォールドをやったとしてもそれらが会社の売上の根幹になる事はあり得ない。やはりワイシャツ、ズボン、ジャケットを如何に集めて利益を出すか?を考えなくてはならないのだ。売上が減っていく中で売上を増やすセールをかけても本当に大丈夫か?と前述したとおりなので、この時期に一番力を入れるべきは「工場経費の削減」ではないか?と考える。もはや戻らないだろうボリュームを夢見ていてもその夢から覚めることはまずないだろう。

ならばこの時代にあった工場作りを再定義してみるのが良いと思う。ただ、一気に全てをやることはできないので順番にやっていけば良いと思う。私は一番やりやすいのはワイシャツと思う。何故ならばアメリカの縮小時代で彼らが取った対策が参考にできるからだ。特にフジ型を使用している工場はすぐに経費計算を始めた方が良い。そこで多少の投資金額が必要としても最終的に近い将来でプラスに転じる事は簡単に理解出来るだろう。ただ、そこで将来のボリュームが想定通り集まり続けるかどうか?を営業サイドとしっかり確認し、確固たる営業戦略を作って行けば良いのだと考える。

日本がアメリカのたどった道と全く同じ道になるとは思えない。しかし、クリーニング業がアメリカのようになっていく傾向は間違いないと思う。そんな事を考えて営業利益率をどのくらいに設定するのか?そしてどうやって目標数字を目指すのか?をしっかり組み立ててもらえると明るい未来が徐々に見えてくるのではないかと思う。ただどんな世の中になっていくのか、は誰もがわからない中で決断をしなければならないわけだから経営者の皆さんのご苦労は本当に計り知れない。しかし決断できない会社は衰退していくので何らかの決断をして会社を前に動かしてもらいたいと心から願う。

今年1年を振り返って 〜とても厳しいクリーニング業〜

なんと、今年も本日で終わってしまう。

飛沫防止板のお話しをのぞいてこのブログに載せるのは何ヶ月ぶりだろうか?2月に新型コロナウィルスが日本を席巻してからすっかり生活スタイル、世の中の経済がガラッと変わってしまった。私が最後に海外を旅したのは3月9日、本日は12月31日だ。最近はいろんな人に会う機会を頂いているが、会うと必ず言われるのが「圭介さんも海外には全然行っていないですよね?こんなことって今までになかったでしょう?」というフレーズ。あるわけがない。コロナ前の時代でこれだけ海外に行っていなかったら仕事を放棄しているようなものだ。それだけ三幸社という会社と私という人間は海外に依存しているのだな、と改めて実感する。

日本では感染の減少、Go Toトラベルの活用などでやっと経済にも動きが出てきたように感じる。最近は政府のGo To事業が影響して感染拡大を引き起こしてしまっているのではないかという話しも実際に起こっているが、日本人の自発的な感染予防活動は世界でも類をみないモラルだと思う。普通だったらこの時期は爆発的な感染が見込まれるというのに国全体の一日の感染率がアメリカに対して二桁違う。それでも日本では連日メディアを通じて大騒ぎしている。行政のトップもこの問題にしっかり向き合っている(他国の政府と比べての話し)のだから感染防止につながることは間違いない。先日のアメリカ大統領選挙でバイデンが勝利したと報じられているが、トランプが負けるのも無理はない。アメリカのように国のトップが新型コロナウィルスの問題に真っ向から取り組まず、感染予防を国民に呼びかけず、結果として自分自身がかかってしまう人に大統領を任すことなど出来るはずもない。早くアメリカもヨーロッパも感染防止に腐心してもらい、外国人を含めた人々の往来が出来る世の中を取り戻してもらいたいと思う。

さて、クリーニング業界は本当に厳しい時代を迎えてしまった。私は兼ねてからクリーニング業がどんどん縮小していく、という話しはしていたが、こんなに急にやってくるとは思わなかった。準備が出来ないくらい急だったことは不運としか言いようがないが、この業界縮小はコロナがあろうとなかろうといずれは避けて通れない道筋だったのだ。男性のユニフォームとも言えるスーツ上下、ワイシャツ、ネクタイが山のように集まる時代は終わりを告げようとしている。地球温暖化、ドレスコードの消滅、そしてコロナが生んでしまったテレワークなど今までのビジネスモデルを否定するかのような条件が次々と生まれてきている。この状況で20%以内の売上減でとどまっているクリーニング店は基本的に必ず生き残っていけるのだろうと予想している。しかし、一般的には25%から30%近くの売上減で推移しているクリーニング店も多いと聞く。

残念ながら私の予想では25%以上の売上を落としている会社は残っていく事は非常に難しいと考える。何故ならばそもそもクリーニング業でとても高い利益率(営業利益7〜8%以上)を保つお店がとても少ないからだ。一部のクリーニング店ではとても高い利益率を確保しているのを知っているが、基本的には一般消費者が顧客である。故に価格競争からくる利益率の低い状態で活動しているのがほとんどのクリーニング店であろう。しかし海外と比べて一つ良い条件がある。それは「料金前払い」という制度である。日本はこれがあるから低利益率であってもなんとか食いつなぐ事が出来たのだ。そこで必要なのが売上高なのだ。しかしこのコロナ禍で30%ダウンしている会社は相当厳しいと言わざるを得ない。売上向上における何らかの対策を考える必要があるだろう。

私は実際に20%以内で推移しているクリーニング店を数社訪問しているが、そういう会社は何らかのアクションプランをとっている。不採算店の閉鎖は当然であるが、一方でこんな時代での新規出店もしている。クリーニング需要がどんどんさがっているのにもかかわらず新規出店するのはしっかりとしたマーケティング、そして経営者による決断と投資が出来るからであってこれはなかなか出来ることではない。

同じ事が工場でも言えるだろう。工場は売上に対するプロフィットセンターになり得るし、コストセンターにもなり得る。コロナ前の売上規模を維持している会社はほぼないと思われる状況から工場のプロフィットセンター化に向けて経営者は腐心しなければならない状況であると思われる。要は今まで以上に利益を出すためにどんな工場改革をするのか?を考えなければならないのだ。ここに力を注げない会社は残念ながら残っていく事はとても難しいと私は考える。

これは我々のようなメーカーでも同じ事が言える。私のようにクリーニング店が売上をどんどん減らしていたら潰れるぞ!と。しかし「どうやったらこの状況を回避出来るのか?」と質問されて何も対応していないメーカーも間違いなく潰れるだろう。我々はそうならないことを願いながら新しい機械を次々と開発しているが、これからの時代は「人件費削減」が大命題になるだろう。

要は時代が変わったのだ。変わった時代に対応出来る企業のみがこの時代に生き残っていける。クリーニング店で言えば長時間営業に如何に少人数で対応出来るか、なのだろう。しかし時代の変化に投資はつきものである。それを嫌がっていたら何も変えられない。こんな時代に新しい事に対して投資すると言うことはとても大きな勇気が要る。それが出来る企業が次世代に対して対応出来る、と言うことで名を挙げる会社となるのだ。

今後のクリーニング業会はとても厳しい状況にあるのは間違いない。しかし、多くの企業がこの状況を乗り切ることを切に願いたい。我々も皆さんのリクエストに応えられるだけの会社であり続けたい。そして2021年がもっと躍動的な年になってもらいたい。私のブログももっと更新出来るようにしたい。来年から最低1ヶ月に1回はアップしていきたいと思うが、これは自分がどれだけ旅出来るか?次第だ。

早くアメリカ、ヨーロッパにオセアニア、海外に行きたいな〜・・・。

三幸社の飛沫防止板 最終回

5月22日、我が社の事務所の一部にオフィスdeマスクを設置した。GCSC(グローバルカスタマーサービスセンター)という部署があり、ここが外部からの部品注文、メンテ依頼など様々な対応を行っている部署である。彼らが対面で電話越しに話し続けている状況を見て「彼らにまずは飛沫対策してみるか?」と言うことから設置してみた。それと同時に社員食堂にもレストランdeマスクを全テーブルに入れてみた。なかなか壮観だし、安全度が一気に上がった。これを見て「うん、事務所全部に入れよう!」と言うことになった。考えてみれば、我々は飛沫防止板メーカーでもあるのに自分たちが使っていないのはおかしいよね!と言うことで設置する事を決定した。

(事務所の全デスクに配置された。なかなか見栄えの良い事務所になった)

6月26日、全てのデスクに設置された。私は社長である兄の目の前に座っているのだが、我々の間にも飛沫防止板が入った。彼はにこやかに「いや〜、これで安心だ〜!」って・・・。俺はコロナ持ち?(笑

(我々の間にも設置。社長ともしっかり会話ができる)

執行役員で工場長の渡辺役員が独断と偏見で赤色のフレームを作った。こうやってみると赤のフレームも悪くない。残念ながら未発表なのだが、黒と白のフレームの中に赤が少々入っているとアクセントになって雰囲気が良い。色を塗る前は多くの社員が「赤なんてやめましょうよ!」と言っていたのだが思った以上の雰囲気で渡辺役員の鼻の穴が一気に広がっていた。

(未発売のレッド。全体のアクセントになっている)

皆で全デスクに入ったオフィスdeマスクを眺めていたら社長が「下のネジを緩めておいて!」と言い出した。我々は「なんでですか?」と聞いた。「少しよれているフィルムがシャフトの重みで少しずつピンと張ってくるはずだから」という。「本当にそうなるのかな?」と怪しげに思いながらも、せっかくだからやってみよう、と言うことでやってみた。翌日会社に来てみるとあらびっくり!少しシワの入っていたフィルムがきれいに張っているではないか!今度は社長の鼻の穴が大きく開いた!!(笑

この日、カタログができあがった。今までとは違い、見開き4ページのカタログ。それまでのカタログを比べても内容が相当濃くなったし、レストランdeマスクもこのカタログから正式に入った。さあ、これでラインナップもそろってきたし、カタログもしっかりしたものができたからこれで行けるだろう、と思ったらまた問題が発生。今度は「このフィルムは燃えやすい素材なのか?」という問い合わせだった。実は前の週あたりからテレビ報道でビニールを応急的に飛沫対策しているお店で火がついて一瞬で燃え広がってしまった、というニュースが流れていたのだ。実際、我々も現在使っているフィルムが燃えやすい素材かどうか、は確認していなかった。そこで実際に燃やしてみることとした。結果は写真の通り。燃えない訳ではないのだが、火種がなければ燃え広がることはないことを確認した。いわゆる「難燃性素材」という事だった。これにより素材を変更する事がなくなり一安心、皆で胸をなで下ろした。

(実際に燃やしてみた。日がそばにあると一応焦げ目はつくのだがすぐに消えてしまう)

5月29日、私はゼンドラの中澤編集長のアドバイスからPRタイムスというメディアに連絡した。商品はどんどん良くなっている。しかしどうしてもこれ以上広がらない。

「どうして?」

一つ言えることは自分の交友関係はそれほど広くない、と言うことだ。クリーニング業界であればいろいろな人を知っているが、この飛沫防止板となるともっと幅広い業界に使ってもらうことができる。しかし私はそれぞれの業界を知らない。どうやって接点を作る事ができるのか?その質問をゼンドラの中澤編集長にしたら「PRタイムスでも使ってみたらどうですか?」とアドバイスしてくれたのだ。早速、彼らのホームページから登録をして質問を投げてみた。すぐに返事が帰ってきて5月31日にオンラインミーティングをしてくれる事となった。私はそれまでに「お店deマスク」の紹介文を作ってみた。

そしてミーティングの日を迎えた。私は用意しておいた紹介文を写真付きで事前に送っておいた。それを見ながらミーティングをする事となったのだ。結論から申し上げると全く読むに値しないと言われてしまった。そこでどんな事に注意すれば良いのか?をゆっくり教えてもらう事とした。今までは自分の頭に浮かんだことをスラスラ書いただけだったが、やはりそれでは人には伝わらない、と言うことを思い知らされた。

そしてできあがったのがこの文章。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000059134.html

ポイントだけ説明しておくと

  • 会社情報:知らない人ばかりなので最低限の情報は載せること。
  • 製品情報:ここが一番最初に来るべき。何故ならばこれを一番伝えたいのだから。
  • セクション見出し:それぞれに見出しを付けて何を伝えたいのか、を題にする事。
  • 実用例:これはあれば尚結構、と言うこと。

こんなところを上手くまとめるとメディアなどが読んでくれるらしい。
これをとても丁寧に説明してくれたのはPRタイムスの舛田さん。私はこの後1ヶ月間に3つのプレスリリースと1つのストーリーを作ったのだが、彼にはとてもお世話になった。そしてプレスリリースの作り方がわかってきたので文章も作りやすくなった。この文章は3つめのプレスリリース。是非、最初のプレスリリースとの違いを見て欲しい。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000059134.html

PRタイムスを通じてプレスリリースをした瞬間にいろいろな会社からコンタクトが入り始めた。最初は似たようなプレスリリース会社からの営業活動がおおかったのだが、徐々にいろんな会社から連絡が入り始めた。

これ以外には銀行の月刊誌に掲載してもらったり、商工会議所の定期刊行物の中にチラシを一緒に入れてもらったり、J-Waveに無料の宣伝を流してもらったり、と様々な活動をしたおかげで実に様々な会社やお店からお問い合わせを頂くこととなったのだ。

現在はパーティションdeマスクという製品もリリースし、4種類の飛沫防止板を作り、おおよそ1200台が世の中に出た。自社の社員全員の給与をまかなうには全然足りない額ではあるが、何もやらないよりはよっぽどマシである。しかも4月13日に社長が「やろう!!」と言い出してからたった2〜3ヶ月でよくぞここまでできるようになったものだ、と社員全員の協力なしでは全くできなかっただろう。改めて社員一同に感謝したいとおもう。この飛沫防止板の誕生秘話もPRタイムスのストーリーに載せたので是非これも読んでいただきたい。

https://prtimes.jp/story/detail/WBq7KATRVrY

これからも「お店deマスク」シリーズは進化を続け、更にラインナップを広げることになるかもしれない。もし、読者のビジネスでこのような飛沫防止板のニーズがあるならば是非声をかけていただきたい。

三幸社の飛沫防止板 その3

5月7日、ゴールデンウィークが終わって久しぶりに出社した。ゴールデンウィーク中にどれだけの見込みやオーダーがあったのか、とても興味があった。しかし、その期待は全く裏切られた形となった。

「どうして?」

全員から動揺が走る。原因はいくつかあった。まずは価格だった。15,000円が高すぎるのだ。我々の感度がマーケットの感度とかなり差があったことが問題なのだろう。それまで三幸社の機械価格は世界でも一番高い方に位置する。それまで付加価値を売ってきた会社なので今回も同じメンタリティでモノが作られていたのは事実だ。しかしこの飛沫防止板は話しが違う。本来であれば設置しなくてもいいものを設置しなければならないというネガティブな要素が入っているからだ。様々なターゲット層に対応する事を考えると見た目も大切ではあるが、やはり価格がとても大切だ、と言うことをここで痛感した。

5月8日、早速試作ができあがった。価格を大幅に落とす事ためには部品点数を落とさなければならない。今までの概念を捨てて向き合わないと難しい。昨日から社長が直接、改善点を言い始めた。「ネジの数を減らそう」「フレームはもう少し細くても良いのではないか?」などなど。やってみた結果が写真のようになった。

(反省を踏まえて新作モデル。イメージが相当スッキリした)

 

 

(フレームが3cmから2cmへ。これだけでも相当無骨さがとれた)

前のバージョンと比較するとかなりスッキリした。横のシャフトは丸い棒を採用し、フィルムは同じモノを使っているがシャフトが挿せるように縫うこととした。これによりネジの数が大幅に減っただけでなく、フィルムのシワを伸ばす事ができる。部品が減り、フレームが細くなるとここまでシャープに見える事に社員一同大きな驚きを持った。そして料金であるが2/3の料金まで落として大丈夫と言うことももう一つの驚き!と言うことは15,000円が10,000円でできると言うことになる。これも相当な追い風になる。社員全員が「もう一度声かけをしてみよう!」と言うことになった。

5月9日、私はこの日はメンバーコースの日高カントリークラブで午前中ゴルフをやりに行った。やはり客はほとんどいない。ゴルフ場もこれではなかなか運営するのが難しそうに感じた。4月23日に納品したコース売店の飛沫防止板がどうなっているのか、もとても気になっていた。早速、売店で見てみたら、なんとフィルムの下にラップをグルグル巻きにしているではないか!私はすぐに売店の係員に聞いてみた。そうすると「思った以上にフィルムが高すぎて背の小さなお客様だと開いている部分に顔が来てしまうんです。だからこれで塞いで見ました。」と言うことだった。これはまずい!と言うことですぐに対策のフィルムを作って差し上げることとした。

(フィルムの高さが結局合わずに無残な姿に・・・。すぐに対策フィルムを作った)

レストランを訪問したら部長の小石川さんが言ってきた。「これからレストランを安全に運営するために飛沫対策をしないとまずいと思うようになってきました。我々はレストラン営業を絶対に辞めたくない。しかし今のところ安全に運営できる方法がなくて困っています。」と言うので丁度トランクに一つ入っていたオフィスdeマスクの最新型を取り出して、試してもらった。早速気になったところは三つ。まず高さが高すぎて圧迫感が強い。そして下の開口部が低すぎて共用している調味料や紙ナプキンなどが双方で使えない。そしてフレームの脚がどうしても無骨なのだ。レストランの様なところではもうちょっと細くスタイリッシュにして欲しい、と注文がついた。持ち帰って検討する事とした。

(対策した脚。上が対策後、下が対策前。同じ長さでもここまでスッキリ感が違う)

5月12日、日高カントリークラブのレストラン用ができた。圧迫感と共用備品、そして脚をもう少し細くする対策して持って行った。レストランのテーブルクロスが白だったので今回は白塗装で対応してみた。第一印象は悪くない。高さはオフィスdeマスクよりも30cm低い。これでかなり圧迫感はなくなった。そして下の開口部は20cm開けてみた。こうすればおおよその共用品はぶつからずに使い回す事が出来る。そして脚の形もスリムになった。小石川部長のリクエストからレストランdeマスクの基本形ができあがり、この脚の形が今後の全てのシリーズに適用される事となる記念すべき日となった。また、この日は同時に狭山ゴルフクラブにも納品があったので、まずは狭山を訪問したのだ。こちらではフロントにオフィスdeマスクを置きたい、と言うことで2台を納品させてもらった。これによりフロントはとても見栄えの良いモノとなった。支配人をはじめ関係者もとても喜んでくれた。その次いでに日高に持って行く予定のレストランdeマスクを彼らにも見せるだけ見せたのだ。思った以上に反応が良い。「これ、良いね!ウチにも是非サンプルを持ってきてくださいよ!」と好反応だった。こういう反応があるととても嬉しい。

(狭山ゴルフクラブのフロント。このイメージにしっかり合う黒塗りで対応した)

狭山ゴルフクラブを後にし、日高カントリークラブへ。小石川部長が待っていた。早速新作を持って行ったら彼らもなかなかの反応を示してくれた。一応合格!このまま置いてもらう事となった。

(日高で試してもらったレストランdeマスク試作品。下は共用品が自由に手に取れる様になっている)

この辺りから少しずつ異業種への販売が目立つようになってきた。居酒屋、ある会社の事務所や会議室、そしてゴルフ場。更に異業種ながらこの飛沫防止板専門代理店になってくれる会社も徐々に増え始めてきた。なんかつながり始めてきた。新しい事をやることで新しいお客様ができ、その方々から新たなリクエストをいただき、それを形にする事で次の商売が生まれる。決して儲かる商売ではないが、この時代に贅沢はいえない。一種の社会貢献として進めていくならば十分ではないか!これは4月13日に社長が言い出した事だが、たった1ヶ月でここまでの事が出来るようになったのは本当にすごいとしか言いようがない。

(居酒屋に納品。拡張ユニット付でしっかり飲食スペースとの間をシャットダウン!)

 

(とある会社の会議スペース。来客が多い事から設置を決めたらしい)

(地方のドラッグストア。これなら使える!と採用してもらった)

(大手予備校の面接スペース。シンプルだが会話も問題なくできているとのこと)

まだまだ機械の仕事は全くもらえずとても苦しい状況ではあるが、この飛沫防止板を通じて少しでも工場を動かせるようにしていきたい、と全員が一丸となっていた。

 

三幸社の飛沫防止板販売の裏側 その2

4月20日、ミーティングルームに朝から関係者が集まった。先週末に臨時役員会が開かれ、20日からの工場の休業を決定したのだ。残念ながら世界の需要が完全に止まってしまい、機械を作っても在庫が溜まってしまうだけ、と言うことで操業停止に追い込まれてしまった。しかし、我々には飛沫防止板がある!全員が出社するほどのボリュームではないが数人は出てもらわないと作る事が出来ない、と言うことで「お店deマスク」プロジェクトチーム全員が出社してくれた。

(全員で組み立て方などをチェック。なかなか難しい!)

早速、バージョン1を全員で検証した。組立は基本的にお客様にやってもらうことになっている。しかし組立方法などが確立していない。そこでQRコードを使った取説作りを始めることとした。アメリカからもオーダーがやってきた。私がFacebookで出した内容を読んでいる人が沢山いた。ロサンゼルスやサンディエゴのクリーニング店からも直接私に問い合わせがきたくらいなのでその注目度はかなり高い、と感じる様になった。結局アメリカからも200台近くのオーダーがやってきた。急ピッチで作って行かなければならない。工場は本当に一部ではあるが大忙しの状態となった。そしてショールームも臨時梱包の作業場となった。ある意味戦争状態。事務所で働いている社員達も総動員で梱包に当たる。

(ショールームが梱包場に変身。全員で作業に当たる)

私の中学時代の同級生が建装会社を経営している。この会社の外装、内装、雨漏り対策など色々面倒見てくれているのだが、彼にもこのマスクの販売をお願いしてみた。通常の機械と違って売りっぱなしに出来る商品だから彼が販売しても大丈夫と思ったからだ。こういう販売は人間関係の豊かな人が一番売れる可能性が高い。この同級生は本当に交友関係が広い。本人もすぐに乗ってくれて販売が始まった。早速2件のお客様から売上を持ってきた。「まだ売れるよ。いくつか話せる先があるから!!」と、本人もやる気満々。それと同時に一つ相談ごとを持ってきた。「あのさ、このお店deマスクの会議用って出来ない?実はある不動産屋さんがお客さんとのミーティングの時に使えるヤツがあれば良いのに、と言っていたから」と。

早速、社長にもこの話を伝えたら「面白い!早速作ってみよう」と言うことで会議用の飛沫防止板開発がスタートした。どんな感じになるのか、多分翌日には形になっていると思うのだが・・・。

4月22日、会議用の飛沫防止板の試作ができあがった。お店タイプと違って下のシャフトも上と同じようにビニールで引っかけるようになっていた。はっきり言ってお店タイプよりも格好いい。これなら多分喜んでくれるだろうと思った。早速、同級生の事務所に持って行った。「お、なかなか格好いいじゃん!うん、これなら売れるよ!!」と上々の反応だった。もしかしたら会議用もこれから売れる可能性が出てきた。ちょっと嬉しい。

(会議用の飛沫防止板。オフィスdeマスクと名付けた)

実はこのモデルから少し作り方を変えた。お店deマスクの開発担当をしている生産技術課の内田啓介課長は「バージョン1の構造は金属フレームと飛沫防止フィルムをネジで共締めする構造で、組立て勝手が悪く改善を行いました。改善内容としては、金属フレーム同士を予め組んだ際に自立できるよう“ハメコミ”構造とすることで、フィルム取付時の組立て勝手は向上しました。」とコメントしている。やはり組立づらさは絶対に流行らない。これも今後の売上要因に貢献してくれるのではないか、と期待した。

(お店deマスクシリーズ開発担当の内田課長)

4月23日、私がメンバーになっている埼玉の日高カントリークラブのコース売店向けに3台を設置させてもらった。やはりコース売店で働く人はかねてからお客様とのやりとりに危機感を持っていたらしい。ゴルファーは基本的にプレー中はマスクをしない。そしてコース売店には飛沫防止板が設置されていない。これが売店で働く人には大きな不満となっていたようだ。1週間前にお邪魔したときに丁度クラブハウスの売店コーナーでアクリル板を設置しようとしていたのでその時に声をかけたのがきっかけだった。せっかくなら見せてもらえるか?と言うことでサンプルを一つ持っていったところ、非常に反応が良かったので、今回コース売店で採用してもらえる事となったのだ。

売店で働くスタッフは「あ〜、来た来た。これで安心〜」とかなり心待ちにしていた様子。現場は経営と違い、感染リスクを常に気にしながら働いているのだな、と改めて経営が現場の安全を気にしてやらないといけないのだな、と再確認した瞬間だった。

(写真は西コースのコース売店。綺麗に設置してもらった)

来週から一足早くゴールデンウィークに突入する。しかし工場は実質休業状態で今週からゴールデンウィークに入っているような状態である。5月7日からゴールデンウィーク明けの通常営業がスタートする事になっている。それまでの間に少しでもこのお店deマスクシリーズが認知されていると良いな、と心から願っていた。

それにしてもどこにも出られないゴールデンウィーク、楽しみがない・・・。

三幸社、飛沫防止板発売へ!

4月13日、社長が「飛沫防止シートを作ろうよ!」と言い出した。私が最後に海外出張して帰国したのは3月9日。なんと既に1ヶ月以上出張していなかったのだが、コロナウィルスの猛威が世界を席巻し、とても出張出来る状況ではない。いや、機械の生産さえできなくなってしまった。世界の需要が全て止まってしまった。なんと言う想定外だろうか・・・。

この日は臨時役員会を行い、それまで予定していたゴールデンウィーク休みを緊急で変更した。会社が臨時休業となり4月20日から1週間クローズとなった。そして27日から前倒しのゴールデンウィーク休みをその当時政府が設定した5月6日までとしたのだ。当社も相当苦しい。機械は作れない、クリーニング店が軒並み売上を落としていることから部品やメンテナンスの売上さえもとれない。完全に八方塞がりの状態で社長が飛沫防止シート作りを提案してきたのだ。

「そんな簡単に作って売れるのか?」と私も含めて社員全員が思っていた。しかし社長は「だったら何をやるんだい?何もやらなければ会社は潰れる。何かやらないと!!」というとても切実な発言から「やってみるか・・・」という感じになった。確かに作ろうと思えば作れることはわかった。ビニールシートもワイシャツ仕上げ機のクールカーテンで使っている素材を転用すれば出来る。フレームは鉄材を曲げるだけだから全く問題無い。

 

4月14日、早速試作の1台ができあがった。ステンレス材を使って塗装をせずに作ってみた。この会社は本当にフットワークが軽い!やるとなったらすぐに動く、そして出来る。この姿勢が会社を存続させ続けてきたのだと改めて強く感じた。すぐにその試作モデルを従兄弟のクリーニング店に試してもらった。私の車には組み上がった状態では載せられないので現地で組み立てた。しかし組み上がらない・・・。部品点数が多い、遊びがないからネジが穴にすっと入らない。とてもじゃないけど簡単に組み立てられない。やっていてとてもイライラした。

やっと組み上がった。私はなかなか格好いいと思っていた。しかしある店員さんは「まるで牢屋みたい・・・」と言う。別の店員さんは「ちょっとサイズが小さいですよね・・・。このテーブルの端10cmずつがもったいない」という。思った以上にネガティブなコメントばかりでテンションは一気に下がった。取りあえず使ってみる、と言うことで商品を置いて帰ってきた。

しかし、会社に戻ったらテンションが一気に上がった。既にびっくりするくらいの反応があったのだ。営業部が一部のお客様や販売代理店に連絡を始めていてそれに反応したようだ。やはり既に多くの人々が「このままではお店の運営が出来なくなる」と気にしていたらしい。瞬く間に200台分のオーダーが来た。やはり多くのお店が「このままではまずい!」と思ったのだろう。工場は早速対応に追われた。お客様は買うと決めたらすぐに欲しい。この商品はそういうモノだ。毎日感染リスクを感じながら営業しているのだから我々もできるだけ速やかに届けたいと思った。

次の問題点が浮上した。このステンレス材は特殊なガスを利用しないと切断することが出来ない。そのガスの供給が一日で限られているのだ。出来ても一日100台分まで。思った以上に生産能力が低い。一気にこのままオーダーがやってきたら我々は本当に対応出来るのか?と不安がよぎる。「あまり最初から勧めない方が良いのではないか?」などネガティブな意見が出る。まずは受け付けたオーダーを速やかに出荷しなければならない。とにかく社を挙げて取りかかる事となった。

4月15日、営業の方でパンフレットを作った。これで多くの人々に紹介することは出来る。工場は突貫で作り始めた。しかし三幸社は仕上げ機のメーカーであって飛沫防御スクリーンの会社ではない。仮に機械のオーダーが入ってきても作る事が出来なくなる。工場の責任者達の顔色は良くない。幸いにもそこまで機械オーダーが入っているわけではないので今の所は問題ないが・・・。

営業は一斉に販売攻勢をかける。この日も少しずつオーダーをいただいたが昨日ほどではない。私もFacebookで紹介した。どうやら機械のオーダーは全く入ってこなさそう。故に工場はオーダーを受ければ全力で対応出来る、という体制になった。

4月17日、初日の勢いはどこへ行ってしまったのか?オーダーがぱったりと止まってしまった。そしていろいろな問題がわかってきた。一番の問題は値段が高い事だ。我々はできる限りコスト掛からない様に作ったつもりであったがやはり15000円という価格はかなり高く感じているようだ。生産部は「これ以上安くしようとしてもどうやってやるのか?」と難しさをにじませる。もう一つの問題はサイズが一つしかない事だ。クリーニング店のカウンターも様々な大きさがあってそれにどうやって対応するのか?がポイントとなってきた。残念ながら現在の我々にはその問題に対する答えがない。社長が動き出した。「もっとフレームを細くしてみたら?そうしたらコストがさがらない?」「ビニールがどうしても上手く張れない。フレームとビニールを一体化する事は出来ないの?」こんな質問が出た。生産部は「フレームを細くしたら倒れてしまうかもしれない」という。「やってみてよ!検証すれば良いじゃない」と社長は引き下がらない。

今だから言えることだが今回は社長のリーダーシップがかなり全社を牽引してきた。社長はこの飛沫防御スクリーンは価格が勝負と最初から思っていたようだ。だから切り詰めるだけ切り詰めて極めて廉価で販売しなければ多くの人々には使ってもらえない。しかも、10台や20台の生産では意味がない、1000台や10000台の販売が出来なければこの廉価でやっていても意味がない、という訳だ。この会社にはこのような廉価品を大量に生産する経験がなかった。今だから言えることはこの飛沫防止スクリーンを通じてとても良い経験をさせてもらっているのだろうと言うことだ。

社長の号令に従って工場のコストダウン計画が始まった。生産技術課という部署があるのだが、ここが改良に走り出した。設計部がいちいち線を書いているようでは廉価ではできないしスピード感もない。社長の言葉通り、フレームのスリム化とビニールの張りをどのようにやるか?であった。彼らは本当に新しい提案が出来るのか?

その日の午後、私は三鷹駅の近くにあるグリーンパークゴルフ練習場を訪問した。この練習場の岡田社長とは昔からのお付き合いで私がまだプロを目指していた頃にはかなりお世話になった人だ。私がFacebookでこの飛沫防止スクリーンを紹介したら彼から連絡を一台欲しいと連絡を頂いたのだ。できあがった商品を一台持って行った。実際にクリーニング業以外で納品するのはこれが初めて。早速練習場のフロントに設置してもらった。「こういうのがないととてもじゃないと営業が出来ない!実は来週月曜日から平日に限り営業を開始しようと思っていたので何かないかな〜、と思っていたら打越君のFacebookを見てすぐに連絡したんだよ」という事だった。問題は練習場での待合室だったようだ。カウンターで働く人は無数の知らない人と相対しなければならないリスクがある。そして待合室に人が何人も溜まってしまうと三密の状態を作ってしまう。これらのリスクからずっと練習場を休業していた、とのことなのだ。「これさえあればフロント業務は出来る。それでも週末は人が集まり過ぎちゃうからまだ出来ないんだけどね」と半分うれしさをにじませながらも残念そうな話しだった。世の中にはこういう事業者が沢山いるんだ、と感じた一時だった。

 

コインランドリービジネスとは?

2月4日、私は羽田空港から小松空港に飛んだ。この日から金沢、熊本、博多、小倉と2月8日までの旅に出かけるのだ。それにしても石川県から熊本に移動とは・・・、我ながら無茶な計画を組むものだ。それでも海外に出かける事を考えたらこのくらいの出張は大した事ではない。日本人としての常識も通用するし、ほぼ時間通りに事が運ぶ。海外出張に比べたらストレスが全くない。

小松空港に着いた。最初に訪問したのがこの小松市で立派に活動している三ツ村クリーニング。聞いたところによると小松市で10万人、お隣の能美市が5万人というあまり大きくない地域でしっかり売り上げている優秀なクリーニング店である。また三幸社製品をたくさん使ってくれている優良顧客の一社である。しかし何年ぶりの訪問だろうか。

空港に社長が迎えに来てくれていて、早速工場を訪問した。本社工場は全く変わっていない。新しいワイシャツプレス機が入っていたが特に変わった様子はない。ミーティングルームにて社長といろいろ話した。この三ツ村クリーニングは社長と息子さんがとても仲が良い。JCPCのツアーでも良く親子で参加しているし、昨年のカナダとロサンゼルスのツアーでは息子さんが一人で参加してきた。自分自身に投資する意思がとても強く、私にとってはいつも好感度の高い親子なのだ。そのミーティングルームで掲げてある写真を注目するとそれは三ツ村社長の考えたコインランドリーの写真だった。早速尋ねてみる。コンセプトがとても面白い。それぞれが全く考えの違うお店になっている。キッズルーム付のお店、動物のモニュメントがちりばめてあるお店、もっとすごいのは足湯のあるお店で土足厳禁のお店だったりするのだ。ただ単にコインランドリーではないところが面白い。私の興味心が一気に高まり、是非見せて欲しいとお願いする事になり行く事になった。

(創業時の三ツ村クリーニング)

(コインとの併設店。ここは普通だったけど客が数人使っていました)

訪問してみると利用者がいる。この地域でもコインランドリーは激戦である。日本全国どこをみても最近はコインランドリーのお店をよく見るようになった。それだけ投資に値する業界なのだろう。しかしあまり人影をみないお店がほとんどなのに対して私が訪問した三ツ村の2店舗はどちらも数名の人が利用していた。明らかに何かが違うのだ。人々の心を動かすモノはなんだろう?私はいつもそれをリサーチしているのだが、最近とても強く思う事はクリーニング業とはマクドナルドのように日本全国に展開するような事をやっても上手くいかない業界なのだろう、という事だ。アメリカでもヨーロッパでも既に答えがでているが地元で洋服を綺麗にするビジネスについてありとあらゆる方面の事業をやって利益率を高める事を考えるのがクリーニング業にとって最も有益な方法だろうと思うのだ。具体的にはクリーニング業だけでなくWash & Foldも一つの手だし、ユニフォームクリーニングのビジネスも一つの手。そしてこのようなコインランドリーも一つの方法と認識する。要はこの土地に住む顧客が望むサービスはなんなのだろうか?を具現化すれば商売として成り立つと思う。そのためにはこの土地をよく知らなければならない。マクドナルドのようなブランドではそれは難しい。この三ツ村クリーニングはこの地をよく知っているからこそこのような展開が出来ているのだろうと強く感じた。

(2件目の正面。何故シマウマ?笑)

(店内には牛さん・・・。何故?笑)

(こんな動物園にこの設定)

昼食を一緒にしながら私が現在考えているこの論理を親子に話してみた。彼らは既にそれを理解し、実践している。だからこちらの話しがよくわかっているし、私の話を聞いて自分たちのやっている事に間違いないと再確認したようだ。こういうクリーニング店には是非頑張ってもらいたいと心から願う。

2月5日、私は小松空港から羽田空港を経由して北九州空港へ向かった。毎年行っている恒例行事、黒川温泉に行く会なのだ。何名かのクリーニング店の社長さん達と楽しむ会なのだがここは全く遊びがない。素直に温泉に入って食事して終わり!なのでその後の部屋飲みをしながら今後の業界について色々語ることの出来る会なのだ。とはいえ、かなりプライベートな部分があるのでこの会についてはここで書くのは控えさせてもらう。

2月6日、我々は黒川温泉を後にして博多に向かった。目的はアスファクト様が運営しているランドリープレスを見学するためだ。ランドリープレスは現在のコインランドリー業界でも際だった会社である。社長の和田さんとはFacebookで友達になり、残念ながら三幸社の仕事はあまりないのだが、私にコインランドリーの質問が来ると紹介するのがこの和田さんなのだ。最近は自社運営だけでなく日本全国にコインランドリーの依頼を受けて店舗設計なども幅広くやっていてとても忙しそうだ。私は今までお店を訪問したこともなかったので丁度良い機会となった。

残念ながら社長は出張に出られていていらっしゃらなかったので専務の満川さんが我々を案内してくれた。会社の中身や戦略についてはこの場でお話しする事は出来ないが、話しを聞いて改めて感じた事があった。これだけコインランドリーが人気になっていても売れる店と売れない店に大きな違いがあることだ。機械ひとつにしてもこだわりがとてもある。「こんなお客様が使ってくれると良いな」とイメージした店作りになっているところがすごい!2店舗を案内してくれたのだが、1店舗目は隣にクリーニング店があるので普通にコインランドリーだけ。2店舗目はコインランドリーにクリーニングの受付カウンターがあるお店になっていた。残念ながら訪問した日は木曜日、たまたまこの日はクリーニングがお休みの日だったのでシャッターが閉まっていたがこの考えもなかなかだ。それ以上に店の中がとてもスタイリッシュなのだ。スターバックスの店内のように人々にリラックス出来る環境をしっかり整えており、飲物ももちろん有料ではあるが美味しいコーヒーが飲めるようにしてあった。こういう雰囲気を見ただけでどんな人々が使うのだろうか?と容易に想像出来るのが素晴らしい。


(最初のお店。とてもシックでかっこいい)

(店内。これもシックで置いてある機材があまり浮いてない)

やはりビジネスは「誰でも良いから使って欲しい」というコンセプトは絶対にダメなのだろう。たかがコインランドリーかもしれないがされどコインランドリーなのだ。単に場所を借りて機械を並べて最低限のサービスが出来ればOK、という考えで売上を上げることは出来ない。しっかり顧客を設定し、その顧客がどんな気持ちでここを使っているのか、をイメージしなければこういうお店は出来ないのだろう。今回は残念ながら会えなかったが和田社長の想いがしっかり店舗に伝わっているような感じがした。クリーニング業でも一緒だろう。しっかり顧客を設定し、その顧客が我々のお店を使うイメージをしっかり想像しながらお店作りをする。単にカウンターを置いて接客が出来れば良い、という考えではお客様はやってこないのだ。コインランドリーというカテゴリーで色々考えさせられた週だった。

(2件目のお店)

(店内。ここもイメージは似ている)

(残念ながら閉まっていた店舗。これはなかなかのアイデア)

(とても落ち着いた待合スペース。こういうのが良いのだろうか)

ドイツのワイナリー

前回のブログに従って今回はドイツのワイナリーについて書いてみたいと思う。全然クリーニングには関わらないので興味ない人はこの時点で読むのを辞めてもらった方が良いかと思う。

1月17日、ドイツの代理店を訪問した話しは前回のブログで書いたがこの日のミーティング後に代理店の社長であるFrank Ziermannに「Baden地方のBernhard Huberというワイナリーを訪問したい!」とドイツ訪問前からリクエストしていたのだ。どうしてこのワイナリーをお願いしたか、というとその数日前に東京で通っているワインスクールでたまたまドイツワインの勉強をしたばかりだったのだ。その時のブラインドテイスティング授業でこのBernhard Huberが出てきたからだ。その時に飲んだのがSpaet BurgunderというドイツでいうPinot Noirをテイスティングしたのだ。その時までドイツのワインを何も知らない私がいた。そして奇しくもこの日と翌日にワイナリー巡りをする事になったならばここで一気にドイツワインの勉強をしてしまおう、と言うことでお願いしちゃったのだ。

代理店のFrankとはもう2004年からの付き合いだったと思う。本当に長い。彼は私の一つ年上である意味同僚みたいな感覚を持っていた。故に彼も私の事をよく知っている。先日、私がこの出張でワイナリーに行きたい、というリクエストをしたときに彼は良い意味でとても驚いたと言っていた。何故ならば私は今まで仕事以外でどこかに一緒に遊びに行こうよ、という話しをした事もなかったからだ。本当に仕事が終わったらすぐに別の目的地に移動するか帰るか、という生活を送っていた。1998年から海外出張をスタートして昨年くらいまで一度もそんな楽しみを仕事で考えた事はなかった。しかしこの歳になっていい加減考え始めた。「それにしてもいろんな都市に行ったけど本当に何も知らないな・・・。歴史、文化などについては全く探求してこなかった・・・」と。ワインを勉強してとても思った事、それは宗教にかなり密接に絡んでいることなのだ。私はだからと言って宗教に傾注するつもりはない。純粋にワインを楽しみたい。しかし、ワインとはかなり宗教に翻弄されながらも一心同体で受け継がれてきた飲物なんだ、と言うことがよくわかった。そんなワインの興味からFrankにワイナリー訪問のお願いをしたものだから本当にびっくりしながらとても喜んでくれた。「お前がこういう時間を持つようになったのはとても良い事だ。喜んで案内したい!」と。

ま、歴史のうんちくはこのくらいにしておいて。私が一番勉強して気になったのはBurgunder系3品種。それはSpaet Burgunder、Grauer Burgunder、そしてWeiss Burgunder。これはそれぞれドイツ読みであり最初からPinot Noir、Pinot Gris、そしてPinot Blancの3つである。Pinotと名前がつくのがBurgunderだろうか?最初は全然覚えられなかったがこうやって土地を訪問すると急に愛着がわく。これが私のワインの覚え方。(笑

(パノラマでのワイナリー風景。入り口がどこだかわからない・・・)

ミーティングを終えて代理店事務所から45分、Bernhard Huberに到着した。入り口がどこだかわからない。そのくらい顧客が訪問しない所なのだろうか・・・。ウロウロしているうちにやっと会社の人が気づいてくれてテイスティングルームへと案内してくれる。テイスティングルームはある程度整っていた。一応、人をもてなすという習慣はあったようだ。

(壁に掛かっていた畑の地層がわかるもの。かなりゴロゴロしているようで水はけは良さそう)

(Bernhard Huberの記事。ドイツ語で全くわかりません!)

そこで私が東京のワインスクールで先週ここのワインを飲んでとても美味しかった、という訪問経緯を話す。するとどんどんワインを持ってくる。アメリカのNapa Valleyだとほとんどが料金いくらで何種類飲める、という決まり切ったものだが、ここでは料金も何も言わずにどんどん持ってくる。最初にGrauer Burgunder、そしてこちらの改良品種でドイツにしかないMueller Thurgerという白ワイン。どちらもとても美味しいが、Grauer Burgunder(Pinot Gris)に特徴が見つからない。色、香、味どれをみてもなんか特徴がつかめない。いわゆるとてもバランスが取れているのだ。しかしバランスがとれている=特徴がない、と言うことでこれはなかなか覚えられないワインとなってしまう。なんかビジネスと似ている。体裁を取り過ぎているビジネスに特徴がない。だから人々に覚えてもらえない。こういうことはあるのではないか?逆にMueller Thurgauという葡萄はRieslingに別の葡萄を掛け合わせた独自品種。こっちの方がドイツらしい、ちょっと甘いけど特徴があって覚え安い。こんなことをやりながら次にSpaet Burgunder(Pinot Noir)を飲むことになる。しかしどうも同じPinot NoirでもブルゴーニュのPinotと柔らかさが違う。やはりブルゴーニュの方が繊細なのだ。ドイツのはゴツゴツしている。しかしとてもパワフルで美味しい。同じ葡萄でここまで畑や気候の違い、そして生産者の意図も加わって違う飲物になってしまうのか・・・、とても奥深い。

(Grauer Burgunder。とてもバランスの良い感じ)

(Mueller Thurgau。冷涼な地域に出来るドイツ品種)

(ここのPinot Noirは力強さがあります。男っぽい!!)

ここで12本を買ってしまった。いきなり買いすぎ?明日は後2軒行くのに本当に持って帰れるのか?ま、なんとかなるだろう。

1月18日、私はFrankと一緒に彼の住んでいる街から15分の所にあるHex Von Dasensteinというワイナリーを訪問した。とても洗練された良いワイナリーで顧客をしっかりお迎えする気持ちが入り口からしっかり出ていた。こういうワイナリーは流石と思う。商売をするのだったらこういうおもてなしは必要だろう!と私は思ってしまう。

(ワイナリーの入り口。とても綺麗な建物)

(ベランダへ導いてくれた。山の方が彼らの畑)

(訪問後に訪れたワイン畑。思った以上に傾斜がキツい!)

(朝の訪問時に出迎えてくれたロゼのスパークリング。ドライでキリッとしていました)

Frankがツアーを申し込んでおいてくれた。とても嬉しい。朝からロゼのスパークリングを用意して待っていてくれた。そして見学ツアーを1時間半ほどかけてゆっくりやってくれた。その時々でワインをその場に仕込んで置いてくれて、それを皆で開けて飲む、というなんという楽しいツアーだろうか。決してちょろっと飲ませるわけでもなく並々と入れてくれる。「いやいや、もう良いですよ」と言わなければならないほど入れてくれるのだ。私が今まで経験してきたワイナリーツアーで始めての満足度だ。このワイナリーもBaden地方、昨日のBernhard Huberと同じ地域なのだ。ちなみにドイツには13の地方がワイン造りをしていてそのうちこの南西部で11の地方が存在する。そのうちのBaden地方はドイツで3番目に大きな生産地域でドイツ最南端に位置する地方である。しかしドイツはとても冷涼な地域として有名で日本の地域で言うとサハリン(樺太)ほど北に位置するのだ。そんな寒い地域でワインが出来るのもやはり気候のせいだろう。

製法についてはおおよそ理解している。だからあまりびっくりする事はない。しかし一つびっくりした事は最近栽培を始めている葡萄品種だった。テンプラニーリョというスペインで最も有名な品種がある。それをこの土地で作り始めている、という事実だ。まるで沖縄の品種を北海道で栽培するようなもので普通であればあり得ない。しかしこれだけ気候が変動しているのだ。今までダメだったモノが出来るようになる。と言うことは今までとても良かったモノがダメになる、という事も言える。今後、それまでの銘醸地がどうなっていくのか、がとても心配になってしまう。

(彼らの醸造工場。こんな所にも試飲出来るように置いておいてくれた)

(貯蔵庫でまた別の試飲。ナント贅沢な!!)

結局、ここでも12本買ってしまう。あれ?既に24本。これで更にもう一軒行くんだよな?と思いながらも美味しいし安いし、結局買ってしまった。

(結局12本。既に2ダース。買いすぎ・・・)

午後はもう一つお願いした場所がある。それはJALのビジネスクラスで出ている赤ワインを提供しているFredrich Beckerというワイナリー。これもネットで事前検索したのだがFrankの事務所から1時間で着くというのでお願いした。ここはちょっと彼の事務所からいうと北西部にあるPfalzという地域にあるワイナリー。JALというご縁で知り合ったのだから行ってみよう、と言うことで行ってみた。なんと寂れている事か!まるでゴーストタウンのような村。そんな所にひっそりと存在していた。テイスティングなんかさせてくれるはずがない、と思うくらいのワイナリーなのだがひっそり出来るようになっていた。建物の中から女性が出てきて「いらっしゃい!」というのでついて行ったらテイスティングが出来る部屋へ連れてきてくれた。ここも基本的に昨日のBernhard Huberと一緒。しかしもっと小さいワイナリーだろうか・・・。よくぞJALはこんなワイナリーを取り上げたものだ、とある意味感心してしまう。

(Fredrich Beckerの入口。村にも人影は少なかったが、ここには全くなし…)

(導いてくれたテイスティングルーム。こじんまりとした手作り感満載!)

しかしここのSpaet Burgunderは美味しいぞ!Pfalz地方はBaden地方よりももうちょっと北部にあるので更に冷涼、となるとアルコール度低くタンニンも抑えられたPinot Noirが楽しめるのだ。基本的に白も赤も同じようなモノを作っていたがあれこれ色々試させてくれたのでここでも買って帰ろう、と言うことになってしまう。あれ?もう24本も買ってるよな・・・。36本?いやいや、それは買いすぎだろう・・・、と言うことでここでは6本を買うこととした。それでも30本、私の出張史上最大本数を買い込む事となってしまった。ここまで来るとアホとしか言いようがない。

(ここのロゼのスパークリング。朝のロゼよりピノの香りが強かった)

(こちらはPinot Noir。JALで出しているのとちょっと違うらしいが・・・、私にはわからない)

(Frankとここのお店の方と。楽しみました!)

(結局、更に6本買いました・・・)

しかしFrankが事務所からタクシーを用意してくれて問題なくフランクフルト国際空港まで移動出来た。チェックインカウンターではいい加減びっくりされたのだが・・・。

何とも楽しいワイナリー巡りだった。ドイツワインの印象が急激に強くなった。でもこうやって学んで行くと思い出深く忘れないのだろう。さて次はどこに行こうか・・・。

ドイツZiermannの訪問

1月13日の夜。私は今年初めての出張でスペインとドイツに出かける。しかし行きは羽田からで帰りは成田とややこしい。しかも帰りは絶対にワインを大量に買い込んでくることを考えるとどうしても成田に車を止めておきたい。ちなみにフライトは日をまたいで14日の朝2時45分。なんと言う時間だろうか・・・。出来るならばこんな時間に出かけたくない。結局、家を夜8時半に出発し、成田に10時前に到着、車を駐車場に置いてから10時3分の京成スカイライナーに乗って日暮里まで。山手線に乗り換えて浜松町へ。そしてモノレールに乗って羽田空港国際線ターミナルまで移動する、という何とも出発する前から疲れる行程を取ったのだ。我ながらワインの為とは言いながらもアホかと感じてしまう。それでも体は前向きに動くわけだから如何に自分が飲兵衛なのか、がよくわかる。

1月14日、飛行機に乗って一路ロンドン経由バルセロナへ。ロンドンのトランジット時間が短い。予定から20分くらい遅れて到着なのだが元々1時間半くらいしかトランジット時間がない。実質1時間強で次の飛行機に乗らなければならないのだ。ラウンジで悠々と過ごしている時間はない。なんとか次の飛行機に乗り込むことは出来たのだが到着後に問題が発生。

午前11時にバルセロナ空港に到着した。ここでヨーロッパ営業担当の寺田主任と合流。彼は少々早い時間でバルセロナに到着していて手荷物受け取りの場所で私を待っていてくれたのだ。しかし自分の荷物が出てこない。まずい!急に不安がこみ上げてきた。トランジット(乗り継ぎ)は常に問題がある。空港職員の手違い、航空会社の手違いなどで荷物がなくなってしまう事や届かなくなってしまうケースが多々ある。すぐにブリティッシュエアウェイズの手荷物カウンターに向かう。トラッキング番号で調べてもらったら幸いにもまだロンドンにまだあった。良かった!「次の到着便で持ってくるからホテル情報など教えてくれ」というので情報を全部書いてお願いした。ちなみに午後6時過ぎに荷物はホテルに到着した。本来であればこの日も予定が入っていたのだが先方の都合で予定がキャンセルになってしまった。ので、寺田主任とホテルそばのスペインバルで昼食を取りながら一杯やって最近のヨーロッパ情勢や彼の活動について議論を交わす。場所が変わればいろいろな話しが出来るものだ。事務所ではあまり踏み込めなかった事まで話しが及び、お互いにいろいろな話しをする事が出来た。とても良い日だったと思う。

(ゆっくりといろいろな話しをする事が出来た)

(テンプラニーリョのロゼ。お手頃価格で飲みやすい!)

(いただいた料理の一部。どれもとても美味しかった!)

1月15日はある会社に訪問した。これは会社の都合上どうしてもお話し出来ない。故にこの日の中身はなしとさせてもらう。この日の夕方にガウディのサグラダ・ファミリア教会をみにいった。私はおおよそ4年ぶりだがその当時からかなりできあがっているのがわかった。次回来るときはもう完成しているのだろうか・・・。それにしても美しい建物と思う。

(4年ぶりのサグラダ・ファミリア教会。かなりできあがっていた)

1月16日、私は寺田主任と離れて一人でドイツに向かう。いくつかのミーティングがあったのだがこの日の日中ミーティングもちょっとお話しが出来ない。会社にはいろいろな都合があるのと相手にも都合があるのでお互いの事を考えるとなかなか公表するのは難しい。

夜は展示会装飾業者で長い事お世話になっている立石氏と会った。もう4年ぶりである。彼は癌を患って日本の装飾業者を辞めて契約ベースでフランクフルトに住んでいる。ドイツ語はペラペラ、そして癌治療においてもドイツのやり方が彼には合っているようでとても元気そうだった。私は彼との付き合いは2004年からだからもう16年になる。本当に長い付き合いでお互いに言いたいことを言えるのは素晴らしい事だ。彼はまだ54歳、癌との戦いは続いているのでこれからも是非長生きしてもらい、我々のブースデザインのお手伝いをし続けてもらいたいと心から願うばかりだ。

(いつもドイツの展示会で世話になっている立石さん。元気そうで良かった!)

1月17日、私は朝8時のICEに乗ってBaden-Bandenに向かう。ICEとはドイツの新幹線だ。ただ日本の新幹線と違って在来線との併用だから新幹線のように常にオンタイムではないし多少の乗り心地の悪さもある。他国の高速鉄道を利用すると改めて日本の新幹線の質の高さに感銘を受けてしまう。こういう場所に来るからその質の高さを改めて理解出来るのだ。

電車を降りたら代理店の社長であるFrank Ziermannが待ってくれていた。到着時間は朝9時半。考えて見たらこの会社への訪問は6年ぶりとなる。本当に久しぶりである。彼とは展示会で良く顔を合わせることはあるが、営業マンを介さずに直接会って話す事は少なかった。やはり営業マンがいるし、私が直接あれこれやりすぎてしまうと営業マンの面目が潰れてしまう。そんな事もあって私は直接彼らと言葉を交わす機会を作らないようにしていたのだ。

しかしドイツ市場は困難を極める。現在も人口は8000万人以上もいるのにクリーニング店は全国で2600店しかないそうだ。日本も厳しいがここはもっと厳しい。すでに販売代理店が生活出来ないほどの市場規模になってしまっている。ここではメーカーも単体で生きていくのが難しい。ドイツと言えばVeitという仕上げ機メーカーが有名である。我々の競合だ。しかしVeitはあまり良い噂がない。何故ならば代理店を全部切って直販を始めているからだ。要は仲間をどんどん減らして自社の利益率を確保する事だけを考えているらしい。一方でMultimaticという代理店がある。ここはドイツ最大の代理店で全てのメーカーからの商品をMultimaticブランドにOEMしてもらい彼らのブランドで売っている。彼らはとても強い!何故ならば洗濯機にドライ機、仕上げ機に全ての工場必需品が彼らのブランドでそろっているからだ。しかもブランディングまで出来ているのだからこれは強い!顧客からすると彼らと関係を持つだけで足りないモノはなく、細かい所まで面倒見てくれるのだから言うことなし。まるで日本で言ったらアイナックスが全ての機械をアイナックスブランドでやっている様なものだ。

Ziermannという会社は昔から中古機の買取、それをアフリカなど発展途上国に転売する事で利益を上げてきた会社だ。しかし息子であり現社長であるFrank Ziermannは昔一世風靡したドイツのドライ機メーカーBoweを買い取ってそのブランディング回復に力を入れている。代理店だったのがメーカーに変わったのだ。買い取ってからすでに8年近く経っているのだろうか。私も最初彼のこの行為に疑問を持った。「すでにドライ機業界はイタリアのメーカーによって世界制覇されてしまっている。今更Boweをやり直したところでどこまで出来るのだろうか?」と。

派手なプロモーションは絶対にしないのが彼の性格。しかし一つひとつを確実にこなしていくのも彼の性格。スピード感は全くないが確実にステップを踏んでいくのが彼の特徴だ。そして6年が経った。彼の事務所を久しぶりに訪問した。なんという変化だろうか!私が予想していた以上に彼はやるべき事をやっていたのだ。やるべき事とは何か?と言うと

  • 代理店不在の状態で全国に販売していくために必要な事は何か?を理解して準備している事
  • 顧客に必要な商品を全て自分たちで用意している事
  • ドイツで売るために必要な販売ネットワークを確立している事

間違いなくこういうことだろう。代理店不在でも売るためには全てに対応しなければならない。それが出来ないから代理店が必要なのだ。代理店が存在しないならば自分たちで全てを用意するしかない、という考えを持っていたのだ。彼の事務所を訪問し、ショールームに案内してくれた。そうしたらSankosha製品も含めて彼らのソリューションがズラッと並んでいる。そこでびっくりしたのはOEM商品がそろっているのだ。洗濯機にボイラー、コンプレッサーまでBoweブランドで取りそろえていたのである。流石に仕上げ機はSankoshaブランドを使い続けてくれている。ここに彼の心意気が伝わる。「どんなに他の製品をOEMしても仕上げ機メーカーはSankoshaとやっていく、と心に決めている」というメッセージだったのだ。

(彼の事務所内にあるショールームへのサイン。しっかりSロゴもあります)

(ショールームの全体像。綺麗に出来ていた!)

(アイロン台に水のタンク。ここまでBoweブランドで固めていた)

(彼らのドライ機。昔を彷彿させるデザイン)

実は我々はアメリカのAjaxブランドを15年くらい前に買収している。そして今回、そのAjaxブランドで廉価製品を世界の発展途上国に販売していこう、という試みをしているのだ。そこで彼らの仕上げ機ラインにこのAjaxをBoweブランドで出したらどうだ?と提案してみた。とても喜ぶ。実はSankoshaブランドは世界各地に販売代理店があるからそれをOEMさせることは難しい現状がある。一方でBoweもブランドなので世界中に売っていきたい、という気持ちがある。ここになかなか彼らが仕上げ機の選定で困っていた現状があったのだ。それでもSankoshaブランドに固執してくれていたことに感謝の気持ちで一杯だった。そこでAjaxブランドをBoweブランドにしても良い、という話しを持って行ったのだから彼の気持ちも一気に上がった。これで世界中に販売が出来る!商売とは人のモチベーションを如何に上げるか?がポイントなのだろう、と改めて感じる。とても良いミーティングになったようだ。

その日の夕食は彼の家族とともに取った。彼には3人の子供がいるのだが、長男だけ大学が別の町にある事から別居している。故に長女と次男の二人に奥様を連れてきてくれた。長女はすでに22歳。私が初めて彼の自宅で子供達と一緒に食事をしたのは彼女が10歳の頃だった。もう12年前の話なのだ。Frankはとても背が高い。彼は2m10cmを超える長身である。奥さんはそこまで背は高くないのだが、長女はすでに私より背が高い。ちなみに私は171cmなのだが・・・。もっとすごいのは17歳の次男。すでに180cm以上あるのだ。
それ以上にびっくりするのは彼らの言語能力である。この食事中に家族全員が英語で会話している。私がいる事から家族全員が英語を話すことにより私が彼らは何を話しているのか、が全て理解出来るのだ。彼らがドイツ語で話していたら全くわからない。それをわざと英語で話してくれているのだ。これもすごい事だと思う。しかし英語は世界の公用語。話せなければ世界で生き残る事は出来ない。この一日を過ごして彼らに対して感じた事は

  • Boweブランドを通じてドライクリーニング業界にこれからも貢献する覚悟でいる事
  • そのために何が必要なのか?を冷静に分析し、準備をしっかりしていた事
  • 子供達にも会社のやっている事をアルバイトを通じて従事させ、最終的に継続してもらう事を考えている事

会社の経営者として将来まで考えて着実にやっている事に心から敬意を表したい。彼らがドイツで代表的なブランドに再びなっていくのは間違いないだろう。それを精一杯サポートする事が我々もドイツ語圏市場で生き残っていくことなのだろう。

(Ziermannの家族と。みんな仲良くやっているのが最高!!)

久しぶりの高揚感で終わった最高の夜だった。
次回はこの続きのワインの話しをしてみたい。ワイン好きの人は是非ご期待あれ!