現在、日本時間の午後10時。もうすぐ2023年が終わろうとしている。まずは今年様々な場所を訪れたがそこに関わってくれた皆様には心から感謝したいと思う。おかげさまでとても有意義な旅を送れたことを報告したい。
今年はJALだけでざっと20万マイルを乗った。アメリカを中心に行ったのは間違いないが今年はシンガポールを皮切りにオーストラリアやヨーロッパ、韓国、香港など様々な地域を訪問した。最後はハワイへの訪問であったが今年はまさしく「ノンプレス(海外ではPress Free Finisherと命名しているが日本語ではノンプレスと命名しているので以降はノンプレスで続けていく)」の年であったと言える。アメリカでは段階的にノンプレスの存在を全米に知らしめていったのだが、12月は単月で8台のオーダーを頂くまでに至り、アメリカで最も注目されている機械がノンプレスになったことは報告しておきたいと思う。ただ、最初にリリースしたのは日本市場なのだが、本当に最初から購入してくれたお客様がいたことにより更なる課題や改善が見えたことにも感謝しないといけない。もちろん、我々はその起こった問題に対して納品したすべてのお客様にその対策をさせていただいたこともここで報告しておく。オーストラリアではかなり早いうちからノンプレスの価値に気づいてくれたお客様に販売を進めた結果、1週間のオーストラリア出張を4人で行い、4件の客先に対して改造メンテナンスを行ったことも記憶に新しい。新しい機械を販売するということはそれなりのリスクがある、ということだが我々はそれでも進めていく必要があると思い、敢えて海外への販売も同時に進行していった。世の中ではこの機械の形は「トンネル仕上げ機」もしくは「Steam Tunnel」と呼ばれている。はっきり言ってあまりイメージは良くない。なぜならばそれらを使って仕上がった状態を人々が考える「仕上がった状態」には絶対にならないからだ。一種の補助的な機械でそれから更に仕上げ工程に移動するわけでその機械の意味が本当にあるのかどうか、甚だ疑問に思っていた我々がノンプレスと名付けたのもそういうわけで「それは決して今までのトンネル仕上げ機とは全く違う」という意味も込めてこの名前になったのだ。命名したのは私の兄である社長なのだが。
いずれにしても今年はノンプレスの広報活動にすべてを捧げたJAL20万マイルだったような気がする。考えてみれば最初の海外出張であるシンガポールもノンプレスを買いたい、というお客様を訪問したものだった。オーストラリアへ機械の改造をしにいったのは夏頃だったと記憶する。アメリカにノンプレスを送り込んだのは今年始めだったような記憶がある。しかし、最初はSankosha USAもこの機械をどのように使いこなすのか、誰が上手く使いこなしてくれるのか、などわからないことばかりだったのであまり大々的に宣伝しなかったのだ。しかし、今年の後半から購入してくれたお客様達がそれぞれに感謝のコメントを色々なところでしていただいたことから段々とノンプレスを宣伝するようになっていった。ちなみに今月12月だけでも8台のオーダーをもらっている。如何にアメリカでもこの機械がクリーニング店のコスト低減に貢献すると考えられるようになったのか、を物語っている。一方でヨーロッパではその宣伝活動に遅れをとったのは事実である。2022年11月にDetergoというミラノ展示会に初めてノンプレスを出した。その出展機はスイスのTexpressという客先にモニタリング設置してもらえることになって、納品してからおおよそ1年が経っていた。11月下旬にフランスにてTexcare Franceという展示会があり、そこでノンプレスを初めてフランスにお披露目したのだが、その展示会後に弊社のエンジニアであるロバートと二人でスイスに移動し、1年前に使ってもらっていた機械を新しいモデルに入れ替えた。1年前のモデルはまだヨーロッパ工業規格(CE)に準拠したモデルではなかったのでこれからも使ってもらうためにはきちんとCEに準拠しなければならない。今回はその入れ替えを行ったわけであるが、お客様はすでにその機械の購入を決めてもらっていたので敢えて入れ替え作業を行ったのである。今年も本当に色々なところを訪問したがざっと2/3はノンプレスのための出張だったのではないか、と思ったくらいである。
それにしても今年も多くの人々に会った。まだまだコロナ後の2023年だったので懐かしい再会はたくさんあった。しかし、会いに行かなければ味わえない感動があるのだ。訪問したから会えた人々が沢山いた。その人々から色々な情報を聞くこともできた。彼らも一方で私の世界の話を聞いていた。このように考えるとZOOMなどオンラインで得られるものは残念ながらない。人とは会うことでモチベーションを感じる動物でありオンラインミーティングなどで心が通じ合うものではない、と改めて理解した。「人々と会うことはこんなに素晴らしいことか!」と感じたのは昨年2022年も一緒であるが今年は再確認した年であった。故に来年もできるだけ多くの国を旅して地域の人々の役に立つ機械づくりをしていきたいと思う。間違いなく
一部の地域では戦争というとても悲しい状況に遭遇しているし、その戦争によって経済的に苦しんでいる国々もあると承知している。世界は決して満足度の高い状況にはないのは事実である。しかし我々はできることをやっていくしかない。私はクリーニング・ランドリー業界に携わっている人々により高い利益を提供できる機械づくり・ソリューションづくりを続けていきたい。多くの人々にとって2024年は幸多き年になりますように。これを以て私の2023年のブログのクロージングとしたい。来年も引き続きお付き合いいただければ幸いである。