4年ぶりのミラノ展示会

10月18日、私はまたまた羽田空港に来ていた。先週の10月10日から4泊6日でアメリカを訪問していたばかりだったのだ。目的はアメリカのお客さまに頼まれてプライベートの勉強会グループに対して1時間ほどの講演をすることだった。私は地球温暖化とそれに伴うドレスコードの変化から世界的にドライクリーニングをメインでやっていくことに難しさを感じていた。それでは何をやっていけばいいのか?ということについて講演してきた。聞いていただいた皆様からはお褒めの言葉をいただけたので目的は達成され、心地よい帰国をしたのが15日だった。日本の滞在はたったの3日間、私はすぐにイタリアに出かけなければならなかった。目的は4年ぶりに開催されるExpo Detergoミラノ展示会に出展者として参加するためだった。今回はパリ経由でミラノに入るのだが、とにかくヨーロッパに行くのは遠い。ロシアとウクライナの戦争により日本の飛行機は基本的にロシア上空を飛ぶことができない。結果としてヨーロッパ行きはアメリカ・アラスカ州の上空を通過し、北極圏、グリーンランドを経由してパリに到着する。このフライトでざっと15時間はかかる。そこから経由便を利用してミラノに入るのだ。コロナ禍では海外旅行など夢のまた夢だったがすっかり海外に出るのが当たり前になった。この旅が今年8回目の海外出張だ。リナーテ空港にはイタリアの代理店のMarcoが迎えにきてくれた。我々はさらにANAで来た社員二人を待って指定のホテルに移動した。

いつもながらJALで移動!

 

翌日から早速設置を開始。と言っても前日から作業を開始してくれた先発隊の3人がなかなかの仕事をしてくれていたので思った以上に進んでいた。今回は初めてブースにワイシャツプレス機を置かなかった。我ながら思い切ったことをしたと思った。Sankoshaといえばワイシャツプレス機と世界中で連想される。ここイタリアでもSankoshaブランドは有名である。イタリアには競合の仕上げ機メーカーが10社以上はあるだろう。その中でもトップメーカーは常にSankoshaの最新モデルを意識しながら機械開発を行っているのだ。今回の展示である意味びっくりしたことだろう。

既に良いところまで設置が進んでいた。
設計の野澤くん。今回のレイアウトは彼が書いてくれた。

 

さて、それでは何を展示したのか?といえば「ノンプレスフィニッシャー(英語名はPress Free Finisher)」と「オートフォルダー(英語名はUniversal Folder)」の二つである。あと半自動包装機は出したが実際にこれだけである。最初にアメリカでの講演内容を軽く記載したが、これからどんどん減りゆくドライクリーニング衣類にいつまでもしがみついていたらどんどん厳しくなっていくだろう、という予想で今回はランドリー衣類をターゲットにできるモデルで勝負したのだ。
ただ残念なことに今回持ってきたモデルは全部日本仕様でまだCEマーク(ヨーロッパの工業規格。これを取っていないとこちらでの販売はとても危なく、事故を起こした場合は多額の賠償請求を求められる)を取得していないのですぐに販売できるわけではない。しかしこのような機械がどれだけの人々に受け入れられるのか?を調べるためには持ってこなければわからない。今までの展示会と違って今回はリサーチを含めた展示、という意味合いがとても強い出展なのである。

2日間の設置作業を終えてなんとか設営が完了し、展示会初日を迎えることができた。洗濯機もドイツの代理店のおかげで設置完了。そして現地の薬品メーカーの協力をいただき、仕上げ剤をいくつか使わせてもらうことができた。これらを使ってどれだけうまくオペレーションができるか?これが今回のノンプレスフィニッシャーの問題であった。通常であれば設置が完了すれば絶対に大丈夫!という自信があったのだが今回は全てが初めての試みなので不安だらけであった。

 

ブースが完成!皆の力でなんとかなった。

 

仕上がり風合いでとても大切なのが仕上げ剤の活用である。日本ではいくつかやってみたのだが実際にこの展示会できちんとできるかわからなかった。提供してもらったものの中から最初にBuefaの仕上げ剤を使ってみた。しかしなかなか伸びが良くない。後で聞いてみたら柔軟剤であることが判明、そして次にKreusllerの仕上げ剤を使ってみた。これは既に本社のショールームでも使用経験があったので気楽ではあったがちょっと以前からちょっと硬めなのが気になった。最終的にはこの二つを50:50で使用してみたらどうだろうか?ということで試したら見事に伸びた。ということで展示会の運営はこれでいこうということとなった。

さて、会場はオープンしたのだが最初の2時間はなかなか人が集まらない。不安が募る。「もしかしたらワイシャツプレス機を持ってきた方がよかったのだろうか…」と思い始めた。そうすると少しずつ人々がノンプレスフィニッシャーの周りに集まり始めてきた。一部のお客様がまだ仕上げ工程に入っていない洋服を触って「濡れてるぞ!」と騒ぎ始める。そして出てきた洋服を見て見事に乾いているだけでなく、シワが完全に伸びている仕上がりに全ての人がびっくりしているのだ。そして人々が仕上がった洋服を手に取って笑顔で驚きながら話をしている。この光景を見てこの展示会の成功を確信した。あとは人々が勝手に騒いでくれるわけだから我々がやることはこの機械をどんどん動かすことだけだった。しかし一つ問題があった。それはボイラー。今回お世話になったボイラーは最大で5kgしか上がらない。この機械は最低6kgが必要なのだ。結果として少しスピードを落として実演するしか手がなかったのだがなんとか実演に値する仕上がり風合いを出すことができた。

おかげさまで大盛況。みなさん興味津々でした。

 

これを見た人々は他社ブースのトンネル仕上げ機へ赴く。そこで同じことをやってみてくれ!と依頼するわけだ。他社メーカーの仕上げ機では我々のような仕様にはなっていないので同じく仕上がるはずがない。ここで私の賭けは吉となった。現在のドライクリーニング業を取り巻く環境においてこれからはもっとランドリー系の洋服を仕上げ工程の少ない状態で仕上がることに腐心しなくてはいけないのだ、ということを確信しての展示だったのだがヨーロッパでは当たったのだ。実際にこの展示会に来場されたお客様はEUをはじめ、東ヨーロッパや中東、そして東南アジアが主だった。これらの商圏ではこのノンプレスフィニッシャーは間違いなくヒットしたと言えよう。結果として3日目の23日日曜日までいろいろなお客様がブースに来場し、このノンプレスフィニッシャーを見て行ったのだった。

驚くべきは各メーカーの反応だ。Kannegiesser、Jensen、Milnor、Girbauなど主要メーカーは皆見に来たし、トンネルを売りにしている各メーカーも戦々恐々の面持ちで見に来ていた。それだけこのノンプレスフィニッシャーを他社ブースで噂しているのがわかる。私は個人的にMilnorとGirbauはとても仲が良い。彼らの本社にも何回か訪問したことがあるくらいだ。Milnorでは早速シカゴの販売代理店を紹介してくれることとなったし、Girbauは会長自らこの仕上がりにびっくりして副会長を直々に連れてきてみてもらったり、社員にもっと調べるように、と指示していたという。これからもっとこのようなメーカー達とのコラボレーションができるようになるのだろう。

ノンプレスフィニッシャーの話ばかりをしてしまったがもう一つのオートフォルダーも大きな関心をいただいた。シャツ類やズボン類、タオル類までなんでも畳めてしまうことが大きな関心となった。まだまだ機械としては発展途上ではあるが大きなポテンシャルを持つこととなった。これについてはまだまだ顧客からのリクエストが絶えない。「どうせだったらこうしてほしい」とか「こんなことは出来ないのか?」など。しかし既にたたみで困っているお客様達は「すぐに欲しい!」と言ってきた。あるお客様は「Sankoshaで作ってくれ!と昔からお願いした。10年以上経ったけどやっと作ってくれたんだね」と私に言ってきた。本当に嬉しかった。「Sankoshaはこれで最低10年はやっていける」と確信した。あとは一つひとつの案件を確実にこなしていくことだ。

オートフォルダーの前でABCのChris Whiteさん。彼も有力なコメンテーターである。

 

今回は参加した社員達に市内観光などは何一つさせてあげられなかった。やってあげられたことはおいしい食事を提供したことくらい。しかし泊まったホテルは本当に僻地だったのでなかなかおいしいレストランは見つからなかった。しかし最後の最後で探し当てたレストラン、ここでは本当に世話になった。最後3日間は連続で通ったし、最終日はお店のお休みにも関わらず我々のために開けてくれた。おいしい食事、そして人々とのふれあい、これだけでもひとときの休息にはなったと思う。とにかくよく頑張ってくれた社員達!そして協力してくれたブースのデザイン会社、現地の販売代理店がいなかったらここまでやり切ることは出来なかっただろう。最後の片付けも本当に「疲れた」の一言だったが全員が気持ちよく帰ってくることができた。素晴らしい展示会だった。

本当に世話になったレストラン。
ロブスターを使ったパスタ。最高でした!
最後はお店のオーナーさんと一緒に。お休みの日だったのにわざわざ開けてくれました!

 

次回は短編になると思うが展示会で起こっていたことを紹介したいと思う。

3年ぶりのPeerless Cleaners訪問

9月12日、私は再びシカゴに向けて旅立った。前回は帰国時にコロナ感染してしまったので今回は少し気をつけての出張となった。(と言っても何も行動で変わったことはしていないのだが…)

今回の出張は子会社であるSankosha USAの新年度方針発表会に出席するためであった。私が出発したのはこの日、そして発表会は水曜日の午後を予定していたので実際に到着してから少々時間に余裕があったのだ。私は兼ねてから一つの会社が気になっていた。それは2019年9月に訪問したインディアナ州のPeerless Cleanersだった。社長のSteve Grashoffと会って彼のメンバーコースでゴルフをやりながらいろいろ話そうと思ったのだが、ゴルフをやりながら彼の経営思想を聞いていくとすっかり陶酔し、いつの間にかゴルフを忘れてカートに乗ったまま彼の話を聞き続けていたのを思い出していた。先月のClean ShowでSteveと久しぶりの再会を果たした。その際に「9月に行ってもいい?」と聞いたら「いつでもウェルカムだよ!」と言っていただいていたので今回は火曜日から1泊で出かけることとした。

Peerless Cleanersはインディアナ州のFort Wayneという場所にありシカゴから車で3時間半である。今回の新年度方針に兄も一緒に来ていたので「圭介、一緒に行ってもいいか?」というので表面上は「え〜?一緒に来るの?」と冗談言いながら、絶対に眠くなる長時間運転に代わりができる事でとても助かった。我々は翌13日の朝7時に出発した。考えてみればインディアナ州はお隣の州ではあるがこの間に時差が発生する。1時間早くなるので我々は現地時間の8時に出発したこととなる。こういうのがアメリカはややこしい。私が最初は運転していたのだが案の定、2時間ほどで眠くなってきた。無理もない、昨日の到着だったわけだから時差ぼけの真っ只中である。兄が代わってくれたのはとても助かった。彼が運転を始めた10分後にはこちらはいびきをかいて寝ていたらしい。

Peerless Cleanersに到着した。外側の風景は全く変わっていない。フロントに我々の名前を名乗ったらすぐにSteveが出てきた。兄は初めての訪問だったので早速工場見学に連れて行ってもらった。まずコロナ禍の2年間でどのくらい厳しかったか?を聞いてみると意外な答えが帰ってきた。「特に大きな問題はなかった。それなりに忙しく仕事をしていたよ」と。どうやってそんな忙しくできたのだろうか?と思っていたら、どうやらCRDNの仕事が一番だったようだ。CRDNのことを一度詳しく説明したことがあったと思うがもう一度説明しておこう。

Peerless Cleanersの本社工場。外から見たら単に倉庫に見えるが…。トラックに書いてあるのがCRDN。

 

CRDNとはCertified Restoration Drycleaning Networkという名前の頭文字を取ってCRDNとなっている。意味は火災などで被害にあった洋服などを保険会社からの要請に従ってクリーニングサービスすることをいう。アメリカの保険は日本と違って事故品がクリーニングで元通りになるのであればそれを適用する。日本の場合は契約した金額がその時に出てくるだけでクリーニングなどを保険会社が依頼してくることはない。私も一度このFire Restorationという分野を日本でできないかどうか、を研究したことがあるが残念ながら無理だった。これはアメリカにしかできないクリーニング店繁盛の分野と言えるだろう。Peerless Cleanersはインディアナ州の大部分を担当しているとのことでコロナ禍でもとても忙しくすることができたそうだ。ということは…、火事はコロナ禍でも変わりなく頻発していたということになる。こう言うビジネスがクリーニング店にあるととても助かる。

このSteveさんの経営思想をここでもう一度紹介しよう。私は彼を素晴らしい経営者と思っている。何故ならば彼は「社長の仕事とは何か?」ということを明確に定義している。業種や会社の大きさによって考えは異なるが、彼は自分の会社における社長の仕事を「売上を作ること」と定義している。現在のクリーニング業界において一番難しい問題は「どうやって売上を作るか?」である。クリーニング業界は完全に右肩下がりの斜陽業界。今までドライクリーニングで大きな利益を獲得できたが現在はその礎が無くなろうとしている。こんな中で安定した売上を作るには会社の大きな方向転換が必要になると思う。彼が3年前に「売上を作ることが社長の仕事」と定義したのを覚えていたので現在はどうやって売り上げているのだろうか?ととても興味があったのだ。

CRDNによる売上が大きく貢献していることはよくわかった。しかし私が驚いたのはそれ以外の売上である。例えば空軍の施設で発生しているタオルやシーツのクリーニング、これも安定的に手に入れていた。これも確かに安定収入にはなる。(利益がどれだけあるのかはわからないが…)
どうやってこういう契約を持ってくるのだろうか?そしてもう一つあった。アメリカにはタキシードレンタルというビジネスがある。このレンタルビジネスで発生するクリーニングの下請けも受けることにしているそうだ。既にそのタキシードレンタルから週にワイシャツ2000枚、ズボンを2000枚受けているそうだ。ワイシャツは水洗い、ズボンはドライクリーニングで受けている値段は実際に自分達がお店で販売している値段を大きく下回るのだが結果として利益になっていると言う。

タキシードレンタルのワイシャツ。素材があまり良くないがそれでもこれではまずい、ということで一緒に解決しようということとなった。

 

ポイントはお店に関わるコストが全くかからないことと配送料においても全くかからないという点だ。彼らの方で洋服を工場まで持ってきてくれるし引き取ってくれる、となるならば多少の低価格でも全く問題ない。こう言う売上をSteveさんが直々に持ってくるとなると工場はとても安心するはずだ。あとは如何に効率的に綺麗に仕上げるか?だけがポイントとなる。ここは工場の人間たちに任せれば良い話だ。このサイクルが完成しているところにPeerless Cleanersの強みがあると言えるだろう。多くのクリーニング店は社長自ら工場に入って一緒に作業しているところが多い。しかしそれが本当に会社の価値を高めるのか?と考えると全くそれは違うと思わされる。
多くの経営者は

売上の低下 → コスト削減 → 自分が空いた穴を埋めることで収支を合わす

とこのように考える。しかしこの考えは絶対に間違いだと私は感じる。何故ならば経営者以外が日頃の顧客以外との商売の話をすることができないからだ。自分が工場の空いた穴を埋める作業をやっているのは自分の価値の安売りとしか言いようがない。いや、会社の価値をそこで下げていると言うことさえできるだろう。急に空いた穴は埋めなければならない。しかし多くの経営者が率先してその歯車になっている光景をみると不安を感じざるを得ない。そう言う点でSteveさんのさらに売上を違う先から持ってきている姿を見て私はとても頼もしさを感じた。

私のもう一つの訪問理由に最近我々が開発したノンプレスフィニッシャー(英語ではPress Free Finisherという)が彼のような工場で必要になるかどうか?を見てみたかったのだ。3年前に来た時には役立ちそうな部分があったと記憶していたのだが、実際に注目していたわけではなかったのでそれもみてみたい、と思っていた。実際に見てみたらその可能性は十分にあった。アメリカの人件費はもはや日本の倍はしている。そして日本と同じように働いてくれる人が見つからない。これが一番の問題なのだ。だから省人力工場というキーワードが必要になってくる。そこにはオートメーションというクリーニング業界ではなかなかあり得ない言葉をキーワードに迎えなければならない時代となっている。もちろん、それまでの基準を大いに考え直さなければならないことも加味するべきと思う。最終的にはその会社の経営者、経営チームが柔軟に変化を受け入れるかどうか?がポイントとなるだろう。(多くの経営者はそれを嫌がるのだが…)

兄と一緒に工場見学をし、そして夕方にはSteveさんと奥様のLaurieさんと一緒に夕食を楽しんだ。経営の話になると一族経営の話に発展した。彼らには二人の娘がいて両方とも後を継いでいる。しかし性格がとても違うようで難しいと言っていた。私は兄をとても尊敬している。彼こそ控えめ(とは言いたくないが)で身内に近ければ近いほどとても気を遣う人間としてとても感謝している。だから私はこんな活動ができている、とさえ思っているし、多分彼はそれを理解しているだろう。彼らにも英語で私が兄の活動にとても感謝していることを話すと「仲良いね」ととても羨ましそうに返答していた。兄はそう言う英語はわかるようで「録音しておいて!」ってなんともアホなことをいう。しかしそれが安定の経営を作るのだろう。売上を作ること、そしてその売上から利益を作ること、そんな利益体質をどんな組織で作るのか?それが会社の経営の要諦なのだろう。

Steve、奥様のLaurie、兄と四人で会食。とても楽しい、そして色々知り合えた会食だった。

今回はPeerless Cleanersを訪問して再確認できた。我々のノンプレスの可能性も改めて確認できた。それ以上に家族経営の難しさを改めて確認した訪問だった。翌日は朝の出発でシカゴに戻った。朝なのにやはり1時間も運転していると眠くなる。時差ぼけの象徴である。兄に一緒に来てもらって本当によかった。二人で色々話しながら帰ったのだった。それにしても夜に食事をしたときのステーキが本当に美味しかった!

いただいたステーキ。とても美味しかった!

3年ぶりのClean Show

7月30日、いよいよ展示会が始まる。3年ぶりの展示会で本当に久しぶりである。場所はジョージア州アトランタ。アトランタといえばコカ・コーラの本社、CNNというアメリカのニュースチャンネルの本部、アフリカ系アメリカ人公民権運動で有名になったマーティン・ルーサー・キングの地元でもある。7月28日の夕方にアトランタに到着したが29日はちょっと家族で町を歩いてみた。やはり黒人の数はとても多い。それよりもホームレスであろうか…、そういう感じの人々がかなり多いと感じる。ちょっと夜を出歩くのは危険と感じる場所だった。

展示会場は相変わらず大きい。会場を端から端まで歩くと直線で500m以上はあっただろうか。これでもコロナ前の会場からすると少し小さくなったと人々は言うが相変わらずの規模に私は「さすがClean Show!」と感じた。

Clean Showのエントランス。やっぱり立派!!
Sankoshaのブース。今年は趣向をちょっと変えてやぐらを組みませんでした。

 

大きなメーカーもすべて参加しているのでやはり会場には華があったように思う。最近のClean Showではランドリー系のメーカーが3分の2、ドライクリーニング系が3分の1という構図になっていたが今回も大きな変化はなかったように思う。しかしドライクリーニング系のメーカーの元気の無さには残念であった。世界は徐々にドライクリーニング業から離れていく中でアメリカは世界で唯一、相応の需要があるだけに各メーカーは今までの製品を出すことで売上をあげようと一生懸命になっていた。しかし来場者はこれからの時代を戦っていくために何を考えれば良いのか?を学びにきているのだから何らかのメッセージが各メーカーに欲しかっただろう。残念ながら今回の展示会で大半のメーカーは新製品を出していない。多少のマイナーチェンジはあったかもしれないが来場者が注目するような製品やサービスは全く出ていなかった。同じメーカーとしてこれが残念でならない。ドライクリーニングの需要減退を最初に阻止すべきはメーカーだと思うが彼らもまたクリーニング店次第と考えているのだろう。

Forentaの社長Rusty Smith、奥さんと一緒に。久しぶりの再会を喜んだ!

 

さて、アメリカで一番大きな問題になっているのは「人件費」である。コロナ禍で売上が減少する中、やはり利益率を維持したいと思うのは経営者として当たり前と思う。しかしこの物価上昇である。利益を確保したくても確保できない。人件費も当然上がる。こんな中で値上げを実施しないお店は間違いなく倒産する。しかしクリーニングを利用する顧客は値上げを嫌う。この状況下でどんな経営をすることができるのか?これがクリーニング店の一番気になるところだと私は兼ねてから考えていた。クリーニング店が一番注目すべきは「どうやって価格上昇を抑えながら利益を得ることができるか?」である。一番人件費がかかるところは仕上げ部門である。そこで一つの分野でもコストが下がるのであればそれは投資に値するとアメリカ人は考える。今回の我々のブースで注目を浴びたのは新型シングルワイシャツ仕上げ機だ。日本では2年前に発表したシングルであるが、海外で正式に発表したのはこれが初めてである。これが人々にどのくらい受け入れられるのか、これが私の一番注目しているところであった。そのためにはどれだけの来場者が来るのか?それがとても気になった。

会場がオープンしてまもなく、私の不安はすぐに消えた。10時に開場したのだがあっという間に人々が会場を埋め尽くす。日本の展示会とは違い、Clean Showは入場券を買わないと入れない。今回は一人165ドルもするのだからびっくりする。そしてこの円安である。140円で換算すると23,100円もするわけだがそれでも多くの人々が来場してきたのだ。これがアメリカ人のすごいところだ。日本人はこれだけの値段だといくことをやめる人が多い。しかしこの展示会に新しい何かがあるかもしれないと思うならば、高いとか安いとか言っている場合ではない。投資すべきなのだ。アメリカ人はここら辺をしっかり割り切って来場しているのが偉いと思う。そのためにはやはり日頃のビジネスでしっかり利益を出さなければならない、と改めて感じる。

それにしても久しぶりに会う顔ばかりである。本当に懐かしい。一人ひとりと抱き合って再会を喜んだ。懐かしがっているのは私だけではない。彼らも同様で本当に色々な人と会うことを楽しみにしていたようだ。挨拶を済ませるとすぐに「今回は何か新しいモデルはあるのかい?」と聞いてくる。ワイシャツのシングルを紹介した。

常に人でいっぱい。
息子もTシャツ着てカラーカフスのオペレーションを手伝いました。業界メディアにも取り上げられました!(笑
Arya CleanersのSassanとうちの営業Budと。

今回は人々の反応が今までとはちょっと違う。アメリカでは何故かダブルを選ぶ傾向にある。あまりダブルを買う必要のない人でもダブルを買う人が多い。どうやらダブルを持つということは大きいクリーンニング店である、という意味があるらしい。シングルは小さなクリーニング店が持つものだ、というイメージがあるのだ。しかし今回はその傾向が変わってきている。アメリカではなかなか人を雇えない問題がある。人件費が高いという問題とそもそも働く人が減ってなかなか人が見つからない問題の両方があるのだ。その問題点を前提に新型シングルの話をすると皆が大きな関心を持って機械を見始める。その機械の動き、仕上がるスピード、仕上がり品質を見て納得する。何人かのお客様は全くワイシャツを買うつもりはなかったのに我々の話を聞いてからそのワイシャツ機を見たら5分後には「買う!」と即決してしまうのだからさすがにこちらも驚いてしまう。それだけ人件費対策はアメリカにおいては喫緊の課題なのだ。我々はその市場に合ったモデルをタイムリーに出すことがやはり重要である。

 

結局、この4日間の展示会でおおよそ1万人の来場者があった。我々が期待していた人の全てが来たわけではなかったがとても忙しくすることができた。人々が会場で囁いていたことは「とても人で賑わっているブースはMetalprogettiとSankoshaだけ」ということだった。やはり今までの製品やサービスを出しているだけでは人々の関心を買うことができない。常に最新のモデルを用意することが必要なのだ。多くのお客様に大きな関心を持っていただけたのは本当によかったと思う。

初日の夜には我が社が主催したパーティーがあった。このパーティーにも200名以上のお客様が参加してくれた。場所はアトランタ植物公園内にあるホールでとても緑に囲まれた良い会場だった。

パーティー会場。とても心地よい場所でした。

ここでも多くのお客様と一緒に会話を楽しんだが、みなさんからはお褒めの言葉を数々いただいた。

「Sankoshaは新品でも中古でもしっかりサポートしてくれる」

「いつも時代にあった新製品が展示会で必ず発表されている」

「Sankoshaは我々を家族のように接してくれる。とても嬉しい」

「機械が本当に素晴らしい。全然壊れないし、壊れた時の対応がとても素晴らしい」

などなど。結果として250台以上の機械がこの4日間で売れた。日本では1年間で売れる台数がこのくらいだからどれだけの売上が上がったのか、は想像できるだろう。しかし、市場にはまだ大きな力が残っていること、そして人々は変わりゆく環境に対応しようとしていること、そこに付き合う会社の姿勢やタイムリーに出している新製品を見ながら最終的に誰と付き合っていくのか?を決めているのがこの展示会なのだ。他のメーカーはどんな結果だったのか?を私は知らない。あまり良くなかったらしい、という噂を多くの人から聞いたが真相はわからない。我々は大成功だったと思う。これからも更に時代に合わせた新モデルをどんどん発表していきたい。

テキサスの代理店MustangのDubinski家族と!

 

業界新聞National ClothelineのCarolとLeslie、そしてLAのPerfect Cleanersの社長Daveと!

 

余談ではあるが、私は帰国してから新型コロナにかかってしまった。後で聞いた話だが今回のClean Showに参加した多くの人々が感染したそうだ。考えてみれば誰もがマスクをせず、久しぶりの再会を抱き合って喜ぶわけだからかからない方がおかしいと思う。会場が大クラスターになったていたことは言うまでもない。出発前には会社で私の兄である社長が社員に向けて「くれぐれもコロナには気をつけて過ごすように!」と言ってたのにその社長と副社長が二人で感染したのはあまりにも滑稽だった。海外のビジネスにはやはりリスクは存在する。(笑

アトランタへ、と思ったら大失態!

7月28日、私は今年3回目のアメリカ出張にでかけた。今回は3年ぶりに開催されるアメリカの展示会Clean Showに参加するためだ。そして今回は子供の夏休み期間にも重なっているので妻と末っ子の二人を連れて行くこととしたのだ。私には子供が4人いるが上の3人は今回はお留守番。それまで彼らは何度か経験をしているのだが末っ子はあまり経験がない。しかも上の3人はそれぞれの交友関係や大学の関係などで長いこと日本から離れることもできないので今回は家を守ってもらうこととなった。それでも私は家族を連れて外国に出かけるのが本当に久しぶりで普通の出張と比べてテンションはもちろん上った。思い起こせば2月に2年ぶりのアメリカ出張を果たしてからすでにこの出張で今年5回目だ。毎回出張に付き物なのがコロナ対策である。日本のコロナ対策は海外のそれに比べてとても厳しい。故にこの旅においては万全の対策をしてきた。私だけだったらここまで大げさにはならないが妻と息子が一緒なのだから念には念を入れなければならない。
飛行機は午前11時45分、しかし朝7時には家を出て時間に余裕を持って行こうということででかけた。朝はやはり混んでいる。通常だったら自宅から羽田までは車で40分、しかし1時間以上はかかっただろうか…。通常の通勤ラッシュなのでこれは想定内、羽田のターミナル3に到着した。荷物をそれぞれ引いてJALのチェックインカウンターに行った。やはり夏休み前だからだろうか?ターミナルに人はあまり多くない。ターミナル3は国際線ターミナルとされている。しかし昨今のコロナでまだまだ日本を行き交う人々は少ない。無理もない、外国人は現時点で日本に自由に入国することを許されていない。一部の地域ではすでに認められ始めているものの昔のような気軽さはまったくないのだ。しかも日本に来る前に日本人も含めてすべての入国者が現地でPCR検査を72時間以内に受けてその陰性証明を空港チェックイン時に提示しなければ乗船拒否されてしまうのだ。このように考えると日本への入国はまだまだ気が重たい。そんな状況からだろうか、外国人の気配は本当に少ないし羽田に離着陸を予定している飛行機の数は昔に比べて圧倒的に少ないのが現状だ。

こんな状況で我々はチェックインを行った。閑散としたチェックインカウンター。待たされることもなくすぐにチェックインがスタートされた。そこで係員が一言質問してきた。「皆様、ESTAの登録はされていますよね?」と。私は一気に凍りついた。しまった!忘れていた!!なんと妻と息子のESTAの申請をすっかり忘れてしまっていたのだ。ESTAとはElectronic System for Travel Authorizationの略で日本語に直すと電子渡航認証システムという意味になる。いわゆる日本人がアメリカに行く上で必ず申請しなければ入国ができないアプリケーションなのだ。これは1回の申請で2年間は有効とされており、料金は$21かかる。私は今年の2月にすでに取得済みなので問題はなかった。そんなこともあり彼女らの申請を全く気にしていなかったのだ。

まずい!すぐにケータイを開いて二人の申請を始めた。我々が使っていたチェックインカウンターは急遽閉鎖、我々家族が完全に陣取ってしまった。ホームページのガイダンスに従って進めていった。それにしても質問が多すぎる。どんどん時間が過ぎていく。なかなか終わらない。焦る。昔はこのESTAは申請忘れをしていてもチェックイン時に登録して10〜15分もすればすぐに認証がおりていたものだ。しかしトランプ政権になってからアメリカの入国管理が一気に厳しくなった。それからというもののESTAはそんな簡単に認証がおりないのだ。あれだけ時間に余裕を持ってチェックインしたのに一気に時間がなくなっていく。申請忘れが発覚してしばらくして私は「もしかしたら全員で出発することができないかもしれない」と考え始めた。そんなところでJALの地上係員が「仮にお二人が出国できなかった場合はどうされますか?一人でも行きますか?」という質問をしてきた。こんなタイミングで何という質問をするのだ!と不快に思ったが、考えてみれば当たり前の質問である。そもそも問題を起こしたのはこの私だ。そんな事で文句を言っている場合じゃない。とっさに思いついた答えは「展示会が現地で行われるのだ。販売の責任者である自分が行かないわけにはいかないだろ!」と思い、「行きます」と言った。地上係員は「わかりました」ということで私のチェックインだけを進めていった。仮に妻と息子が行けなくなったらどうなるのだろうか?とすぐに考え始めた。まずはESTAの申請を終えなければ!ということで集中して申請作業を行った。

ようやっと二人のESTA申請が終了した。おおよそ9時になろうとしていた。地上係員が言う。「チェックインカウンターは出発1時間前の10時45分になったらクローズせざるを得ません。それまでにESTAの申請が通ればお二人もチェックインしてご一緒にご旅行いただけます。しかしそれまでに認証されなければ残念ですがお二人はお乗りいただくことができません。故にアプリでステータスを常にご確認いただき、遅くとも10時45分までには一度こちらにお戻りください。そこで判断させていただきます」と。まさに死の宣告のようだ。しかしやるべきことはやった。我々はこれ以上何もできないので一度チェックインカウンターを後にした。普通だったらすぐに出国審査をしてラウンジに通してもらって優雅に朝食をとる予定でいたのだが、その予定も完全に吹っ飛んでしまった。早速営業しているお店を探してみる。出発階は通常営業になっていないので開いているお店が少ない。仕方なく開いていた吉野家に入って最低限の朝食を取って時間を過ごすこととした。ラウンジで朝シャンパンと思っていたのに吉野家で朝食とは…。

しかし、こういうときの時間はなんと早く過ぎるのだろうか…。あっという間に10時が過ぎた。ESTAのページから妻の登録番号を入れる。番号が数字とアルファベットで13〜4桁あるのだが何回も打ち込んでいるので自然と覚えていた。1時間が経過したが相変わらずPending(審査中)という文字が出てくる。更に30分が過ぎて10時半になった。まだPendingの状態である。残り15分。私はもう諦めていた。この間、私はずっと自分を責めた。なぜ忘れていたのだろうか。お前さえきちんとしていたらこんなことにはならなかったのに…。そして私は一人で出かけることをやめることを決心した。JALのカウンターに行って「自分はチェックインしてしまったがやはり行くのをやめます。荷物を出せるようにしておいてください」とお願いした。先程まで行くと言っていたのに急遽やめることとなったので地上係員も焦る。申し訳ないがやはり妻と息子を置いて行くことはできない。すぐに私は旅行会社に連絡して飛行機のキャンセル、そして別の便で行ける可能性を一生懸命探し始めた。一つあった。United航空でおおよそ同じ旅程で行くことができる。しかしエコノミーで一人70万円かかると言われた。え?そんなにするのか?と耳を疑った。乗れるかどうかわからないJALは国際線往復をプレミアムエコノミーの利用で一人40万円である。これでも随分高いとは思ったがなんと70万円とは…。これもESTAを登録し忘れた自分のせいである。もう覚悟はできた。旅行会社に「もしかしたら現在の予約をキャンセルして、そのチケットを取り直しするかもしれないのでスタンバイしておいてくれ」とお願いをした。

10時40分、残り残り5分となってしまった。すでに20回以上は確認し続けただろうか…。もちろんPendingの文字を見続けていた。もう取り直しのスタンバイもできている。ここでなんと奇跡が起こった。10時41分、諦めながらもう一度確認したらなんと「Approved」という文字が出た。え?と自分の目を疑った。そして次の瞬間ひと目をはばからずに「やったー!」と大声を上げた。周りの人々がこちらをジロッと見る。構うものか!と、すぐに妻と息子の元へ走っていった。彼女らもおおよそ諦めていただけに私の走ってくる姿にびっくりした表情だった。「認証が降りたぞ!急げ!!」彼女らも大喜び、そしてすぐに荷物をJALのチェックインカウンターに持っていった。「良かったですね〜」と地上係員が言う。本当に良かった。もしこの飛行機に乗れなかったら現地で借りているレンタカーの登録情報やホテルなどにも連絡しなければならなかったし、新たな航空券で余計におおよそ100万円も支払わなければならなかったわけだから。無事に全員がチェックインできてすぐに出国した。私はすぐに旅行会社にも連絡をして予定通り飛ぶことができたことを報告した。電話越しに旅行会社もとても喜んでくれた。しかし、考えてみれば本当に自分の不注意でこれだけの人々に迷惑をかけてしまったのだからなんとも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

チェックイン、手荷物検査、出国審査とたった10分で終えることができた。あまりにも早く通過したのだが、飛行機の搭乗は11時15分からということであと20分あった。バタバタではあったが「せっかくだからラウンジに行こう!」ということでJALラウンジに直行し、飲めるはずのなかったシャンパンを妻と乾杯!我々の出国を喜んだ。息子は寿司を数貫頼んで食べていた。滞在時間はたったの15分。しかし十分に堪能できたひとときだった。

ラウンジでのひととき。「本当によかったね〜」とこの話ばかりでした。


それにしても何という3時間だっただろうか…。こんなに気持ちが落ち込んで最後に高ぶるとは思わなかった。飛行機に乗り込んだときにはもう精神的にクタクタだった。しかしこれでアトランタに行ける!本当に嬉しさと疲れが両方入り混じった気分だった。

機内に乗り込んで改めてやれやれ、というひととき。疲れがドッと出ました。(笑


皆さん、アメリカに行くときはくれぐれもESTAの登録を忘れずに!次回は3年ぶりに開催されたClean Showの様子を報告したいと思う。

ドイツは日本の将来像?

6月29日、我々はオランダのTiel(ティル)という町から一日がスタートした。朝方、いつものように5kmのウォーキングをした。知らない町を歩くのはなかなか面白い。車だと見えない景色が歩きだとあるのだ。人々がどんな生活をしているのか、どんなお店があるのか、どんな人々が住んでいるのか?などなど興味深いことが見えてくる。しかし住民からすると私のような人間が歩いているのを見るのは不気味だろう。明らかにアジア人のルックス、おおよその人々が私を中国人と間違う。いっそのこと「僕は日本人!」と書いたシャツでも着て歩けば良いのか?考えればきりがない。朝6時前の気温はなんと16℃、半袖短パンではちょっと肌寒いくらいだった。しかし歩くとオランダらしい風景がすぐに見えてきた。オランダは水の国と言っても良い。海抜1m未満の土地が国の半分を占めているのだから如何に平なのかがよく分かる。2kmも歩いたらワール川というなんとも大きな川に直面した。東京だと隅田川や荒川は十分に大きな川と認識しているがこのワール川は倍の大きさがある。船も大きいのが随分と航行している。オランダの輸送に川の活用は欠かせない。こうやって違う土地を歩くといろんな違いを体感できる。

朝5時半頃の気温。もう7月というのにこんな寒い!
ワール川のほとりを歩く。日本の川とは比較にならない大きさ。交通手段になるのも無理はない。

 

ウォーキングを終えてシャワーを浴び、朝食を済ませ、ドイツの販売代理店の社長Frank Ziermannと私は一路目標をドイツのKreferd(クレフェルト)に向けた。昔から付き合いのあるVaianoというクリーニング店を訪問するためだ。オランダの国境からドイツに入った途端に車のスピードが一気に上る。ドイツではアウトバーンという高速道路があり、そこでは事実上速度制限がない。彼の話によるとほとんどの車は250km以上になるとリミッターがかかるようになっているとのことだが…、いずれにしても恐ろしいほどのスピードが出せる。しかし200km以上出す車はあまりない。仮に200km以上出すと普通に100kmのスピードで走行している車が止まっている状態で我々が100km以上の時速で通過していくことになるのだからとても怖い。仮に遅い車が不意に車線変更することがあると大事故につながる恐れがある。そんなことを考えると平均で150kmくらいで走っているのが一番安全で心地よさそうだ。私はスピード出すのが大好きだから200km以上の運転を見せてもらってとても楽しかった。

Frankのメーターが225kmを指しているところ。速かった〜!!

 

久しぶりのVaiano、外観は全く変わっていなかった。社長のMarcoが出てきてお互いの再会を喜んだ。早速工場を見せてもらった。びっくりした。記憶にあったクリーニング工場が一変していた。それまで地域の代表的なクリーニング店だったのが一気にランドリー工場に変わってしまっていたのだ。もちろん、ドライクリーニングをやめたわけではないのだが4台あったドライ機が1台になってしまっていた。その代わりに工場の中央に洗濯機が5台ほど設置されていたのだ。それまでのことを考えるとなんとも悲しい光景だった。いわゆるドライクリーニングだけでは食っていけないと言わんがばかりの光景だったのだ。

Vaianoのお店兼工場。昔と全く変わっていなかった!
中を見てびっくり。ドライ機がたった1台しかない!!
工場の中央に洗濯機がずらり。昔はウール仕上げ機がたくさんあったのに…。


ここにはシングルのワイシャツ機が2セットとブラウス仕上げ機が1セット設置されていたはず。まだあるのだろうか?と見たらしっかり残っていた。もう10年は経っているだろう。しかし状態は悪くない。ここだけ昔の面影が残っているようだった。

昔の隊列でここだけは変わらずに残っていた。


ドイツでもドライクリーニングの売上が激減している。先代のお父様にもお会いすることができた。彼らと一緒に近くのレストランで昼食を取ることとした。そこでお父様は「昔はよかった。ドライクリーニングでとても良い商売ができた。しかし現在はひどいものだ。人々が昔のような服を着なくなってしまった」と。社長である息子さんも「僕だってやりたくてやった訳じゃない。しかしこうでもしなければ事業を継続していくことさえできなくなってしまうのだ」と。これが次世代のクリーニング業界のあるべき姿なのか!私はいろいろなところを訪問して脱ドライクリーニングでのビジネスモデル構築をイメージするようになってきたが、ここで改めて目の当たりにしてしまうと本当に日本もこうなっていくのだろう、と感じざるを得ない。
ここVaianoでは地域で需要のあるランドリーを何でも受けるようにしているそうだ。洋服ばかりではなくレストランやホテルで需要のあるテーブルクロスやシーツなどもできるだけ受けるようにしているとのこと。ユニフォームなどは言うまでもない。ここには先代のお父様と現社長の息子さんとの間で相当なやり取りがあったそうだ。しかし最後は息子さんの言うことをお父様が聞いてその方向性になったとのこと。悲しい姿になったのは間違いないが、そのときに息子さんが決断しなかったらこのお店はなくなっていたかもしれない。そう考えると息子さんは大英断をしたと言えるだろう。そしてお父様もよく容認したと思う。この気持はご本人達でなければわからないと思うがとても良いバランスで現在も推移していると思う。

右から代理店のFrank、Vaianoのお父様と社長の息子さん。昔話も含めて盛り上がった。

 

さて、昼食後に我々は次の目的地へ移動した。今度はKreferdから南に一直線、フランクフルトを越えてKarlsruhe(カールスルーエ)という町へ移動した。私がもう一つ気になっていたクリーニング店を訪問するためだ。距離にしてざっと350km以上だがFrankの運転ならば大したことはない。彼は運転し、私は時差ボケからその間ウトウト昼寝をしていた。

軽く3時間半の運転。ドイツ人はこのくらいみんな当たり前で運転する。

 

Karlsruheに到着。早速お店を訪問した。お店の名前はLausenhammer、文字通り社長の名前のクリーニング店だ。彼は私にとっての有名人である。なぜならば主要な展示会には必ず来場し、我々の新しい機械をチェックしに来るからだ。その割にはあまりSankoshaを買わないのが気になるが…(笑

Lausenhammerの外観。あまり高級感は出ていないが…
中はなかなか広くとても開放的。
お店の価格表。興味のある方は調べてください。(笑


それはさておき、このLausenhammerさんは地域の高級クリーニング店として有名だと聞いていた。私は彼のお店を今まで一度も訪問したことがなかったので気になって仕方なかった。Frankも「それじゃ行ってみよう!」ということで訪問した。ご本人との久しぶりの再会、とても元気そうで良かった。ここに価格表だけ出しておこう。これを120円で換算すると決して高いとは思わない。しかし現在はEUR=140円なのでどうしても日本人には多少高く感じるだろう。金額の話はちょっとおいといて、ここで言いたいことは町の高級店は相変わらず良い状況を保っている、ということだ。Lausenhammerはいろんなことにこだわりがあり、確かに洗いにしても仕上げにしても綺麗にやるのは事実だ。ちょっと良い服だったらここに持ってこよう、という意識がこの町の人々にあるのは間違いない。このようなお店は相変わらず今まで通りの経営ができていることも改めてはっきりしたことである。

ドライ機。相変わらずパークを使用。「パークが一番綺麗になる」と。環境問題にうるさいドイツでもパークを堅持!
仕上げ機も年季の入ったモデルばかり。人間の手で仕上げている証拠。
Lausenhammer氏と共に。とても元気そうで良かった!

 

こちらのお店を離れ、Frankの会社があるAhernという小さな町に戻り一緒に食事を取りながらいろんなことを話した。変わっていかなければいけないこと、変えてはいけないことがそれぞれあったような気がする。それを決めるのはそれぞれのクリーニング店である。そんなことを考えながらドイツ料理を堪能した一日であった。

オランダで見てきたこと

6月27日、私は今年4回目の海外に旅立った。朝8時50分のフライトなので5時40分のバスに乗って行く予定だったのだが私の長男が親切に空港まで送ってくれた。それだけでも嬉しかったが私の乗る飛行機が出発するまでずっと空港の展望デッキで見送ってくれた。乗り込む時に手を振ってくれるとは・・・、かなり特別感を感じた。
今回もロンドン行きに乗り、ヒースロー空港で乗り継いでオランダ・アムステルダムまで行ったのだがなんと長い旅行だろうか。今回もウクライナ問題が影響して西に飛ぶことができず、アメリカ・カナダの上空を飛んでいったのでロンドンまで15時間かかった。アムステルダム・スキポール空港に到着した時は既に現地時間の夜10時。ドイツのパートナーであるFrank Ziermannが迎えにきてくれた。今回は彼と共にオランダ・ドイツを1週間旅することになっている。

翌日、我々は新規オープンしたクリーニング店を訪問した。名前はFornet、そう、中国で一番大きなクリーニングチェーンであるあのFornetである。なんとオランダにヨーロッパ一号店がオープンしたのだ。場所はAmsterdam Zuid(アムステルダム南駅)から100mのところ。ここは金融街と呼ばれており、比較的スーツなどを着る人々が仕事をしにくるところである。そこになんともおしゃれなお店ができたのだ。

ヨーロッパ1号店のFornet。
Amsterdam Zuid(アムステルダム南)駅が100mくらいのところにあった。絶好の立地!

 

オープンしたのは先週との事でまだ大々的なオープンというわけではない。しかし毎日近くで仕事をしている人々は「どんなお店だろうか?」と興味津々の様子だ。Fornetのビジネスモデルは元々ドライクリーニング機が1台にアイロン台で成り立った。イタリア型とも言えるし、フランスの5a Sec(サンカセック)と同じモデルとも言える。若干違うところはランドリーも受け付けるというところだ。ワイシャツだけではなく水洗い衣類、シーツ類など全般的に受け付けるところが違うところだろう。
しかし今までのクリーニング店と決定的に違うところは店構えと思う。とにかくおしゃれにできている。歴史的に考えても今までのクリーニング店は店構えを気にする必要はなかった。それまで人々はウール製品などのドライクリーニングを必要とする洋服ばかりを着ていたのでクリーニング店は店を通じたプレゼンテーションなど考える必要がなかったのだ。気にするところは工場を通じた技術力だったのだ。しかし時代は変わった。地球温暖化、変わりゆく洋服のトレンド、ドレスコードの消失などで人々は一気にドライクリーニングを必要とする衣類を着なくなってしまった。これからの時代は「如何にプレゼンテーションに力を入れられるか?」にかかっている。そうなると今までの原価率では対応できないだろう。もっと原価率を減らす努力、それは価格を上げるのか?コストを下げるのか?それはそれぞれの意思決定と思うが更に捻出する粗利をお店のイメージやプロモーションに注ぐ必要が出てくるのだ。

フロントカウンター。とてもきれいな空間で上品さを漂わせている。
オリジナルのアイロン台。工場は極めてシンプルにできている。

 

Fornetの訪問を終えて次に向かったのはMedo Cleanという会社。今までは単体でクリーニング店をやっていたのだがやはりそれだけでは持ちこたえられない、と判断。クリーニングの多角化に乗り出していたのだ。

Medo Cleanの外観。ここは完全に工場になっていた。


さて、多角化ってどうやるんだ?というのが最初に思った疑問だった。私が今までの経験値で話せる内容とするとWash & Fold(洗濯代行)やユニフォームの下請けなどだった。しかしMedo Cleanではもはや自家処理をするほどの洋服がなかったり、従業員がいないことで処理できないクリーニング店の下請けをやることが一つ、もう一つは販売チャネルを全くの異業種にお願いしていることだ。
まず最初の下請けであるが、これはある意味イメージできる。もはや自分たちで処理する体力がなくなってしまったところは数多いと推測する。Medo Cleanがそんなクリーニング店たちの後ろ支えするのはとても良い試みと私は思った。ただし、これを日本でやろうとしてもまだうまく行かないと推測する。なぜならば各店のオーナーたちが自分の品質価値を頑なに主張するからだ。大切なポイントかもしれないがこだわりすぎると何も協力できなくなってしまう。ある日本のクリーニング店の社長さんが私に似たようなことを提案してきたことを思い出した。その人は「圭介さん、自分でできなくなっているクリーニング店をご紹介いただけないか?私はそういう人々の役に立てるクリーニング店になることができる」と。その時も私は「現時点ではまだ現実的ではないのではないか?」と答えたことを覚えている。オランダではこういう協業ができていることを日本のクリーニング経営者はもっと学んでもいいのではないだろうか?

他社ブランドのフィルムを使っているので聞いている筆者。なかなか面白い取り組み。


もう一つのチャネルを異業種に展開することであるが、この会社ではスーパーマーケットにお願いしているらしい。日本でもインショップとして展開しているクリーニング店は多いが、ちょっとこちらの形態は違う。こちらではクリーニング店関係者は一人も従事せず単にロッカーをおいて置くだけで運営そのものはスーパーマーケットに委託している。しかしクリーニングのプロはお店には一人もいないので詳しい相談などはそのロッカーに番号が書いてあり、その番号にかけることで対応する、という仕組みになっている。このやり方だと国の法律でできる国とできない国があると思う。しかしオランダはできるということなのでその方法をとっている。最近はそれぞれの地域にクリーニング店が存在しなくなってきているのでこのようなスーパーにクリーニングサービスセンターがあることで人々の役に立っているとのことだ。一方でMedo Cleanではちょっと遠い地域であっても販売チャネルが出来上がっているので売上増につながるだろう。私は「どうやってこのようなネットワークができたのか?」と聞いた。社長のMichaelさんは「最初は先方からの問い合わせで始まった。この商売をやるには立地条件が大きく左右する。だから我々はここに会社を構えたんだ」と。彼の会社の位置はユトレヒトに一番近いが、アムステルダムやロッテルダム、ハーグなどもおおよそ1時間圏内にあるのでいろんな地域でコラボすることができるという。日本で同じことは簡単に成り立たないとは思うが、異業種にお店機能を任せるというやり方は考えてみても良いことかもしれない。彼らはそれだけではなくユニフォームの下請けなどもやっていていろんな方面から仕事を受けようとしているその姿勢が結果として忙しくしている理由と感じた。

ドイツの代理店(右)とMedo Cleanの社長(中)と筆者。とても興味ある訪問だった。

オランダの業界は日本よりももっと小さい。しかしこんな環境でも力強くやっている人々がいることを再確認してとても嬉しい気持ちになった。まだまだできることはある!見方を変えていくことが大切と思った。固定概念からの脱却ができる会社が残る!これはオランダでも同じだった。

恐るべし、ニューヨーク!

5月23日、今年2回目のアメリカ出張に出かけた。今回も成田からの出発であった。しかし2月と比べると人の数は全然多く、確実にビジネス客などが戻ってきているな、と実感できた。今回の目的はニューヨークを訪問することだった。アメリカのクリーニング業界全体としては世界と同じくダウンサイジングの一途を辿っているが、中流層から高級層においては完全に元に戻ってきている感じがする。どのような状況になっているのか、好調の元を調べに行きたかった。

5月24日、私はシカゴからユナイテッド航空を使ってニューヨーク・ラガーディア空港に飛んだ。アメリカでは既にマスクの着用義務がなくなっている。機内においても原則着用しなくても良いのだ。しかし自発的に着用している人も20〜30%はいただろうか。私はもちろん着用したがやはりこういう密室だと感染する確率も高いので気を付けたいところだ。それにしても日本とは全く生活習慣が違う訳だから驚くことばかりである。
到着したら、当社の東海岸の営業をやっているDarrenが私を待っていてくれた。早速二人でいくつかのクリーニング店を訪問した。ニューヨークではJeeves、Hallak、Maurice Garment Care、KingBridgeなどの高級クリーニング店を中心に多くのお店と良いお付き合いをさせてもらっている。しかし、今までご縁がなかったところで今回ご縁を頂いた会社がある。それはMadame Paulette、ByNextという会社が1年前に買収したクリーニング店である。詳しくはお話しできないが、あるプロジェクトから急接近する事になった会社である。いきなり面識を持てる機会を頂いたのでこちらもとてもワクワクしていた。

Madame Pauletteの外観。全くクリーニング店とは思えない綺麗な店だ。

 

Madame Pauletteはカーネギーホールからわずか200mくらいの所にある。カーネギーホールといえば数多くの有名なオーケストラやピアノコンサートを開く場所として有名だ。こんなニューヨークの一等地でクリーニング店の経営をやっていて本当に商売になるのだろうか?お店はとても綺麗でブティックのような装いだ。これをクリーニング店と理解できるのだろうか?と多くの日本人は思うだろう。日本のクリーニング店はお店に「クリーニング」という文字が入っていないと人々に認識されない、という不安から入れるようにしている事を多くの経営者から聞く。しかしこう言うお店はもはやクリーニング店ではなくMadame Pauletteなのだろう。ブランドとして認識されているのだろうな、と思った。
店内に入ってみるとカウンターがあったが、お客様が座れる椅子が3つくらいあった。こういう雰囲気は「大切なお洋服だからしっかり確認しながら丁寧にケアするよ!」と言われているような感じがした。高級な洋服が持ち込まれる訳だからこう言う雰囲気であるべきなのだろう。

カウンター。椅子が用意してありお客様とゆっくり話せる環境ができている。
お店にロゴ。しっかりブランディングされている。

 

やはり価格が気になる。聞いてみたところ以下のような価格だった。
ワイシャツ:$16.00
ブラウス:$32.00
ズボン:$32.00
ジャケット:$60.00
コート:$90.00
なるほど、このくらいの値段を取らなければマンハッタンの一等地でお店を出す事など出来るわけない。ちなみに翌日訪問したKingBridgeの値段も調べて見ると
ワイシャツ:$6.00、ドライクリーニング:$22.00
ブラウス:$22.00
ズボン:$19.00
ジャケット:$22.00
コート:$77.00

とこんな感じである。KingBridgeは場所が南部のBrooklyn地区なのでマンハッタンよりはお安い感じがするが、それでもニューヨーク価格と言えるだろう。やはりこれだけの料金をニューヨーカーは普通に払う事ができるのだからここに住んでいる人々の所得は桁外れといえる。

さて、話しをMadame Pauletteに戻そう。それにしてもお店が広い!!一体どのくらいあるのだろうか?と聞いたらざっと25,000スクエアフィート、日本の単位に直すとざっと700坪である。なんて広いんだろう!
奥へ進んでいくと応接ルームに大きな鏡が置いてある。ここでウェディングドレスなどのお直しに来たお客様と詳細を検討したり、できあがったドレスを実際に着てみて最終チェックをするような場所として用意されている。その後ろには数多くのドレスがスタンバイしている。こうなるとお店が「何を集めたいのか?」がはっきりしている。

奥の応接ルーム。ここでドレスのお直しをミーティングしたり出来上がったドレスを試着したりできるようになっている。
ソファーの裏には数多くのドレスが出来上がった状態でお客様を待っている。


そしてこの応接スペースの真上に階段で上がるとお直し工房があった。やはりお直しはショップにはなくてはならない分野なのだろう。ここら辺は日本の典型的なチェーン店とは全く違う。残念ながらタイミングが合わず、彼らのクリーニング工場を見学する事はできなかったのでどんなオペレーションをしているのか、を確認する事はできなかった。それでもこれだけの価格でクリーニング業を運営できるのは幸せとしか言いようがない。

二階にあるお直し工房。とてもゆったりしているスペースだ。

 

さて、高級店で一番大切なのは接客と思う。お客様を知ることはもちろんであるが、それ以上に洋服の事をよく知らなければならない。ブランドを知ることはもちろん、どんなお値段のするお洋服なのか、を認知していなければ正しい接客はできない。こう言うお店で働く人はある意味スーパーマンだ。先ほど書いた価格はあくまでも基本料金だ。ブランドの洋服となるとそれなりの金額を請求する事になる、というのが彼らの基本コンセプトである。
店員さんがそこまで一つひとつを覚えることができるのか?という質問に対して社長のKamさんが面白い事を言った。「まさか!これだけのブランドや価格をしっかり覚えている人はなかなかいないよ。僕だって覚えきれない。だからレジの力が要る。我々は独自のソフトを持っていてそこにブランドや洋服のタイプを打ち込むとすぐに価格が出てくるようになっているんだよ」と。これにはびっくり。しかし同時にとても理にかなっていると思った。仮に洋服のブランドや値段を知らなくてもレジの情報として既に登録されていればいくらのクリーニング料金にすべきか?を考える必要がないのだ。後は目の前にいるお客様に精一杯のおもてなしをしてあげられれば良いのだから店員は集中する事ができる。そのレジを実際に拝見する事はできなかったがこれは間違いなくお店のブランディングの一つの要因と言えるだろう。

恐るべし、ニューヨーク。ここはまさに通常の世の中とは全く違う空間である。夜はKam社長と営業マンのDarrenと3人で食事をしたがいろいろな話しで盛り上がった。ニューヨークのレストランもやはり値段がとても高くてびっくりしたがとても楽しい時間を過ごす事ができた。

イギリスの展示会

4月24日、私は4年ぶりのイギリス展示会に参加した。コロナ禍での海外初の展示会。一体どうなるのだろう?と思って会場にやってきた。会場はロンドン西部の郊外にあるAscot。イギリスで一番大きな競馬場である。日本でいったら府中競馬場だろうか・・・。やはりイギリスとなると王室が競馬を楽しむ習慣があるので会場にはいたるところに王冠がシンボルとしてついている。

イギリス最大の競馬場Ascot。こう言う場所での展示会も面白い!
三幸社のブース。新型シングルが全面に展示された。

 

今回の展示会では日本で発売した高速型シングルを新製品として紹介する事となった。もちろん、ボディサイズはイギリス用になっている。しかしこの大きさが実際は日本モデルのように俊敏に動かない。どうしてもコテが重いのだ。それは仕方がない。だとしてもこちらで60枚/時を越える生産性をたたき出すことはできる。それまでのシングルだと40枚上がれば十分と言われているのだから。ここにイギリスのワイシャツと日本のワイシャツの縫製の差がある。
イギリスのワイシャツで難しいのは前たて(Front Placket)に芯地が入ってなく、生地だけが織り込まれているのが多い。結果として裏側がミシンで縫製されていないので前たてのセットがとても難しいのだ。誰もがその部分をとても丁寧にセットする事になってしまう(私もイギリスのワイシャツをセットするときは同じ状況になる)ので時間がかかってしまうわけだ。
しかし最新モデルではそれまでのモデルの倍の速さでワイシャツを乾かしてしまう力がある。最近のワイシャツであれば10秒で仕上がる。通常であれば25秒はかかるだろうか・・・。それが半分以下の時間で仕上がってしまうわけだから生産性が上がるのは明白だ!いくら前たて(Front Placket)に時間がかかってもプレス時間で相当の生産性が上がる。問題はオペレーターのスピードである。こればかりはお店に託さなければならない。ここら辺がお客様との話し合いのポイントになるだろう。

10時に展示会がスタートした。しかし待てど待てど来場者が全くない。12時を過ぎた。2時間経っている。しかし全く誰も来ないのだ。流石に焦った。「この展示会は大失敗か?」と。しかし午後1時を境に多くの人々が来場してきた。正直ホッとした。結局、この日は最後まで来場者に恵まれた日となり、我々もとても忙しくする事ができた。

多くのお客様に来場いただいた。本当にホッとした。


やはり一番の目玉はワイシャツ仕上げ機である。この展示会場で我々以外でワイシャツ仕上げ機を出していたのはTrevilとBarbantiというイタリアのメーカーとBoweというドイツのメーカーである。Trevilはどうやらイタリアの巨大メーカーであるPonyの製品をOEMしている様な感じであった。詳細は定かではないが作り方、機械の動き方を見てもかなり似ているので間違いないだろう。Barbantiは昔からプレスする機械ではなく膨らます事で仕上げる機械となっている。ドイツのVeitをご存じの皆さんであれば想像は容易につくであろう。1985年くらいにVeitがBarbantiとOEM契約をしてVeitのワイシャツ仕上げ機をつくるようになってからBarbantiのワイシャツ技術が急速に発展したと言われている。ドイツは昔からワイシャツはプレスするモノではなく膨らまして乾かしながらソフトに仕上げる習慣がある。これは現在も強く支持されている。これがイタリアにもそのまま反映されている。
そしてBoweであるが、このワイシャツ機は我々がつくっているOEM機なのだ。今回、初めて自社ブランド以外の自社機を同じ展示会で出展することとなった。結果として、SankoshaブランドとBoweブランドのどっちのワイシャツ機の方が良いか?というYouTubeまで出現したのだからびっくりである。

https://youtu.be/nf1kpf1mp0M

イギリスはワイシャツ王国である。故にアメリカの文化がそのまま移植されていてアメリカと同じようなプレス文化がある。しかしドイツはVeitがつくった文化がそのまま色濃く残っており、プレスよりは膨らます文化が残っている。要はこの戦いなのだ。
今回Boweに提供しているモデルは昔、三幸社が1980年代につくったCN-550という前はプレスするのだが後ろはプレスしない、というハイブリッド型である。これを復刻してドイツバージョンにしたのだ。ちなみに最新のドイツ型はタックプレスも外してこよなく膨らます形に近くしている。しかし、膨らますだけでは時間がかかり生産性がとても低い。故に前だけは全面プレスにして前たて(Front Placket)やポケットなどはしっかり押してしまい、残りの部分は膨らまして乾かす、というスタイルを取っている。

結果としてはやはりSankoshaブランドが一番強そうだった。現在はSankoshaブランドがイギリスではトップブランドになっている、何よりも一番信頼される要因になるのは「耐久性」のようだ。イタリア製はどうも故障しやすい。これは使っている部品のせいだと思われるが1年もしないうちに壊れてしまうのは問題である。一方でSankosha製だとまず5年は壊れない。日本の皆さんからすると当たり前の話しかもしれないが海外ではこれは結構びっくりされる話しなのだ。壊れずに使い続けることができるのはお客様にとってとてもありがたい話しである。故にSankosha製はいつも話題の中心になるのであるが、一方で価格も安くない。そこに今回のBoweブランドのワイシャツ機が新製品として入ってきているのでこれからのマーケットがどの要に反応していくのか、がとても楽しみである。

イギリスのワイシャツは今までアメリカと同じような形であったが最近、どうもスリムカットのワイシャツがトレンドになってきている。それまで我々はアメリカモデルを基準にしたヨーロッパ仕様を販売してきたのだが、最近はそのボディサイズでは綺麗に着せることが出来ないものが多くなってきているとの事だ。こうなると現在のモデルではだんだん通じなくなってくる。ここら辺を敏感にしておくことも今後の販売においては重要なポイントとなる。

初日の晩は主催者による出展者のためのレセプションが行われた。この時期にマスクなしでこの狭い空間にこれだけの人であふれる場所にいたことがなかったのでとても躊躇した。しかし誰もがこの中で楽しんでいるわけだからもう仕方がない。腹をくくって楽しむこととした。

VeitのBoris、BarbantiのRobertoと一緒に
イギリスの代理店チームParrisianneと一緒に
ドイツの薬剤メーカーSeitzのJacopoと一緒に

この展示会では本当にいろんな人と久しぶりの再会をした。それぞれがとても苦しい2年間をすごしてなんとか会社を続けて来る事ができたのだな、と思えた再会であった。しかし皆が元気で良かった。競合メーカーももちろんいたがお互いに無事であることを心から喜び合い、これからまた一緒に切磋琢磨していく事を確認しながらその時間を楽しんだ。

3年ぶりのイギリス

4月22日午前6時、私は羽田空港のターミナル3(国際線ターミナル)に来ていた。3年ぶりのイギリスに行くためだ。羽田空港の国際線ターミナルにくるのもおおよそ3年ぶりだろう。どちらかと言えば成田空港から出発する事が多い私からすると随分と来ていない感じがした。2年ぶりのアメリカ出張をしてからはや2ヶ月。こんなすぐにヨーロッパに行くとは思わなかった。今回の大きな目的はイギリスで3年ぶりに開催されるCleanExというイギリスの業界展示会に参加するためだ。業界の展示会となると多くの関係者が集まるのでとても楽しみである。職業柄、立場上、いろいろなメーカーの経営者や役職者と仲が良い。彼らがこのコロナ禍をどのように過ごしてきたのか、また現在はどんな事を考えているのか、など聞きたい事が山ほどある。展示会は情報収集の一番適した場所になるので私にとってはとても都合の良い場所となる。

まずびっくりしたのは空港の手荷物検査。もはや腕時計を外す必要はないし、PCをバッグから出す必要もない。靴を脱ぐ必要もないので大きなトレーに荷物を置くだけで良い。昔のような仰々しい検査をされずに済む手続きでこれには大きな驚きを感じた。この2年間でこういうテクノロジーも進化したんだな、と感じた。
それにしても羽田空港もまだまだ人は少ない。2ヶ月前の成田空港に比べると政府の緩和策が手に取るようにわかるほど人が動き始めているのがわかる。しかしまだまだ人の動きは鈍い。6時台ではあるが私は出国審査を終えて早速出発ターミナルの端から端まで歩いてみた。これまたびっくりした。飲食店が全く開いていない。一つだけ開いていたやきそば・お好み焼き屋さんに人が列をつくっていた。私はJALのステータスを持っているのでラウンジに行くことができたが、権利のない人々は朝食を食べる場所さえない。人が動かないと様々な弊害が生まれることを改めて感じた。

乗り込むところ。ほぼ満席のフライトだった。

 

何とも長い飛行時間だった。今回はウクライナ侵攻の問題からヨーロッパ行きはそれぞれ迂回しながら目的地に飛んでいくのだが私の乗るJL043便はなんと東周り(正確には北回りと言うらしいが)で飛んで行く。アメリカ、カナダ上空を飛んでヨーロッパに行くなんて初めての経験だ。それでもイギリスに行ける事がとても嬉しかった。

今回の飛行ルート。ヨーロッパ行きで北米上空を飛んだのは初めて!


ヒースロー空港に到着。久しぶりのJimmyとの再会、ちょくちょくZoomミーティングはしていたがやはり直接会えるのはとても嬉しい。早速本日の目的地であるBasildonに向かう。まず最初に気になったのは人々がマスクを全くしていない事だった。こちらがマスクをしていると逆に怪訝な顔をしてくる人々。もはやイギリス人のコロナとの付き合い方が日本人とは全く違う。これでは自分もコロナにかかってしまうのではないか?と不安になってしまうが郷に入れては郷に従え、と言うことでもういいや!という気持ちでマスクを外した。2日後には展示会が行われたのだがその時の夜の出展社が集うレセプションでも相当密な状況にもかかわらず誰もマスクをせずに楽しんでいる光景を目の当たりにした。日本人である私には驚き以外のなにものでもなかったが、こんな状況に接して帰ってくると日本の水際対策はちょっと過剰じゃないのかな?と感じる様になってしまうわけだから本当に注意しないといけない。
それにしても懐かしい。Jimmyの奥さんであるYvonneや娘さんであるVictoria(Parrisianneで事務をしている)とも久しぶりの再会であったが昔話で一気に盛り上がった。

Jimmyのご家族との夕食。昔話しで盛り上がった。

 

4月23日、我々は早速、展示会場に向かったのだが途中で一軒のクリーニング店を訪問した。今回のイギリス訪問目的はいくつかあったがその一つは「市場リサーチ」であった。どうせ市内を通るわけだから一つくらい寄って欲しい、とお願いしたらこのお店を選んでくれた。その選んだ先は典型的な個人経営のクリーニング店だった。ロンドンにはこのようなクリーニング店がまだ何百件と残っており、三幸社として商売になるかどうかは別としてこの典型的なお店の運営状況を確認しておきたかった。

今回訪問したTouch of Class Cleaners。


ロンドンの個人店はもはや移民系クリーニング店として認知されている。インド人もしくはパキスタン人によって運営されているのがほとんど。アメリカで言えば韓国人といった感じだ。工場の中を見せてもらうとドライ機10kg(溶剤:K4)が1台と家庭用の水洗い洗濯機が1台、スチームキャビネットが1台に40〜50年前のホフマンプレス機が2台のみである。設備の更新はドライ機だけでその他のモノはほぼ何も変えていない、という状態である。気になる入荷点数であるが平均100点/日という感じである。ワイシャツや水洗いものはあまり入ってこない。たまたま私が訪問した時はベッドシーツやデュベカバーなどの仕上げをやっていたが仕上げをウールプレス機でやっているわけだからパリッと仕上がるはずもない。ここのオーナーさんに話しを聞くと「まだまだやっていける。だからドライ機は買い換えたんだ!あまり将来は悲観していない。」と答えてくれた。やはりロンドンはまだまだスーツなどは出るのだろうか。それにしても単価がおおよそ7ポンド。それを100点集めたとして700ポンド/日。これを週6日稼働で単純に4週/月、12ヶ月で計算するとおおよそ3300万円の年商ということになる。人を1〜2名雇ってもやっていく事はできそうだが決して潤いは感じないだろう。このくらいのビジネスは昔ながらではあるが人を誰も雇わずに一人でやれば儲かるのかもしれない。ただ今までの流れからは全く変わっていない。ドライクリーニングを主体にしたお店運営である。これからもっと水洗いの必要性が出てきたらこのお店はどうするのだろか?いろいろな事を考えながらお店を後にした。残念ながらここロンドンでも新たな取組を始めているところはほとんどない状態であることがよくわかった。本当に世界中の業界が次をどうするか?真剣に考えなければならないステージにあると確信した。

見よ、このプレス機!軽く40年以上は経っている。これが未だに現役で活躍している。

 

展示会場に到着した。既に設置がおおよそ終了していた。今回もこの競馬場の施設を使って展示会を行う。この取組は6〜7年前から行われているのだが競馬場でやるなんてなかなかユニークである。しかし会場側からすると競馬が行われなければ全く利用価値がない施設なのでこのような展示会に使ってもらえるのは嬉しい事なのではないだろうか。今回は新型のワイシャツプレス機が海外の展示会として初めて登場する。これらをみたお客様がどんな反応を示すだろうか?明日からの展示会が楽しみだ!展示会の展望を皆で話しながらその日の夕食を楽しんだ。

チームParrisianne(イギリス)とチームZiermann(ドイツ)で楽しんだ夕食。

2年ぶりのアメリカ(その3)

2月16日、午前中にZengeler Cleanersを訪問した私は午後にCD One Price Cleanersを訪問した。社長のRafiq Karimiに会うのはおおよそ2年半ぶりだろうか。年間に1度は必ず会っていろいろな話しをする仲である。それがこの2年半もの間、全く話しをする事ができなかったのだからお互いに現状がどうなっているのか、は全くわからない状況だった。久しぶりのCD One本社。冷たい雨がしとしと降っていたが幸い雪にはならなかった。Rafiq社長が迎えてくれた。こちらはZengeler Cleanersとは全く方向性が違うのでどんな現状になっているのか、話しを聞くのがとても楽しみであった。

ここでCD Oneという会社がどういう会社か、簡単にお伝えしよう。この会社は2001年にシカゴで創業した比較的新しいクリーニング店だ。元々はテキサス州ヒューストンでこのビジネスモデルを経営していたのだが、2001年にシカゴに場所を移動している。当時から明朗会計のクリーニング店として多くのサラリーマンに愛用されている。価格はワイシャツとそれ以外、という2つの価格ですべての洋服を対象にしているのが特徴である。現在はシカゴに34店舗、ミネソタ州に1店舗を構えている。

CD Oneの外観。青と白の基調色でデザインされている。


店舗を見るととても面白い。すべてがユニット店になっている。カウンターから工場のオペレーションが見える様になっており、オープンキッチンレストランのような雰囲気である。店舗の大きさは出店地域により様々であるが、比較的小さなお店でもレジは3つ、大きい店舗だと5つもある。すごいのは売上でどのお店でも単体で年間1億円以上の売上を上げる店舗ばかりだ。従業員の仕事も店舗と工場の担当役割がとてもはっきりしていて、低価格であっても顧客満足や品質管理にはかなり気を遣っている事がうかがえる運営方法である。このビジネスモデルは日本でも大いに参考になるモデルと私は考えている。ちなみに2015年に行われた大阪での国際クリーニング会議IDCにもスピーカーとして登壇してもらい、彼らのビジネスモデルについてじっくりお話しいただいた先でもあるのだ。現在はワイシャツは$1.89、その他すべての洋服が$3.99となっている。地域によって多少の値段差があるようだがおおよそこのくらいの値段になっている。

カウンターからみた店舗内。後ろが工場になっていて主に仕上げ作業を見ることができるようになっている。

 

価格はこんな感じ。このお店ではワイシャツ以外は全部$4.49という価格になっている。Wash & Foldは$1.69/ポンドからのスタートとなっている。

 

そんな会社がこの2年間どんな状況だったのか、私はとても興味があった。業績から聞いてみるとZengelerと同じように2020年は80%の売上ダウンを余儀なくされたようだ。ロックダウンを敢行されるとどんな業種でもどんな客層でも売上は全く上がらなくなるのだな、と痛感する。故に2020年夏から1年間は大変な思いをしたそうだが、2021年の第4四半期ではコロナ前の売上の80%レベルまで回復したとの事だ。アメリカでは2021年3月くらいから国民へのワクチン接種積極策が功を奏したのか、少しずつすべての業種で業績が回復している。CD Oneも少しずつ戻ってきたそうだ。
しかしその売上構成を見てみるとコロナ前とは明らかに違うもので売上が上がっていたのが気になる。例えばゴルフ場のレストランで使うテーブルクロスやナプキン。これらは今までであればゴルフ場の中で処理されていたもので人を雇って洗濯されていたと言う。しかしこのコロナで固定費を払えなくなり、あえなく外注する事になったと言う。その下請け先がCD Oneと言うわけだ。そのほか、消防士や警察官のユニフォームもこのコロナ禍でかなり集まったという。別のジャンルでいうと家庭の毛布やタオルなどのいわゆるComforterというジャンルが結構集まったと言う。

しかしリモートワークという新しい働き方はクリーニング業に大きな影響を与えている。CD Oneのようなサラリーマンを相手にした商売は影響をもろに受けた業種であろう。既にRafiq社長はクリーニング業がコロナ前の水準には戻らないだろうと予想し、新しい試みを始めていたようだ。それはWash & Fold、洗濯代行業だった。実は彼らがこのWash & Foldに力を入れていたのは私も知っていた。実際にコロナ前に訪問した時、彼らは既に取組を始めていた。ただその時はまだ導入期であり、どこにニーズがあるのか?どんなやり方だとボリュームを稼ぐ事が出来るのか?などわからない事ばかりでいろいろ模索していた時期だった。現在では既にモデルができあがっており、ボリュームを集める事に集中できる体制が整いつつあった。
Rafiq社長はこのWash & Foldに大きな確信を持っていた。やはり試行錯誤しながら数年間取り組んできた経験が自信につながっているようだ。私はこのビジネスの要諦がどこにあるのか、を知りたかった。私が一番びっくりした事は彼らが外交サービスを始めていることだった。彼らのビジネスモデルは日本と同じような多店舗展開である。基本的にお客様にお店まで来てもらい、洋服の引き取りや受け渡しをする形態になっていた。ところがこのサービスを進めるにあたり、外交サービスを始めることとなったそうだ。何故か?実は家庭洗濯用の洋服は結構量がある。それをお店まで持ってくるのは一苦労だそうだ。しかもプライベートな洋服も含まれているのでそれらを店頭に持ってくる事は抵抗がある、とも言われている。外交サービスだと取りに来てくれるので気兼ねなくお願いする事ができる、というわけだ。
気になるお値段であるが1ポンド$1.69で最低$10は課金されることとなる。ということは最低5.9ポンド分は持ってきてくれないと割高になってしまう。$10以上であればどんな量でも持ってきて構わない事だそうだ。ただCD Oneが求めているのはサブスクリプションサービスを利用するお客様を増やす事だと言う。ここでのサブスクリプションサービスは$99/月で週1回の利用となっている。通常の外交サービスでは$4.99の外交費用が課金されるが、このサブスクリプションサービスを利用するとこの$4.99はかからない。このときにWash & Foldだけでなく通常のクリーニング品のお願いを一緒にすることもできるようになっている。現在、このサブスクリプションサービスに700名以上のお客様が契約していると言うことでこれからもその会員数は増えていくだろうと見込んでいる。最終的にCD OneはこのWash & Foldビジネスで全体の50%の売上シェアに持って行こうと考えている訳だから今後の活動を引き続きチェックしていきたいと思う。

Wash&Foldの洗濯機は右から3つ。

 

乾燥機はこの4つで運営している。

 

今回のCD Oneは大きな方向転換を図っていたことがよくわかった。やはりドライクリーニングの需要が多く残っているアメリカにおいてでもこのような方向転換を図らないと生き残る事が難しいと思い、既に明確な方向を打ち出して突き進んでいる事に大きな衝撃を受けた。日本はアメリカよりももっと厳しい状態に陥っている訳なので打ち手を見つけられていない皆さんにおいては一日も早く次の方向性を見つけることを強くお勧めしたい。日本にはアメリカの様なお金持ちがいない。ドライクリーニングがなくなるとは思ってはいないが商売の核にはならなくなるだろう。そうなったときに何で生きて行けば良いのか?を是非考えていただきたいと思う。このWash & Foldは間違いなく日本でも一つのモデルになるだろう。ただし、厚生労働省の消毒法の基準をもう少し考え直してもらいたいものだが・・・。