3月5日から台湾を旅した。今回は台北の大手ランドリー業者である巨人洗衣という会社が新年度のパーティーを開催するために我々を招待してくれたのだ。私は最後に台湾を訪問したのはいつだろうか?といろいろ過去を調べてみたらなんと6年ぶりなのだ。その間に台湾がどのように変わっているのか?を今回は感じてみた。

まず一つ目に違うのは空港だ。私は2000年から2007年くらいまでは台湾を年3回くらいのペースで訪問していた。私が海外出張をするときはいつもJALを使っていることを読者の皆さんは御存知と思うが、当時はまだJALが倒産する前の話でJALグループには数々の子会社が存在していた。台湾といえば日本アジア航空という会社があったのだ。JALの子会社で機材は完全にJALと同じデザインをしていたがロゴはJAAとなっていた。当時はまだボーイング747が就航しており、エコノミークラスながら2階席に座って台湾まで旅行したことをよく覚えている。当時は桃園という国際空港を使っており私の台湾の玄関口はこの桃園空港しかイメージにない。市内にはとても近くて便利な松山空港があり、それはもっぱら国内線専用空港として使われていた。台湾といえば中部にある台中、南部にある高雄が有名な都市であるが当時はすべて飛行機か車で移動することしかなかったのでこの松山空港は国内線専用空港としてとても忙しい空港だったのだ。
しかし、2007年に台湾高速鉄道が登場した。いわゆる日本の新幹線が台湾に輸出されたのだ。これが人々の移動に大きな影響を与えた。飛行機というのはいくら気軽に乗れたとしても1時間以内には空港にいなければならない。そしてその空港はかなりのスペースを取るので町中にはない。故に空港から町までタクシーなどを使わなければならない。一方で台中まで飛行機を乗る人はほぼいない。だから昔は遠くても車で移動したものだ。それがこの新幹線の登場で一変してしまった。台湾の国内移動で飛行機が使われることは全くなくなったのである。そこでこの松山空港は国際空港になり、我々日本人にしてみるととても便利な状況になったと言うわけだ。

私はその松山空港を降りてからタクシーに乗って予約しているホテルまで移動した。なんとなく昭和のイメージできた台湾がなくなっている。どことなくモダンな雰囲気になっているのだ。台北が随分と近代化したのだろうか…。昔のイメージが記憶の大半を占めている私からすると「随分と変わったな」と感じるひとときだった。
それにしてもなんと日本車の多いことか…。タクシーをはじめ台湾の80%以上の車が日本車のように見える。一番ビックリしたことは中国の電気自動車が全く入っていないことだった。電気自動車ではアメリカのTESLAが少し走っている程度だ。車を見ている限り、台湾は中国に対してあからさまに貿易制限をかけているように見える。そして台湾はまさに日本をパートナーとして歩んできたのだ、と改めて感じた。そして台湾人の日本好きは至るところで確認できる。コンビニエンスストア、牛丼チェーンやラーメンをはじめとしたレストラン業界など日本のブランドがずらりと街角に並ぶ。日本人にとってはこれほど居心地の良い場所はない。台湾という国はそういうところなのだ。

話をクリーニング・ランドリー業界に向けてみよう。台湾は沖縄よりも南に位置していることからドライクリーニングの需要は元々多くない。気候は冬でもとてもあたたかく、夏はある意味地獄である。そんな地域にウールで縫製された洋服を着る文化はない。もっぱら綿をベースとした洋服文化になっている。いくら、台湾は日本をお手本に進んできたとはいえ、日本人と同じ洋服文化にはならない。故に三幸社の台湾ビジネスはあまり多くなかった。しかし、2022年にノンプレスフィニッシャー(英語名:Press Free Finisher)を発表してから台湾が急にビジネス対象国に変わった。


世界ではユニフォームを中心に注目が集まったが、台湾は意外と一般服の需要があるらしい。日本では集まらないTシャツやポロシャツのような家庭洗濯可能な洋服の需要があるというのだ。今回は台北、台中、台南、高雄と急ぎ足であったが訪問してきた。中にはネットクリーニングを始めて家庭洗濯用衣類が結構集まっているところもあったし、ユニフォームの乾燥・仕上げでもっと効率性がほしい、というところもあった。今までは普通に洗濯機で洗い、乾燥機で乾かし、多少のアイロンをしたら完成というモデルだったのがノンプレスで乾燥と仕上げを一緒にやれる、という噂が一気に広がり、注目度が一気に高まったのだ。すでに台湾でも3セットは納品されていて、今回はその納品先を中心に訪問してきたのだ。今まであまり市場として見ることができなかった国が一転して市場として見ることができるようになったのは嬉しいことだ。


ただ、ここでノンプレスの問題が色々出てきた。一番の問題は「使い方をしっかり教えなければ効果的でない」ということだ。機械だけ送って後は勝手にやってもらう、というのはダメなのだ。ノンプレスはある意味トンネル仕上げ機と一緒なので洋服をハンガーで吊るしてもらえれば後は機械が勝手にやってくれる、と思い込む傾向がある。しかしそれでは仕上がらない。まずは洗い方も改善する必要がある。ハンガーへのかけ方も雑ではきれいにならない。洋服によってはどんなスチーム噴射のタイミングとスピードにすべきか、も議論の対象になる。ある工場ではユニフォームをやっていたのだが、例としてある洋服は袖が捲くられたまま洗濯されていた。洋服を着ていた人が袖を捲ったままの状態で洗濯かごに入れたのだろう。それを対応した工場の人も袖を戻さずにそのまま洗ってしまっている。そしてノンプレスにかけるためにハンガーがけしていた人もそのままかけていた。全然教育されていないのである。しかし、会社の経営者や我々も含めてその機械を有効に活用するためにもう少し人々に使い方や気をつける点を指導してならなければ機械を購入した意味がない。ここらへんは我々メーカーももう少しサポートしてあげないと難しいな、と感じた一幕であった。
最終的に台北に戻ってきた。冒頭に記したように台北のランドリー会社である巨人洗衣の新年度パーティーに参加した。日本から東都フォルダー、日本スチール、アイナックス、ナガイレーベンなど多くの日本企業も参加していた。特に東都フォルダーの前嶋会長と日本スチールの岩瀬会長、菅原社長とは長い付き合いをしていたのである意味同窓会のような席になった。久しぶりに昔話や近況をシェアしながらとても楽しい時間を過ごすことができた。こんな台湾であればまた近い将来に出張することができるな、と心から思えた訪問であった。

最後に一言お悔やみの言葉を述べさせてもらう。日本スチールの菅原社長が3月28日に急逝された。私よりも若い52歳だった。現在、日本スチールにはスクリューコンベアをアメリカ中心に相当数の販売協力させてもらっており、菅原氏とは何回も海外出張を共にした記憶がある。本当に真面目な人間でこれからもずっと協力関係を続けていく話を3月7日の巨人の会合で再確認したばかりだったのに残念としか言いようがない。
この場を借りて彼に改めて感謝の言葉とお悔やみの言葉を述べたいと思う。本当に今までありがとう!安らかに眠ってほしい。合唱!!
