初の東欧の旅 その2

我々はセルビアという国に入った。私はこの国のことを殆ど知らなかった。旧ユーゴスラビアの首都であったベオグラードが首都になっている国だ。まず国境を越える時に感じたこと、それは言語がロシアの文字を使っていることだった。何がなんやら全くわからない。旧ユーゴスラビアはロシアの影響をとても受けている国だったのだな、と改めて思い知った。セルビアはもちろんEUではない。だからパスポートを出して入国をしなければならないのだ。なんとなく初めて来る国には一種の恐れを感じる。特になにかロシアの影響を受けている国への入国でなにかあったらどうしよう?と思ってしまう。

セルビアの検問所。このときは不安でいっぱいだった。


日本のパスポートがとても強力なのはご存知だろうか?日本はシンガポールに次いで二番目に世界に通用するパスポートである。このセルビアにおいても日本人はビザを免除されている。だからただパスポートを出すだけで普通に入国できる、と言われていた。ビクビクしながらパスポートを渡し、無事に入国することができた。それだけでホッとした。

早速、最初のミーティングが待っていた。我々は国境から1時間ほど走ったところにあるノービサードという町に行った。その町のレストランで待ち合わせ、ということでそこに行った。そのレストランのそばをドナウ川が流れている。ハンガリーよりも更に幅が広く雄大に感じた。ミーティングに来た人は建設機械の代理店をやりながらサイドビジネスとしてクリーニング業を希望している、とのことだった。セルビアといえども新しい風が吹いているように感じた。彼は新しい世代の人間なのだろう。最新設備を整えてプロフェッショナルはこうだ!と見せつけるお店を作ってみたい、というのだ。それには投資も必要だがそれ以上に具体的な考えが必要である。喜んで話を続けていきたい、ということで今回の話は終わった。

こちらの方とビジネスミーティング。私だけでは絶対にアポさえ取れなかっただろう。

 

我々はその後、2時間かけて首都であるベオグラードに到着した。町を見渡して気づいたこと、それは政府庁舎の爆撃で朽ちている建物が残っていることだった。目の当たりにしたときは驚きを隠せなかった。この町は全く復興していないのではないか、とさえ思った。町にはトラムが走っている。しかし、どれもかなり古いもので軽く50〜60年前に作られたもののように感じた。そんな中での朽ちた建物を見て「これはひどい!」と思ったくらいだ。後で調べたらこれらの建物は1999年にコソボ紛争があった時にNATO北大西洋条約機構が旧ユーゴスラビアのコソボ独立に対して攻撃をかけた報復としてベオグラードを空爆した歴史をそのまま残している、というのだ。我々日本人でこの旧ユーゴスラビアの争いを細かく理解している人は少ない。しかし、ここでは西欧と東欧の戦いが我々の生きている時代にあった、ということだ。

ベオグラードの市庁舎の一部。1999年に爆撃を受けた建物がそのまま残っている。

 

日本は如何に平和な時代を過ごしているのか、と理解できる。1940年代に第二次世界大戦、大東亜戦争、太平洋戦争という日本では未曾有の苦しい時代があったが我々世代はそれを経験していない。我々世代から現代の子供達まで含めて戦争の恐ろしさ、苦しさを感じたことがない。あの瓦礫を見てベオグラードの人々は「決して忘れない」といつもその建物を目に焼き付けて毎日を送っている。日本はもう少し、こういうことを見習わないといけないな、と心から思った。

このセルビアという国は一生懸命「西欧化」に傾注しているように思った。政府庁舎のある位置から大きな川に向かって1kmも歩くととても現代化した町並みが急に現れた。いわゆるWater Frontと呼ばれる日本から見ても羨むほどの現代的なマンションがズラッと並んでいる。そしてその周りをモダンなレストランが軒を連ねている。なんというギャップだろうか?すごいとしか言いようがない。多分、このベオグラードでも日本人が簡単に買えるアパートはそこまでないだろう。後で聞いたところによれば、この開発はUAEアラブ首長国連邦のアブダビの会社が総力を上げて投資している区画という。アラブの金がここまで押し寄せているのか!とため息が出てしまう。

ベオグラードのWater Front。とても近代的な建物に囲まれている。

 

世界を商圏に迎えると色々なところが見える一方で日本は本当に自給自足のような世界だ。これでは日本は没する。もっと多くの会社が世界を見るべきだな、とつくづく感じてしまったひとときだ。ある意味、人口が十分であったり経済が十分だったりすると人々はそれ以上の意欲を感じなくなるものなのだ、と考える。私はそういう意味で幸せ者なのかもしれない。自分の商売でこのような国まで訪れることができるのだから。この日の夕食は3人で町中を散々歩いてホテルの側のイタリアンで地元ワインを飲みながら楽しんだ。

地元のイタリアンにて3人で夕食。

 

翌日は面会が2つあった。一つはベオグラードのクリーニング店という。言われた住所に向けて車を走らす。言われた目的地には着いたのだがその場所がわからない。普通であれば番号は順番に並んでいるものだがここはそうではない。何故か72番の次が35番という感じで我々からしても「一体、どうなっているのか?」とあちこち探すのだが全く埒が明かない。相手に電話をしてもなかなか出ないのでやきもきしたが最終的に見つかってその目的地に到着した。

住所がわからずに相手に電話をかけている。とても分かりづらい。


そのクリーニング店はマンションの一階にあるクリーニング店だった。入ってみると小さな空間に洗濯機、乾燥機、そしてアイロン台だった。こりゃだめだ!とすぐに思ってしまった。シャツの需要はあるらしい。しかしドライ機がない。後で聞いたら別の場所にあるという。ただそれだけの需要はない。これもセルビアの現状か?と思いながらオーナーの話をずっと聞いていた。かなり強がって何でも「知ってる!俺はやろうと思っている」と豪語するばかり。しかし、信憑性がない。どう考えてもウチの機械を買う力はないだろうな、と思い、ちょっとシラケながら話を聞いていた。

クリーニング店の店主との会談。これでは商売になりそうもない。

 

午後はもう一つのクリーニング店を訪問したのだが、ハンガリーからスタートして全く気持ちが高ぶることがなかった。午後の相手もある程度「ま、こんなものだろう」と思っていたら良い意味で期待を裏切った。なかなか立派なランドリーではないか!最初に訪問したところは平物リネンを専門でやっている工場だった。

リネン工場の配送車。なかなか立派だ。
中には60kgや35kgの洗濯機がところ狭しと並んでいる。

 

今回の旅で初めて心が踊った。設備がなされているではないか!結構な大きさと感じた。日本のリネン工場からすれば中小規模かもしれないがこの国でいったら立派なものだ。よくこの国でここまで投資できたものだ!と感心した。そうしたら「クリーニング店も経営している」というのでびっくり、早速そのお店にも連れて行ってもらった。そうしたら昨日歩いたあのWater Frontからあまり遠くないところになんともきれいなクリーニング店があるではないか!

Lotosという名前のクリーニング店。とてもおしゃれな雰囲気だった。
店内のカウンター、すぐ後ろにドライ機がある。イタリア系のレイアウトだ。
工場内もとてもきれいにしてあった。これからもっと洋服であふれるだろうと想像できた。

 

今回のメインイベントはここだった。素晴らしいお店と思った。日本でもなかなかできない店舗の綺麗さ、そして考えたレイアウトだった。これを創業者と息子の二人で考えて創ったというのだから恐れ入る。私はこれだけ色々な客先を訪問しているから自然と知識はあるが彼らは違う。これはある意味才能といえる。誰もが考えられることではないのだ。仕上げ機などは中古をメインに持ってきていたがそれは問題ではない。ここまでコンセプトを作り上げたことに敬意を評したいと思った。この国にこのようなお店があると未来は明るい。彼らとはその後に夕食を共にしたのだが私は心から彼らを応援したい気持ちになった。結果としては今回の旅の最優良顧客の一つになったことは言うまでもない。息子くんは英語がとても堪能だった。横にいるお父ちゃんは話せないが才覚がとてもある。このコンビでこれからもやっていくのだろうと思うと微笑ましくなり、楽しく食事を共にできた。ちなみに彼らと共にしたレストランの辺がまたドナウ川のすぐ側だった。地元ワインを堪能しながらとても建設的な話ができた。「開拓」ということはこういうことか、と感じながら彼らとのひとときをとても楽しむことができた時間だった。ある意味、入国した時にちょっと恐れていたセルビアという国がいつの間にか普通の国に感じられているひとときでもあった。

Lotosのオーナー親子と一緒に夕食を楽しんだ。
セルビアワイン。これはカベルネをメインにブレンドされているものだった。なかなか美味しかった!

 

明日はボスニア・ヘルツェゴビナに入国する。段々と初めての入国にも気負いを感じなくなってきている。これは麻痺しているのか?(笑