2022年を終えて

今日で2022年が終わる。考えてみれば何という一年だっただろうか。まだコロナが完全に収束していないにも関わらず今年はアメリカ・ヨーロッパに12往復もしたのだ。まだアジア、オセアニア、中東など訪問できていない地域がたくさんあるとはいえ、私の活動はおおよそ元に戻ったと言えるだろう。

2月に実現した2020年以来のアメリカ初出張は本当に涙々の訪問だった。人との出会いがここまで感動的なものだろうか、というくらい「会う」ということの重要さを感じたのだ。このときは帰国時に3日間の隔離期間を強制され、ホテルから全く出られない不自由もあった。今となっては良い思い出であるが…。
そして4月にはイギリスとイタリアへ、5月はニューヨークへ、6月はオランダとドイツへ。これらの時期から毎月海外に出るようになった。しかしこれらの月は相変わらず出国時にはPCR検査を受けて陰性証明書をもらわなければ出国できず、また帰国においても現地でPCR検査を受けて陰性証明を発行してもらわなければ飛行機に乗せてもらうこともできなかった。確か7月頃から日本から出発するときのPCR検査は不要となったが帰国時の陰性証明を不要とされたのは9月以降だったと記憶している。とにかくコロナに振り回された一年ではあったが、全く旅ができなかった2020年と2021年に比べればバラ色のような一年だったことは間違いない。今年は合計で12回の海外出張ができた。内訳はアメリカが8回、ヨーロッパが4回だった。

そして今年は4月のイギリス、7月末にアメリカ・アトランタ、10月にイタリア・ミラノで大きな展示会が開催されたのも特筆すべき内容と思う。アメリカでは日本で2020年10月に発表した高速型シングルボディワイシャツプレス機のアメリカ版を発表した。そしてイタリアでは日本で今年2月に国内展示会で発表したノンプレスフィニッシャーを発表した。どちらの展示会でも大盛況で多くの人々の心を掴むことができたと思う。それぞれの展示会においても本当に久しぶりの再会を喜ぶことが多く、嬉しさのあまりにいろいろな人と抱き合うことが多かった。アメリカでは結果的に会場で多くの人々が感染してしまう事態になってしまったのが残念であった。社長である私の兄や私自身も感染してしまった。せっかくの帰国後の夏休みを含めて10日間の自宅療養を余儀なくされたのも記憶に新しい。

こんな一年であったが私がこの一年を総括するならば「ドライクリーニング業のあり方を問われた一年」というのがふさわしいと思う。アメリカは高級層を顧客にしているクリーニング店はすでにコロナ前よりも売上が伸びているところが多いと確認しているが、韓国系クリーニング店の衰退、廃業は顕著だった。アメリカでさえ業界全体としては縮小を始めている。日本やヨーロッパでの業界衰退も顕著で世界中で「脱ドライクリーニング化」が加速している。これからを感じるのは中国であるが、政府によるゼロコロナ政策という愚策により市場は停滞するばかりでなく、人々の行動を抑制することばかりだったので市場と見ることすらできなかった。これが今後の中国をどのように変化させていくのかはわからないが、ドライクリーニングが隆盛する方向には行きづらいのではないかと予想する。私はドライクリーニング業が消滅するとは言っていない。間違いなく残ると思う。しかし主要産業として継続できるか?というとそれは疑問だ、ということだ。
日本を例に見てみよう。2015年にIDC国際クリーニング会議を大阪で開催したときにざっと100名近くの海外参加者が日本の当時を見て「こんな暑い日にほとんどすべての人々がスーツ、ネクタイ、ワイシャツを着て会社に行く。こんな素晴らしい国を見たことがない」と羨ましがっていたことを思い出す。それが7年経った現在はどうだろうか?この2年間のコロナ禍で10年後に訪れるであろう状況が一気に訪れた感があるが、人々はカジュアルを着るようになり、会社はそれを受け入れるようになった。テレワークという制度と共に一気にドレスコードが崩れた。デパートでは5万円のレディースウェアが水洗い可能な素材で構成されるようになっている。12月1日に訪問したアパレル機器展示会ではワイシャツを製造するのに必要な機器がほぼ展示されていない。我々が求めていたジャケット、ズボン、ワイシャツという3大メジャー衣類はまさに1970年代のモデルとして成り立ち続けていたのだが2020年代で崩壊したと言わざるを得ない。ここに今後のクリーニング業のあり方が大きく問われる事態となってしまったわけだ。ちなみにこの状況は日本だけでなくアメリカ、ヨーロッパ、オセアニアなど先進国では顕著に表れている。

さて、こんな状況で我々は次に何を考えていけばいいのだろうか?日本において、ある人々はスニーカークリーニングを試してみた。ある人々はお直しの世界を開拓してみた。多くの人々は布団を商材にしてみた。それなりの反応はあるのだがどうしても2019年と比べて売上や点数が戻ってきているわけではない。もしかしたらもう永遠に戻らないのかもしれない。そんな中で私は水洗い衣類に注目したのだがこれは当たっていると思う。すでに人件費が日本の倍以上になっているアメリカ、ヨーロッパでは水洗い衣類でビジネスを構成しようとしているクリーニング店がとても多いのにびっくりした。間違いなく世界は先進国から順々にその流れに沿っていくだろう。しかし多くのクリーニング店は「水洗いで利益なんて取れるはずがない」とか「各家庭に洗濯機があるのにクリーニング店に持ってくるはずがない」とか真剣に取り組む前から半ばあきらめている声をよく聞く。業界衰退時には残念ながら多くの人々が業界を離れていく。これは仕方のないことだと思う。残っていける人々はまだ僅かな可能性を信じ、新たに投資をしながらたくましく活動していく、そんな人々と思う。私と三幸社はそういう人々を助けられるような活動を続けていきたいと思う。新しい業界への参入は必要かもしれない。しかし顧客の顔を知っているこの業界ならば共に切磋琢磨していくことが一番効率良いと考える。すでに私は海外でそのような顧客を数多く見ることができている。変化はできるのだ。変化する決心が必要なのだ。それは我々も一緒である。だからその決心が第三工場設立につながった。この時期で新しく工場を建てることはなかなかできることではない。不退転の決意で建設したこの第三工場と共に2023年を更に忙しい年にしていきたいと思う。皆さんにおいてはなかなか決心に至らない難しさがあるとは思うが是非もっと外に出かけて世の中がどのように動いているのか、をリサーチしながら今後の策を見つけてもらいたい。間違いなく2023年はもっとドライクリーニングが厳しくなっていく年になると予想する。だから何をして残っていくのか?を是非考えていただきたい。

末筆ながら今年も多くの皆様にこのブログを読んでいただけたことに感謝を申し上げたい。来年も引き続き多くの世界情報をお届けできるように活動していきたいと思う。是非期待してもらいたい。